9.再会
9話です。
「――なあ爺ちゃん。何でか分からないんだけど、俺『特別練成科』ってとこにクラス分けされた」
入学式後、夕食を家族三人で摂っている時。幸雄は、ふと思い出したクラス分けの事を祖父に告げてみた。
特別練成科がどのようなものかは知らないが、次の登校日に魔道技術科への編入を直訴しようと考えていたし、事と次第に依っては正幸の署名やら何やらが、必要になるかも知れないからだ。
そのような旨をまとめて伝えると、正幸は一旦ぽかんとして、すぐに難しい顔になり「そうか……わかった……」と言って黙り込んでしまった。
「へぇ、受験してない科に入れられるなんてことがあるのねぇ。その特別……なんとか科ってところは駄目なの?」
「駄目って言うか、何も分からないんだ。そもそも存在を知らなかったし。まあ、俺がやりたいことを教われるなら、特別練成科でも構わないけどさ」
幸雄がそう答えると、菊江は「お婆ちゃんだったら『特別練成科』だっけ?そっちにいっちゃいそ。『特別』だなんて格好いいじゃない」と笑った。そして、すぐに別の話題を振ってくる。全く頓着しないあたりが流石菊江だ。
それからずっと、お隣さんがどうだ、このおかずがどうだと、菊江と幸雄で取り留めの無い話で盛り上がった。
しかし、和やかな食卓の中で一人だけ、正幸だけが終始難しい顔をし続けていた――。
――入学式の翌日も、幸雄の朝は早い。
合格するために始めたからといって、もはや習慣となった早朝のランニングと訓練を止める必要は無く、今日も空気が曙色の中、幸雄は起きた。
それから幸雄はいつも通りバナナを一本食べ、重り付きのランニングを始める。いつもと違うのは走る距離だ。半分の距離で止め、早めに戻って木の人形に拳を打ち込み始める。打ち込みは普段通り、およそ一時間。
ランニングから打ち込みまで全てを終わらせる頃には、周りの家々から、誰かを起こす声や味噌汁の匂いなど、朝の気配が感じられた。
(よし……終わり)
そして、朝の気配が漂い始めるのは本城家でも同じである。幸雄が二階の自宅へ入れば、奥から正幸が怒鳴り、菊江が朝食を用意して待っている。
今までと同じ様でいて、少し違う朝。
差異が最も感じられたのは、身支度を終えて姿見の前に立った時だ。
(変な感じ……)
鏡の中の自分が首元を整える。少し不格好なネクタイは、やや不格好に変わった。そして、しゃんと背を正せば、目の前には大和魔法術学園の制服を纏った自分がいた。
濃紺のブレザーは独特な意匠が施されおり、一目で学園のものだと分かる。スラックスはブレザーを引き立たせるような灰色で、シンプルなデザイン。ネクタイはこれといって指定が無いので、菊江が上手くまとまるようにいつの間にか用意していた物を着けた。
第三者から見れば充分様になっているのだが、中学まで詰め襟の学ランだった幸雄にとって、自分のブレザー姿というのは何だか奇妙で小っ恥ずかしかった。
「慣れるまで我慢だな……行ってきまーす」
時刻は八時前。ゆっくり歩いても充分間に合う時間だが、余裕を持って幸雄は家を出る。理由は特に無い。ただなんとなく、ぎりぎりに行くのは気が引けたのだった。
※ ※ ※
のんびり歩くこと十数分。学園の最寄り駅まで来れば、生徒の数が一気に増え、幸雄はその流れに加わって歩く。しばらく一本道を行けば、すぐに巨大な校門が現れて生徒達を飲み込んだ。
生徒の流れは幾つにも分かれて、それぞれのクラスがある塔へと散っていく。その中で幸雄は一人、流れを外れドームの向こう側にそびえる学園で最も高い塔へ入った。
(――さて、ここからどうすればいいんだ?)
