12.模擬戦①
「すげぇ……森が出来た」
幸雄はその光景に感嘆の声を漏らした。
ただ広く殺風景だった模擬戦闘場は、今や草木が生い茂った小さな森へと変貌し、眼下を覆い尽くしている。上から見る限り、森を生み出した張本人である剣の姿は既に無く、枝葉の隙間からは突然の変化に戸惑いを隠せない真一の姿が見えた。
「具現魔法『繁る木々』……まずいわね」
「まずいって、どうして?」
「真一にとって不利な地形にされたから。この森じゃ、真一は全力で走れないわ。……いい幸雄? 地の利は大事よ。どんな戦いでもね」
淡々とした司の言葉を受け、幸雄の顔が曇った。
鬱蒼とした森の中では『速度強化』を最大限に活用するのは難しい。あの魔法は先程までのような開けた場所ほど威力を発揮するのだ。加え『速度強化』中の仄青い発光は、この森の何処かに潜む剣にとって良い目標になるだろう。今、地の利は完全に剣にあった。
「強化魔法が鳥羽くんの強みなら、この『環境を生み出す具現魔法とそれを活かしたゲリラ戦』が深森くんの強みだ。……彼は実技試験でも『繁る木々』を使って逃げ切っていたな。皆しっかりと見ておくように」
様々な測定器に囲まれ、表示されるグラフや数値を眺める大熊校長は実に楽しそうだ。その数値は二人の魔力量や発動に消費した魔力を示しているのだが、それを知るのは校長と美樹だけである。
もし、幸雄がその数値の意味を知っていれば、剣が短期決戦を仕掛けたと分かっただろう。
森という自然を生み出す具現魔法『繁る木々』は、広範囲に影響を与えるため魔力消費量が馬鹿にならないのだ。事実、剣の魔力は残り少なく、また最初の様な接近戦になれば魔力切れを起こして負けるのは目に見えていた。
見つからないように、尚かつ魔力は温存しなければならない剣は木の上に隠れながら、攻撃範囲を狭め魔力を節約した『魔刃』を放ち始めた。
そして、真一目がけ何発もの『魔刃』が飛来する。
(上からだと!? 基礎魔法『速度強化』!)
完全に不意を突かれたが、真一は待機状態にしていた『速度強化』を発動することで難を逃れた。しかし、仄青い光は幸雄達が危惧した通り、よく目立つ。剣は枝から枝へと飛び渡って真一を追い、隙を見ては『魔刃』を放ち、真一は実技試験でも活かした持ち前の警戒心でそれを避け続けた。
(くそっ……防戦一方だ)
だが、いつまでもそうしてはいられない。真一の魔力も怪しくなってきている。
真一は剣の攻撃が緩む一瞬の隙を見て魔法を解除すると、太い木の根元に身を潜めた。
そこは根と地面の間に隙間があり、周りには背の高い草が伸びている。上から見ても死角になる絶好のポイントだ。
「……いない。隠れたか~」
枝の上で独り言ちる剣。目標にしていた青い光が消えたため、完全に攻撃の手を止める。
これで剣も、真一もお互いが認識できない状況になった。
(攻撃が止んだな。これからどうする? 考えろ考えろ俺……)
根元で地に伏せながら、真一は思考を巡らせる。魔力は少ない上に、この環境では得意の『速度強化』は活かせない。具現魔法による遠距離攻撃をするしか無いが、一度も姿を見せない剣にどう当てるかが問題だった。真一の脳裏に、策が浮かんでは消えまた浮かんでは消えていく。まともに使えそうな戦法はまだ思い付けなかった。
両者動かず、戦況は膠着する。
剣は真一がいつ飛び出してきてもいいように、木の上で身じろぎ一つせず、神経を研ぎ澄ませていた。それは、山が多く森が深い地元で獣や魔物を狩るために培った技である。剣は『魔刃』を待機させ、しんと静まり返る森に眼を凝す。真一の動きはまだ無かった。
一方真一は、剣と自分しかいない静まり返る森、という点にある可能性を見出していた。
(試したことは無いが、あの魔法なら剣を見つけられるかもしれない……。やってみるか)
賭けに近いが、勝算があるならやるしかないと、真一は二つの魔法を構築し始めた。一つは本命のある魔法。もう一つは具現魔法『水弾』。この『水弾』は威力と攻撃範囲の調整が容易な、使い勝手の良い魔法だ。木の上だろうが、威力と範囲を強めれば充分な一撃になるだろう。
お望みの『水弾』を待機状態にすると、続けて真一は練り上げたもう一つの魔法を解き放った。
――基礎魔法『聴覚強化』
いつもは全身を包む魔力が真一の両耳へと集結し、その機能を飛躍的に上昇させる。真一の聴覚は一切の音を逃さぬよう研ぎ澄まされ、静まり返っていた森がにわかにざわめき始めた。ざわめきの正体、それは自分の心音や剣の呼吸音、さらには強化ガラス越しの幸雄達の囁きである。
(上手くいった……!)
