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ほのぼの・コメディ

まだ乙女にはなれなくても

作者: 花しみこ




「いーのちぃ、みじーかしぃ」



 誰も居ない体育館の脇、ゴミ捨て場で、口ずさみながら未晴はカラス除けの金網を開けた。


「こいせよおとめー、」


 最近のポップソングの、息せききって歌うような調子は、元気なときじゃないと疲れてしまう。学校終わりの今はもうそんなエネルギーはない。もちろんポップソングに静かなのもたくさんあるけれど、歌謡曲といえばわかりやすいか、ゆったりしたリズムが今は心地よい。

 けれど口に出すと、音痴なのがわかりやすい。誰もいなくてよかったと苦笑した。

 音楽には詳しくないので、歌謡曲なんて言っても数は知らない。この歌を知っていたのも、ただ未晴が好きな絵の註釈に書いてあったからだ。

 命短し恋せよ乙女、いつもは漏れない鼻歌がついつい出てしまったのは、この学校がまさに恋せよ乙女と盛り上がっているからだろうか。




 季節外れの転入生は、恋の嵐を呼び込んだ。


 乙女ゲームみたいと言ったのは誰だったか、この学校には五人の人気者がいた。彼らはそれぞれ百名ほどのファンクラブを持ち、それぞれ日本有数の才能や立場を抱える美形たち。

 全員がアイドルに熱狂するような異様な光景はないものの、狭い校内で身近に存在している感覚は「私が守らなくちゃあ」という気持ちを呼ぶのだろう。数の暴力はなけれど、はたから見ているとなかなか狂信的で、恐ろしい集団である。

 未晴はあまり噂に詳しくなく、アイドルの名前も覚えられない方だ。よく話題に出るので、みんなが呼ぶ呼び名くらいは顔と一致させて覚えているけれど、常識のように語られるクラスや部活については言われて「ああそうだったね」と思い出す程度にしか知らない。

 そんな五人の人気者は、転入生がきてひと月も経たないうちに彼女に惚れ込み、熱狂した。未晴には、彼らの行動は「うざい」「こっちのことも考えてくれ」と評したファンクラブと同じに見えた。

 ファンクラブ全体をひとつとして見るなら圧力とスペックが違うけれど、個として見るなら行動はあまり変わらない。あまり変わらなくても、やる人と受け取る側の気持ちが違えば、全く違うものになるのだ。それは未晴を少し愉快な気持ちにさせる。ただしイケメンに限るとか、著名人の成功論とか、そんな感じの実現。

 まして恋はタイミング。同じ言葉を投げかけるのでも、受け手の気分で評価は変わる。

 そのタイミングを見事に捉えた転入生がモテるのは当然といえた。


 さて、有名人五人が転入生に夢中になっているのもそうだが、彼ら以外にも恋の嵐は吹き荒れた。

 身近なアイドルの恋愛沙汰に、今までの熱狂はなんだったのかと冷めてしまう子も多かった。失恋には付け込みやすい、情熱を傾けていたものを失った女子たちに、諦めかけていた男子は大奮闘。文化祭の時期にはそのフィーバーも合わさって、告白とカップル成立が日常茶飯事となっていた。


 まさに、恋せよ乙女。いや、恋せよ少年少女。


 そんな中、未晴はどうも恋愛に怖気づくタイプで、歌っておきながらあまり恋せよという気持ちにはなれないままだった。

 放り込んだごみが倒れないのを見守って、金網に簡易なカギを掛ける。がちゃん、と、むなしい音が響いた。溜息ひとつ。


「そもそも、乙女という位置付けに居られる気がしない……」


 若い未婚の処女というだけならぴったりだろう。しかし未晴のイメージする乙女は、なんというか、もっと可憐で恋愛体質で、とにかく自分を乙女と称するのは違うように思う。

 横の体育館、その裏では今日も告白がされているんだろうか。こんなに近いのに、遠い場所だ。


「恋愛に興味がないわけじゃあないんだけどなあ」


 年頃の少女らしく、興味はある。けれど未晴のそれはスカイダイビングや一人海外旅行に向けるものと同じで、非日常、ハードルが高すぎる。

 んむむ、唸ってもどうしようもない。片思いしてみようとしても、「あの人は今何してるだろう」とかずっと意識していられないのだ。見てかっこいいと思って、近づきたいとも知りたいとも思わない感情、それを恋とは呼べないだろう。


 はあっと溜息を吐いて、教室に足を向ける。校門に向かう途に、話題の五人と転入生が見えた。五人の一人と目が合う。

 黄崎遊真。女好きの遊び人。今はたくさん居た女の子を全部切って転入生に夢中。

 公言していない、未晴のいとこだった。

 友人ほどにも仲良くない、長い付き合いがあるだけの彼に会釈もせず、ついと視線を外す。一対五、彼ら全員が同じ幸せを手に入れられやしないだろうが、今は幸せそうだ。何より。


