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小さな冒険と店で一番のコーヒー

作者: 詩珪汰

 彼はいつものように散歩をしていた。もともと彼には、趣味といえば切手集めくらいしかなかったので、それでは余りにも生活にハリが無いという彼の妻の勧めで、定年退職してから三年間、毎日同じ道を歩いている。


 その日も、いつもの道をぶらぶらとしていたが、今日はいつもと別の道を歩くのもいいかと、ふと思い立ち、すぐ目の前にあった横道に入った。見慣れない道は、まるでどこか別の土地に来たようで、彼は少し楽しくなってきた。しばらくその道を行くと、右手に古そうな喫茶店が見えてきた。普段は散歩中にどこかの店に立ち寄ることはしないが、やけにその店が気になったので、今日の俺は少し違うぞと、迷わずその店に入っていった。


 カランコロンと入店を告げる鈴が鳴る。どうやらこの店は流行っていないようで、彼の他は年嵩の男性が一人いるばかりだった。近くのテーブル席に座りメニューを手に取るが、このような店とは無縁だった彼は何が何だか分からなかったので、店主を呼び、この店で一番のコーヒーを注文して、彼は店内をじっくり観察した。


 テーブルの席は五つ、カウンターの席も五つ、曲名はわからないが、ゆったりとしたピアノ曲が流れている。黄色のランプと薄く焦げたような色の壁が、店内をぼんやりとした明るさに保っている。この店で一番のコーヒーを淹れているであろう店主は意外にも若い、まだ三十にもなっていなさそうだ。


 彼が店内を見回していると、注文したコーヒーが運ばれてきた。どこまでも白い皿にカップと奇妙な形をしたスプーンが載っていて、スプーンには、これまた白い角砂糖が置いてある。それだけでなく、その角砂糖には火がつけられていた。彼は思わず、おぉ、と声を出してしまった。驚いたのではなく、薄暗い店内で青く燃える火が美しかったためである。すぐ店主に飲み方を聞いた彼は、店主の言う通りしばらく待って、溶けたそれをコーヒーに落として飲んだ。


 代金を払って店を出ると、彼が店にいる間、一度も鳴らなかった鈴が鳴った。腕時計を見ると、家を出てから四時間経っていた。彼は若返った気持ちで、明日はどの道を行こうか、と考えつつ帰路に就いた。気分が良かったので、途中で妻のためにケーキを買った。口内にはまだ、ブランデーの香りが残っていた。

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