真一は喜びに声を上げそうになったが、直ぐさま地面に耳を着け目を閉じた。森の中、木の上に潜む剣を音を頼りに見つけ出すつもりなのだ。
この超聴覚による索敵こそ、真一が取った賭けであった。
――そして、真一は賭けに勝った。
剣の心音が、呼吸音が、枝を震わし幹に響いて根を通り、地面を伝わって真一の耳に届く。その聴覚情報は真一の脳裏にありありと森の姿を作り上げ、その全てを明らかにした。
剣が自分からどれ程離れ、どの方向のどの木の上にいるかまで手に取るように分かる。真一は息を殺してそっと根元から抜け出ると、背の高い下草に潜んだまま、右手をとある木の樹冠に向け掲げた。
(――あ……まずいかも)
その瞬間、剣の背筋に冷たいものが走った。それは狩りの途中に予想外の魔物に狙われた時の感覚に近い。早く逃げろと本能が警鐘を鳴らし、木の枝から慌てて飛び退くが、それは完全に悪手となる。
「逃がさないぞ。――具現魔法『水弾』」
真一の右手から魔力が迸る。解き放たれた魔力は巨大な水の球へと変化し、発射された。
(……あ~、負けた)
その射線上には剣。
枝から飛び退き、空中に出てしまったせいで避けることなど不可能。巨大な水の球は容赦なく剣へと襲いかかっていく。
そして『水弾』は剣を飲み込み、炸裂した。
※ ※ ※
森が枯れ、枯れるを通り越して砂となり、それが旋風で巻き上げられていく。その旋風は全ての砂を捕らえると、たちまちかき消えバスケットボールほどの丸い岩を残した。圧縮した砂岩である。
美樹はその岩を適当な隅に除けておくと、観覧席に手を振った。
「大熊校長ーっ!後片付け完了でーす!」
『ご苦労。一試合目の反省をするから一度戻ってきてくれ』
「承知しましたー」
ほどなくして美樹が観覧席へと戻ってきた。幸雄はそれを認めると、別の場所へと視線を移す。その視線の先には、気絶から無理矢理覚醒させられた剣と魔力が切れかけ顔が真っ青な真一が、大熊校長の前に立たされていた。
校長は細めた目で二人を交互に見つめると、一言
「――どうだった?」
と訊いた。
二人とも思うことがあるのだろう。真一は真っ青な顔を少し曇らせ、剣も笑顔が無く眉根を寄せていた。
「……『速度強化』に頼りすぎました」
「相手の実力を見誤りました~」
「そうだね。鳥羽くんは一つの魔法に頼りすぎて対応されるのが早かった。けど、咄嗟に応用したのは上出来だ。……対して深森くんは相手の手の内を見抜いたのはいいが、必勝の型に持ちこんで少なからず油断したね。次からはあらゆる可能性を考慮しなさい。
それと二人とも、まだまだ魔力量が足りないねぇ。今の模擬戦一回でバテちゃ駄目だよ? ……これからも頑張りなさい」
「「……はい!」」
声を荒げること無く、強く非難するでも無く、大熊校長は穏やかに微笑んだ。それはいつもの飄々とした笑みとは違い、学徒を想う教師のそれである。
入学式の大熊の印象が強い真一と剣はその時との落差に驚きながらも、高名な魔術師である校長からの指南に悪い気はせず、声に喜色を滲ませて答えるのだった――。
「――じゃあ、下にいくわね」
「おう、頑張れよ」
「あっ、俺の後は司さんか。頑張ってくれ」
真一が幸雄達の元へ戻ってくると、入れ替わるように司が席を立った。次は女子の第一試合、司と狩屋涼の模擬戦だ。
少し離れた席では同じように一人の女子生徒が立ち上がり、観覧席を出て行こうとしている。その黒縁眼鏡の利発そうな女子生徒――狩屋涼は、司をねめ付けるように一瞥すると、小さく鼻を鳴らしてその場を後にした。
「彼女……怒ってたぞ?」
「良く分からないけど、不機嫌そうだったな。司、何したんだ?」
明らかに怒気を滲ませるその背中を見送ると、疑問を口にする男二人。だが当の司は「……分からない」と小首を傾げるだけであった。
「ほらー次ー。早くしなさーい!」
「……行ってくるわね」
美樹にせっつかれ、司も観覧席を出て行く。
激闘の女子一試合目が始まろうとしていた。
第十二話を読んで下さり、ありがとうございました。
最近二日に一回更新守れてないですね汗
ごめんなさい
さて、今回からしばらくバトル回です。しばらくお付き合い願います!
では、また次回に。