17.真夜中の来訪者②
17話です。
おじさんたちのお話しはこれでおしまい!
「それにしても……ご無沙汰ですねぇ、先生」
作業机の向こうで、疲れた顔の大熊が思い出したように言い、頭を軽く下げた。
正幸は「今更だな」と笑った。元教え子を懐かしみ、再会を喜ぶ気持ちが遅れて胸中に広がっていく。
「俺が軍を辞めてからだから……十五年ぶり、か?」
「そうです。先生が幸雄くんを保護した、第七工業区画テロ事件以来ですよ」
第七工業区画テロ事件、その言葉に正幸の表情が一瞬曇る。幸雄にも、まだ語っていない十五年前の話だ。
「――ああ、そうだな……」
脳裏に浮かぶのは、炎に包まれた工業区画、焼け焦げた部下達、苦悶の表情で息絶えた一般人、そして死にゆく敵の顔である。
十五年経っても、その記憶は鮮明だ。
戦場を駆け回り、敵をなぎ倒していた昔の正幸。そんな自分が軍を退くと決めた最後の戦いであり、赤ん坊だった幸雄を両親の代わりに育てると誓った炎の夜が、第七工業区画テロ事件だった。
「あのテロから一人生還されたかと思えば、生存者の赤ん坊を引き取ると言って軍を辞めちゃって……本当、当時はびっくり仰天ですよ。戦況を覆す程の強者で、魔道具職人としても重宝されてた先生が突然いなくなったんですからね。
それで、気付けばその引き取られた子が学園を受験してるんですから……しかも、受験申請書には『魔力なし』って書いてあるし、気になって試験中ずっと幸雄くんを見ちゃいましたねぇ」
「なるほど……敏いお前のことだ。試験中に幸雄が『魔力なし』じゃないって勘付いたわけか」
「まあ、そんなとこです。天道家の息女が誤って幸雄くんに具現魔法を撃っちゃったんですけどねぇ、こちらが掛けた覚えのない防御魔法が発動されたんで。
……そんなことよりも、先生はいつから気付いてたんです? 一緒に暮らしてて、幸雄くんの『自動防御』に気付いてなかったはずは無いでしょう?」
大熊の問いに、正幸は「俺も確証があったわけじゃないが……」と前置きしてから続けた。
「もしやと思ったのは、アイツが小学校の時だ。『魔力なし』って馬鹿にされ始めた頃、幸雄のやつ近所の悪ガキと喧嘩してな。その悪ガキが、驚かすつもりで『石弾』を撃ったらしいんだ」
「ほう……子どもの喧嘩にありがちなパターンですね。大体は制御仕切れなくて……って感じですけど」
「……お前が考えてる通り、『石弾』は幸雄に向かって飛んでったらしい。俺は現場に居なかったんで伝聞なんだが……『当たった弾が消えた』んだと」
咄嗟に目をつぶり身を強ばらせる幼い幸雄の目の前で、半透明の障壁と石弾がぶつかりはじける様子を、正幸はその思考の片隅に浮かべる。目の前で、顎髭を弄りながら目を伏せる大熊にも、同じ場景が思い浮かべられているようだった。
この出来事を「実は外れていたのだろう」とか「制御不足で魔法が途中消滅した」などと言えばそれまでだが、当時の正幸にはこの出来事がそんな言葉で片付くものに思えなかった。
「……もしも幸雄が、その身に降りかかる魔法を防ぐ自動発動型魔法を有しているなら、あの子があの業火の中を一人生き残った説明がつく。……俺は、少なくともその可能性があると考慮して、魔力貯蔵と暴走抑制の効果を持った指輪を与えたんだ」
幸雄の両親も、炭化するほどでは無いが、体に重度の火傷を負って息絶えていた。その炎熱の中を、両親の肉壁だけで一歳に満たない赤ん坊が生き延びたと考えるのは些か無理がある。だが、自動発動型魔法があったなら、生き残った事に納得がいった。
正幸は、幸雄の秘められた力の存在を感じながら、自動発動型魔法の暴走という最悪の事態が起こらぬよう、防止策を講じていたのである。
敢えて幸雄を『魔力なし』として扱い、本人に何も告げないで過ごして来たのも、わざわざ藪をつついて蛇を出す事は無いと思い、時が来るまで避けてきたからであった。
「なるほどぉ……幸雄くんの指輪は、そのための魔道具でもあったんですねぇ」
大熊がうんうんと頷き、それから胸を張った。
「先生、ご安心を。幸雄くんの自動発動型魔法の研究は、細心の注意を払って行い、決して暴走などさせません」
「ああ……頼むぞ」
正幸は思う。
幸雄は自分で大和魔法術学園に行くと決め、魔道具職人になると決めた。入試の日に菊江と話したように、幸雄はもう十六歳になる年で、十分強い心を持っている。特練に選ばれたのも、幸雄自身が秘めたる力を知る時が来たということなのだ。
昔のことを思い出した所為か、いつの間にか強ばっていた体を楽にすると、正幸は顔を片手で拭うように撫でた。
「……和哉、まだ時間平気か?」
「……ええ、もちろん。今夜は長くなると思っていましたからねぇ……もう一つほどお聞きになりたいことがあるんでは?」
