2.本城幸雄
この世界には、大別して二種類の魔法がある。
一つが魔力を纏わせたり、注入したりする“基礎魔法”。
もう一つが、火を出したり、魔力の刃を生み出したりと汎用性に富む“具現魔法”である。
人は魔力を持ち、遙か昔から、これらの魔法を使いこなしてきた。
だが、幼い少年――本城幸雄は、それが出来なかった。
幸雄は、殆ど魔力を持っていなかったのだ。
小学生の時の魔力測定で、それが分かった。
――それから彼は、人と同じ事が出来なくなった。
始めに習う、魔道具を起動する基礎魔法……出来なかった。ウンともスンとも言わなかった。
次に習う、泥団子に魔力を纏わせてカチカチにする基礎魔法……出来なかった。簡単に割れてしまった。
その次に習った、水を出す具現魔法……出来なかった。水は一滴も出なかった。
幸雄は、「魔力無し」と馬鹿にされた。彼は笑わなくなり、塞ぎ込むようになった。
「そんなこと、爺ちゃんがなんとかしてやる」
そんな幸雄を救ったのは、魔道具職人の祖父だった。
彼は、一つの魔道具の指輪を作り、幸雄に与え、肌身離さず付けるように言った。
それからしばらくして、幸雄は魔道具を動かせるようになった。泥団子をカチカチにすることも出来た。さらに、水も出せた……ただしチョロッとだけだが。
祖父が彼に与えたのは、小型の魔力タンク。幸雄の微弱な魔力を吸い続け、溜め込むことが出来る特別な品だった。
そして幸雄は、また人と同じ事が出来るようになった――。
※ ※ ※
201×年3月。
大和帝国の首都・東京の郊外。
住宅街の中にある、小さな町の魔道具工場。そこの住居をかねた二階で、空気がまだ曙色の時間帯から、幸雄の一日は始まる。
彼は名残惜しそうに布団から抜け出すと、まずは台所でバナナを一本食べ、それから洗面所へ行き、着替えと歯磨きを器用に両立する。そして、起床から十分ほどで身支度を済ませると、彼はランニングシューズを履き、外へ出て、走り出す前に足首に重りを巻き付けた。
重りは汗や土埃ですっかり変色していて、長く使い込まれていると物だと判る。中学生活も後半になってから、彼は毎朝この重りを使っていた。
幸雄は、具合を確かめるように軽く飛び跳ねると、満足げに頷き、走り出す。地を蹴って体を前へ進めると、その分明け方の澄んだ冷気が、幸雄を突き抜けていった。
(うん、調子良いな)
長く走るコツ。それはテンポを保ち、必要以上に強度を上げず、フォームを崩さないことだ。
彼は、そう走れば持久力の向上になると教わった。速く走る為のメニューもあるが、今日は朝練の順番的にも持久走の日なので、黙々と走ることに徹する。
すると、じわりじわりと体が火照り、外気と体温が拮抗する。この感覚が幸雄は好きだ。何処までも走っていけそうな、そんな気がするのだ。
止まること無くいつもの路地を走り、いつもの角を曲がり、いつもの土手に出て、それからしばらく川に沿って走れば、区画の境界までたどり着く。彼はそこで、足を止めた。
区画の向こう側、駅があり華やかな商店が建ち並ぶ商業区画、その中心に建つ一際大きな建物を幸雄は見つめている。
毎朝、この区画の境界まで来てはそれを眺めるのが、彼の日課なのだ。
彼が眺めるその建物は、赤レンガ造りの六本の塔が、それぞれ六角形の頂点にそびえ立ち、その中心にガラスの天井を持ったドームが真珠のように鎮座するという特徴的な外観をしている。
しかし異彩を放つ外観に騙されてはいけない。
その建築物の本質は別にある。それは、大和帝国民ならは、誰もが知っている事だ。
あの建物の本質――それは、学園。
そう、あの建物は学園なのだ。しかも、ただの学園ではない。
世界でもトップクラスの魔法教育機関と名高く、卒業と共に、軍や政府高官への道が約束される国内最高学府――“大和魔法術学園”なのである。
幸雄が学園を眺め続けることしばらく。
すっかり汗が乾いてしまった頃、ビルの合間に光が差し、世界から曙色が抜けていく。
遠くの山間から顔を出し始めた日の光を受けて、大和魔法術学園のガラスのドームがキラキラ輝いた。
今日の学園は一段と眩しく見える。そんな気がする。彼にはいつも学園が輝いて見えていた。あそこは憧れで、区画の境界から眺める遠い存在だった。
しかし、今日は違う。ここから眺めるだけの日々は今日が最期だろう。
(……そろそろ戻ろう)
幸雄は踵を返した。
まだ帰ってからやることは残っている。早くしないと、諸々の準備が間に合わなくなるかもしれなかった。
3月上旬の早朝。
大和魔法術学園の入試まで、後三時間ほど――。
※ ※ ※
「遅いぞ!馬鹿たれが!」
幸雄がランニングを終え、工場の二階にある自宅に入った瞬間、いつものように奥から怒声が飛んでくる。