「命短し、恋せよ乙女……」


 今度は歌うでもなく呟くと、後ろから笑い声が聞こえた。振り向く。立って居たのは見知った顔、未晴は口を尖らせた。


「なぁに、委員長。」

「ごめんごめん、かわいかったから。」

「お世辞じゃあごまかされないよ」

「お世辞じゃないって。」


 お世辞じゃないと言われても、未晴には自身のかわいいポイントが見つからない。

 さすが大人っぽいと評判の委員長、お世辞を言うにも照れないのか。

 委員長こと宇野遼平は、有名人五人のように飛び抜けた美貌を持ってはいない。未晴にも馴染みやすいフツメンで、穏やかな優しさは多くの人に慕われている。

 乙女ゲームの攻略対象なら地味過ぎてクビだろうな、と思って見つめていると、委員長は童顔を苦笑させて首を傾げた。


「僕の顔に何かついてる?」


 そういえば、高校生で自分を僕と呼ぶ子もそんなに多くない。未晴は「べつに、親しみやすい顔だなあと思って」と笑いながら、一人称が僕の人間を思い返した。中学のとき、同級生にも一人いただろうか。それ以外はみんな、大人しい子もおれって言ってた気がする。

 高校に入ってから僕人口は少し増えたけれど、やっぱり子どもっぽいと思って忌避してしまうんだろうか。自分は一人称が僕のひと、結構好きかもしれない。どうでもいいけど。

 

「そういえば。委員長、どうしたの? ごみ増えた?」


 先ほど捨てたごみは三袋。未晴一人で持っていけそうだったので、他のみんなには帰るように言い一人でのんびり歩いた。個人的な用事で掃除当番に遅れた代わりの罪滅ぼし、押し付けられたわけではない。

 尋ねると遼平はゆるやかに首を振った。日に当たると、彼の髪は茶色く光る。


「飯塚さん、なかなか帰ってこなかったから。どうしたのかなって心配になって。」

「えっ、なんか用事だった? ちんたらしててごめん」

「ううん。僕が勝手に……、一緒に帰りたいなって」

「いっしょに」


 ……一緒に?

 ぱちくりと瞬くと、委員長は困ったように笑う。一緒に帰るの? なんで?

 思ったけれど、口にするのはどうにかこらえた。

 耳が赤くなってるのが見えて、困った笑みは照れていたのだと未晴は気付く。

 スカイダイビングだ。咄嗟に思う。非日常が目の前に来た。どうするか、どうすべきか。ヘリコプターに乗せられた気持ちだ。いやまだ確定はできない、何か相談事があるのかもしれない。……なんで未晴に?

 混乱しきりで「ええと」「そうだな」となんの意味もない言葉をぽろぽろ落として、そのまま会話にのりだした。


「わたし乙女じゃないけど」


 何度も言うようだが、それの前は恋せよ。せっかくヘリコプターのドアを閉めたのに、飛び降りること確定のような言い方ではないか。

 すぐさま後悔したけれど、遼平はその無作法を咎めることもなく、「ああ、さっきの、命短しってやつ?」とまた笑う。


「僕は充分乙女だと思うけど、そうだな、乙女がいやならそれでもいいよ」

「いいよって……」

「乙女じゃないなら、『命短』くないんでしょう。それなら焦らずに、ゆっくり『恋せよ』ってことで」


 だから花でも美人でも乙女でもなくていいよ、と。それはまた、なんというか。


「強引な解釈だね……?」


 納得しきれず首を傾げると遼平は「ふふ」と品良く笑った。優しくて、少し困ったような笑い方だ。

 いとこの顔は極上に良いけれど、これほど雰囲気はないなあ、と未晴は思う。それから、こちらの方が好きだなあ、とも。なんとなくつられて微笑んでしまう押し付けがましくなさは、ある種才能だろう。

 遼平は、いやじゃなかったら、と控えめな前置きをしてから、未晴に手を差し伸べた。


「『今日はふたたび来』ないから、一緒に帰ろうよ」


 ね、と再度の念押し。遼平はしれっとヘリコプターのドアを開いて、教室にでも入るみたいにタンデムダイブを誘ってくる。

 いや、もしかしたら、ほんとうは教室に入るくらいのことなのかもしれない。乙女ゲームとか、少女漫画とか、スカイダイビングとか、そんな特別なことじゃなくて。

 少し考えて、未晴はうんと頷いた。手を握る勇気はなかったので、隣に並ぶ。

 肯定の返事に、委員長は柔らかい微笑みを返して、残念そうなそぶりもなく自然に手を下ろした。ほんのり色付いた彼の頬を見ながら、ゴンドラはそれほど早い乗り物ではないな、と未晴は思っていた。

 乙女の恋は駆け抜ける、激しいものだとやっぱり思う。この血潮は熱くないし、ほのおもきっと灯っていない。

 みんなを駆り立てる「恋」に対して、得体のしれない恐ろしさはまだあるけれど、でも、ゆらゆら揺れる小さな小舟に乗り込むくらいなら、未晴にもできるのかもしれなかった。さらりと視界の端で揺れる、この黒髪が褪せないうちにも。









テレビから「ゴンドラの唄」が聞こえたので、書きかけだったものを完成。

「小話まとめ」に後日談があります。

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[一言] 小話の続編込みで好きです。
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