「フッ……分かってるじゃねぇか。一杯付き合いながら、もう少し話してくれや」
一升瓶を作業机の上にどかりと置くと、にやりと笑う正幸。そして二人は、酒を片手に言葉を交わし始めた。
まだ、夜は長い。
※ ※ ※
「……ヴィンランドが動き始めてるんです」
酒が進み、学園のことや軍の内情などを饒舌に語っていた大熊が、それまでの酔いを感じさせぬ真剣な面持ちでそう呟いたのは、酒も僅かになり、正幸が国際情勢の事を訊いた時だった。
その言葉を聞いた瞬間、正幸の酔いも一瞬にして醒めた。
「……確かなのか?」
「ほぼ確実、と言った所ですかねぇ。華国(中国と同義)の動きがどうも怪しくなっていて、ヴィンランド(アメリカと同義)がどうも手を回しているみたいなんです」
「ここ数年大人しくしてたと思ったら、色々溜め込んで準備してたってわけか……。表向きは、『休戦・和解に向け歩み寄ろう』とか言いってるが……世界は不安定なままだな」
「そりゃそうですよ。三十年前に停戦状態になりましたけど、敵さんもこちらも、主義主張が違いますし、権益や資源が欲しいのは変わりないですから」
大熊は「政府も軍部も意見が割れて、紛糾してます」と付け足し、酒をあおった。
正幸は黙って注ぎ足してやった。
今、世界は大きく二分されている。
その世界を分かつ二大勢力が、ユーラシア大陸の大半からなる同盟関係“国家全体同盟”とヴィンランドと華国、ユーラシア大陸の一部諸国が主に属する“国際連合”だ。
細かい主義主張の違いを挙げれば切りが無いが、この二つの派閥が現情勢を構築する重大な要素であり、大和帝国はゲシュタルトの盟主国家の一つであった。
第二次世界大戦の最中結ばれたこれらの同盟関係は、大戦から数十年後に始まった“五年戦争”と呼ばれる、正幸と大熊も参戦した戦争後も続いており、尚も世界にきな臭い雰囲気を漂わせているのである。
世界はまたどこかで戦争を起こす、とは想像していたが自分が生きているうちに勃発しそうだと思うと、正幸は何とも言えない虚しい気持ちになった。
「……今は、最終学年の特別練成科生徒が情報収集もかねてヨーロッパに渡っています」
「もう、生徒達すら諜報員扱いか……」
正幸は苦虫をかみつぶしたように顔をしかめた。
今の国際関係は危うい。軍人を密かに行かせるよりも、生徒の海外研修と銘打って諸国に送り込み、諜報もさせるという方法が、各国の常套手段となっているのだ。
特に、大和魔法術学園は軍人育成機関と言っても過言では無く、その中でも実力者揃いの特練は第二次世界大戦の学徒出陣で成果を上げてからというもの、影ながら動く存在として有事の際には重宝されてきた。
「……きっと上手くやるでしょう。四年生も優秀な子達です」
大熊は少し悲しそうに笑った。
三十年前の五年戦争の時の自分を思い出しているのだろう。そして、彼は少し俯いて、申し訳なさそうに続けた。
「正直言いますと、幸雄くんたちが四年生の時にこうならなくて良かった……。今の特練一年生には、私の娘も居ますから……」
正幸は「……そうだな」とだけ返した。自分もまた、同じように思うのだ。これが親の心なのだ。
※ ※ ※
しばらく黙々と飲めば、酒も無くなり、時計が三度鳴った。見れば短針は三を指し示している。
「そろそろ……」
「ああ、遅くまですまなかったな」
「いえいえ、私から話しをしにきたんですから……」
そう言って大熊が立ち上がり、正幸も見送りに席を立つ。そして、依頼されていた杖を安置していた台から取り、渡してやった。
「ありがとうございました、先生」
「おう。……その杖、調整が必要な時は幸雄に見せろ。アイツには教え込んでるからそれくらいやるだろうし、幸雄のためにもなる」
大熊は、「では、そのようにさせて貰います」と笑った。しかし、直ぐに笑みを消すと、真っ直ぐ正幸を見つめて、言った。
「先生……私は、幸雄くんの力を解析し、必ず具現魔法へと転用してみせます。
今……大和帝国は危うい所がある。ですが、彼の魔法の防御力を国防に活用出来れば……不破の盾を得ることが出来れば、それは最強の矛と同じ、攻め入る隙の無い強力な武器となる。……戦争の抑止力と、なり得るかもしれません」
正幸は、じっと大熊の目を見つめ返した。
きっと幸雄は、迷うこと無く研究に協力すると決めるだろう。それはいい、幸雄が決める事だ。だが――
「――もう一度言う」
正幸は、大熊の手を掴み、低い声で言った。
「幸雄に何かあったら、許さん」
「……ええ、わかってますよ。……では、また」
大熊は再び、にこりと微笑む。昔から変わらない腹の底を見せない笑顔だった。
そして彼は、軽く一礼すると、夜の闇の中へ溶け込むように、歩み去っていった。
17話を読んで下さりありがとうございます。
そろそろ用語解説とかいれたい気分です笑