出所は祖父だ。幸雄は慣れたもので、「はいはい、いまいくよ」と靴を脱ぎながら答え、ダイニングへ向かった。
「おかえり幸雄」
扉を開けると、まず目に入るのは台所に立つ祖母の菊江だ。
幸雄は「ただいま」と返して、にこにこ顔の祖母から茶碗と味噌汁を受け取る。
菊江は、幸雄が明け方走るようになってからというもの、毎朝走り終わる時間に合わせて朝食を用意してくれていた。
その日によって、戻ってくる時間はまちまちだというのに祖母はタイミングを外したことが無い。本人曰く、走り出しの足音で判るらしかった。
「おい、早く食べろ。今日は、学園の入試だろ?遅れちまうぞ!」
幸雄が食卓に着くと、既に朝食を食べ進めていた祖父の正幸が急かすように言った。落ち着かないのか、先程から時計を何度も確認しては、そわそわしている。
「大丈夫だよ、爺ちゃん。入試まで、まだ二時間以上もあるよ」
「む……そ、そうか。何だか不安で落ち着かなくてな」
正幸は相変わらず心配性だ。普段は見た目通りの豪胆で職人気質なくせに、孫の事となると本人以上に気に掛けた。
「もう、あなたがそんなに不安がっていたら、幸雄に緊張が移っちゃいますよ」
対して、菊江は正幸に比べると大分楽観的だ。幸雄は幼い頃から、魔力のことで色々と問題があるタイプだが、菊江はそれでも必要以上に気に掛けることはせず、見守ってくれる。
「菊江、お前は心配じゃないのか!?ただの入試じゃないんだぞ?大和魔法術学園の入試だ」
「あなたの母校でしょうに」
「母校だからこそ、難しさが分かるんだ。あそこは、技術科でも魔法の実技試験があるんだぞ?」
「あなたのあげた指輪があるじゃない。それがあれば幸雄も大丈夫よ」
菊江は「ねー?」と幸雄に同意を求めるように微笑むが、幸雄は苦笑いをするしかなかった。
確かに、正幸がこしらえた指輪は、今も幸雄の右手中指にはめられているし、魔力タンクとして申し分ない働きをしている。加え、小学生から付けているが、特殊な魔法が施されていて、勝手に号数を合わせてくれる優れ物だ。
しかし、魔法を使うにもセンスが物を言う。
魔力無しというハンデを負っている所為か、幸雄は魔力の操作も苦手な方だ。
基礎魔法くらいは人並みに使えるが、より繊細な魔力操作が求められる具現魔法は、お世辞にも上手いとは言えなかった。
「いやしかしだな、幸雄は魔力の操作が……」
「だいじょーーぶ!大丈夫!なんとかするから!それに、俺が行きたいのは爺ちゃんが行ってた技術科だし……多少出来なくてもなんとかなるって!」
なおも食い下がろうとする祖父を、幸雄は無理矢理遮って笑った。
自分の弱点は、自分が一番分かっている。能力以上のことを求めても仕様が無い。後は、工夫と運次第なのだから、それ以上とやかく言われたくなかった。
「よし、じゃあ俺はちょっと下に行くから。ごちそうさま」
「お、おう……」
「はい、お粗末様」
幸雄は手早く食器を片づけると、下の工場へ下りていく。
工場の裏で、木の人形相手に、魔力を纏わせた拳をひたすら打ち込む特訓をするのだ。基礎魔法を使うシンプルな特訓だが、魔力操作向上の足しにはなった。
しばらくして、階下から鈍い音が聞こえ始めてくると、菊江が口を開いた。
「あなた、心配なのも分かるけど……度が過ぎるわよ」
「ああ……すまん」
「あの子ももう十六歳になるんですから……もっと信頼してあげて」
「そうだな……もう、十六か。早いもんだな」
二人の脳裏に、初めて幸雄と出会った日のことが浮かんだ。
その日から十年以上、幸雄を見守ってきた。魔力が殆ど無くとも、努力する姿を知っている。正幸のように魔道具で人を助けるんだと笑顔で教えてくれたこともあった。
(あの幸雄が、学園か……)
幸雄が自分で考え、自分で決めた進学先が大和魔法術学園と聞いたとき、正幸は心底驚いた。大丈夫なのかと。
しかし、幸雄は体力作りから魔力操作の特訓まで、自分で調べ、考え、ここまでやってきた。
菊江の言うように、もう過剰な心配は不要なのだ。
「なあ、菊江」
「何です?」
「幸雄なら……受かるよな?」
「……ええ、きっと大丈夫ですよ」
菊江は微笑んだ。それを見て、正幸も微笑む。
(幸雄の努力を信じてやらないとな――)
特訓の音が響く中、ようやく心からそう思えた。
大和魔法術学園の入試まで……後一時間――。
第2話を読んでくださりありがとうございます。
今回は、書きながら何度も修正しました汗
何話分か書きためておけば良かった…。
文章って、本当難しいですね。
さて、今回は設定を少し盛り込みました。
本当、魔法って色々な解釈がありますよね。プログラミングのようなものとか、凄く理論を深掘りするものとか。
私のは、一応オリジナル(のつもり)です笑
もう少し詳しいのは今後書くことでしょう。
では、また次回に。