幸雄は塔の出入り口に立ち、塔内部の階段を仰ぎ見る。自分の目の前に伸びる階段は一つ目の踊り場で二つに分かれ、そこからそれぞれ壁に沿って上へと続いている。
どうやら、この高い塔は職員室や事務室が多いらしい。下からスーツ姿の大人達が階段を上り下りする姿が見えた。
(ここに来いって書いてあったのに……教室はどこだよ)
幸雄の目指す場所。それは当然、特別練成科の教室である。しかし、特別練成科のクラス分けの紙面には、この高い塔に来いとしか書かれていなかったのだ。
ここから先どうするかなど、幸雄は知らない。
ともかく、立ち尽くしているだけでは時間の無駄だと幸雄は考え、階段を上っていく。分からなければ途中にある職員室や事務室で訊けばいいのだ。そう思いながら踊り場を過ぎ、一方の階段を上っていくと二階にたどり着いた。
「――あれ?また一人来た!皆思ったより早く来るのねー」
二階にたどり着いた時、上から声が降ってきた。驚き見上げれば、三階から下って来たのであろう、一人の女性が階段の中腹に立ち、幸雄に笑いかけている。スーツに教員用の名札を付けているから教師なのだろうが、黒地に金糸の複雑な刺繍が施されたスプリングコートを羽織っているのが些か異様だ。
「君、本城幸雄くんだよね?」
「え、はい、そうです。あの……」
「あー!誰か分かんないよね!ごめんごめん……私は、特別練成科担任の永田美樹。今日から君の担任です!よろしくー」
その女性――美樹は幸雄の言葉を遮りながら喋り、つかつかと歩み寄ると、幸雄の手を取ってぶんぶんと上下に振った。スレンダーな二十代前半といった見た目とは裏腹に、思いの外強い力でそれは行われ、幸雄の顔が歪む。手を放されてもしばらくじんじんと痛んだ。
「じゃあ教室まで案内するから、着いてきて」
「……はい」
美樹は一切気にしていない様で、先程自分が下りてきた階段を再び上り出す。幸雄は美樹の勢いに困惑しながらも、その後に続いた。
美樹はヒールを鳴らしてテンポ良く上って行き、三階に到達すると「こっちよ」と言って、左右に伸びる廊下の右の方へ歩き出した。
この三階は、まず階段を上りきった正面に重厚な木の扉があり、その扉の前に左右に伸びる廊下がある。この左右に伸びる廊下は一階から三階まで各塔と一つなぎの渡り廊下になっており、ずっと行けば各塔を通って六角形の校舎を一周することが出来た。
美樹と幸雄もこのまま歩けば、今居る一番高い塔――『天の塔』から、右隣の塔――『火の塔』まで行くことになるが……美樹の歩みは二つの塔を繋ぐ中間、ちょうど大きな鏡が掛けられている場所で止まった。
「……はい、到着です!」
「え、教室は?」
「だから、ここ。この鏡の向こうが教室になってるのよ。ま、騙されたと思って入った入ったー!」
「えっ!?ちょ、押さないで下さ……!」
美樹に力強く背中を押され、幸雄は踏ん張る暇も無く鏡へと倒れ込む。ぶつかると思い、両手を突き出せば、ズブリ……と鏡の中に幸雄の両腕が沈み込んだ。
それは粘性の高い液体に両腕を突っ込んだ様な感覚で、硬質さや鏡の冷たさは無い。そして押された勢いのまま、幸雄は鏡の中へと飲み込まれた――。
「――……いたぁっ!」
派手な音を立て、幸雄が床に打ち付けられる。勢い良く変な体勢のまま鏡に飲まれた所為で、受け身も取れず腕をぶつけて痛かった。
「ほら、言った通り鏡の向こうがあったでしょ?さあ、立って見てごらん」
するといつの間にか幸雄の後ろに美樹が現れ、幸雄を助け起こす。
促されるまま前を向けば、目の前の光景に目を見張った。
――鏡の向こう側は小さな講堂だった。
上下する二枚の大きな黒板を上手に、横長の机と椅子が縦二列、横三列の扇状に配置され、左右の壁には明かり取りのための巨大な窓が室内を暖かな光で満たしている。
天井は高く円天井で、天井と壁の境目である廻り縁には精巧な彫り物が施されており、この講堂が文化的価値が高いことを示していた。
「――なかなかでしょう?これが、君が四年間お世話になる教室だよ。……じゃあ、私はまだ来てない子を迎えなきゃ行けないから。訊きたいことがたくさんあるだろうけど、後で説明させてね!」
そう言うと、美樹は講堂の壁に掛かった鏡――先程幸雄が通った廊下の鏡と全く同じ物の中へ姿を消した。幸雄が見るに、廊下の鏡とここの鏡は一組の魔道具のようだ。おそらく空間と空間を繋げる魔法が込められた、かなり高性能な物だろう。その証拠に講堂の窓の外、大分離れたところに天の塔が見えている。この講堂は学園の敷地のどこかにひっそりと建っているらしい。
「本当に凄いな。この学園」
思わず感嘆の声を上げる幸雄。この講堂にせよ鏡の魔道具にせよ、この学園は想像を簡単に越えてくるものだから驚くことが多すぎた。
「……それだけ学園は重要視されているのよ。国からね」
意外にも、幸雄の独り言に答える声があった。一瞬びくりとしたが、幸雄はその平淡な響きをすぐ思い出す。しばらく前に聞いた声だ。
そう言えば、美樹が「また一人来た」と言っていたなと考えながら、幸雄は口を開いた。
「……よぉ。久しぶりだな、司。入学式に居なかったから落ちたかと思ったぞ?」
幸雄は振り返る。入試の時と言い、今と言いこいつは気配を消すのが上手い。
「久しぶりね。……入学式は、面倒だったの」
「はは!なんだよそれ!普通でるだろー」
幸雄が振り返った先には鈍色の少女――天道司。彼女が相変わらずの無表情で立っていた。
第9話を読んで下さりありがとうございました!
書いてて、あれ?あれ?ってなる回でした。難産……。中々書きたいことが上手くいか無かったです汗
とりあえず、特別練成科の担任さんと教室が分かりましたね。次回はちゃんと特別練成科について説明してもらいたいと思います。
では、また次回に!