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1話 相即不離の少女たち



「かみさま?」

「そう、ワタシは神様」


 髪も、肌も、瞳も、服も白い、女の子だった。

 どこか不貞腐れているようにも見えるその表情。どこから吹いているのだろうか、短く綺麗な髪が風に揺れ、その表情を覆い隠さんとする。


「――さみしそう」

「……え?」


 口をついて出た言葉に、神様はまるで不意打ちでも食らったかのような表情を浮かべる。

 そして次に、こう問うた。


「寂しそうって、どういうこと? ねえ、キミには――キミにも、ワタシは寂しそうに見えるの?」

「え、なに、わかんないよ」


 急に問い詰める神様を、わたしはただ変な人だとうるさがる。


「なんなの……みんなしてワタシのことを寂しそう、寂しそうって」


 女の子はどこか怒っているように見え、しかし同時に、泣きそうにも見えた。その表情がわたしには、寂しそうに映ったのかもしれない。


「そうだ。ねえ、キミ。何か願い事とかない? ワタシは神様だから、叶えられることなら叶えてあげる」

「? かみさまって、なんでもかなえられるんじゃないの?」

「努力はするけど、なんでもじゃないの。キミの願いは、かなえられることかな?」


 女の子が初めて見せた笑み。それは笑顔なのに、どこか暗く、影がある。ニタリという音が聞こえてきそう。そう、それは意地悪な笑みだ。


「うーんとね……ねがいごと、うーん」

「……? どうしたの? なんでも、は無理だけど、言うだけならタダだよ?」

「うーん」


 そうは言われても、わたしには。


「えっとね、かみさま」

「うんうん、なあに?」

「わたし、かなえてほしいねがいごととか、ないよ」

「――え?」


 不意打ち再び。先程よりも長い硬直。どうしたのかな、なんて思っていると、その体は次第に震え始める。


「ね、願い事が、無い? どういうこと……だって、人間は、欲だらけで、それは子供も変わらないはずで、」

「どうしたの? どこかいたいの?」

「痛い? ええ、そうね、痛い。痛いわ。キミのせいで、ワタシは……」


 わたしの、せい?

 何か酷いことでも言っただろうか。願いが無いというのは、人を傷つけることなのだろうか。


「ごめ、ごめんなさい、ごめんなさい。いたいの? ごめ――、」

「……いい加減に、してっ!」


 痛いところを撫でてあげよう。そう思ったのだが、その手は神様に弾かれてしまう。痛い。痛かった。

 流石にやり過ぎた、とでも思ったのか、神様は「あ、」なんて声を漏らす。


「いたい……」

「ご、ごめんなさい。ちょっと頭に血が登っちゃったみたい。痛い? どれくらい?」

「いたい……えへへ」

「――――? どう、して、笑ってる……の?」


 痛い、けれど、嬉しい。


「かみさまと、おなじ、いたい! みんないたければ、いっしょ、こわくない、いたくない!」

「――――」


 途端、神様はわたしから距離を置き始める。まるでわたしを恐れるように、怯えるように。


「なん、なの。おかしい、おかしいよ……もう、いい。帰って」

「え?」

「ここからいなくなって!!」



 ――――。

 目が覚め、ふと見た枕元。

「……あおい、?」

 そこには、青く透明な、中に紙切れの入った、手のひらサイズの瓶があった。


 ◆


 一人、空を見上げていた。

 昔は空なんて大嫌いだった。手の届かないものなんて全部、全部嫌いだった。

 しかし今は、その空に手が届く。日差しから目を守るように掲げていた手を下ろし、日傘を開く。すると少女の体はふわりと浮かんだ。


(ほら、こうすれば、届かないと思っていた空にだって手が届く)


 そびえ立つ摩天楼よりも遥か高く。介在するものは風しかない空で、しかし少女は上を見る。上がある。その頂点には、やはり眩しい太陽がある。


 少女は、満たされなかった。

 追い求めていた空に届いたはずなのに。そこにはさらに上があって。

神様が、本当にいるのだとしたら教えて欲しい。


(世界の果ては、どこにある?)


 浮遊を終えようと落下を始め――異変に気づく。

 爆音。崩壊。振動。瞬く間に起こったそれは、摩天楼の一部を瓦解させていく。

 この世界の住人であれば、それがなにを示すかすぐに察しがつく。


「ハエ……!」


 少女は視線を下に向け、そこに見慣れてしまったスライム状の化物がいることを確認する。このビル群の中、どこから現れたのだろうか。今と同じように建造物を崩しながら近づいてきたのであれば、音で気づいたはずだ。だがそれを聞いた覚えはない。

 いつもそうだ。彼らは音もなく現れ、暴れ始める。そして闇雲に人を襲い、あるいは喰らっていく。


 それも、数年前までの話。


「まったく、感慨にふけることすらままなりませんね」


 落下を始める際に閉じた純黒の日傘を再度開く。それこそが少女の有する力、少女の羽根。

 それはまるで、色と相まって悪魔の翼のようだ。


 目視できるのはたった一匹のみ。図体ばかりがでかいソレも、複数を相手取るのでなければ苦しいものではない。

 少女の場合は、複数が相手だとしても後れを取ることもないが。


「おそらく姉さんも気づいて、今こちらに向かっているのでしょう」


 だが、


「あの人の手を煩わせるまでもありません」


 そして少女と、ハエと称される化物との距離がすぐそこまで迫ったところで、少女の持つ日傘が、触れ――、


「――潰れてしまえ、化物ッ!!」


 ドゴン!! ぶちゅり。見た目通りの音を立て、まるで見えない巨大なハンマーにでも押しつぶされたかのように、ハエは木っ端微塵に弾け飛んだ。

 後に残るのは、質量に押し負け砕けた、コンクリートの地面のみ。

 それと同時、声が響いた。


「……もう、終わったのか」

「っ、姉さん!」


 地面に降り立った少女は声がした方に振り向き、そこに目当ての姿――ジャージにプリーツスカートを併せ、髪をポニーテールに縛った眼鏡の少女だ――があるのを見ると体ごと、ばふ、と突っ込んだ。


「クルリ、怪我は?」

「ご心配なくっ! 傷どころか、指一つだって触れさせませんでしたとも!」

「そうか。……よかった」

「――ッ!!!!」


 よかった。そう呟いた瞬間、わずかに笑顔が浮かぶ。それを見た……見てしまった少女、クルリは体を震わせる。


(ああ、ああ! 姉さんの笑顔、微笑みッ!! というかドサクサに紛れて抱きついちゃったけど柔らかい! 姉さんの体……麗しい肢体……っ!!)


「くハァ!」

「え……ちょ、クルリ? うわ、鼻血……またいつものか? それなら大丈夫だとは思うし、倒れても構わないけど……よいしょ」


 眼鏡の少女は、クルリの傍に落ちた日傘を拾い、


「これだけは手放しちゃ駄目だろう……」

「あ、アハ……体験、貴重な……ああ、ありがとうございます……」


 手渡された日傘をクルリが握り、倒れた姿勢からふわりと起き上がる。未だに鼻血が流れるものだから袖で拭うと、ハンカチが差し出された。


「それ、クルリの悪い癖だ」

「えへへ……でもほら、わたくしの服は黒いし、目立ちませんよ?」

「そういう問題じゃない」


 ハンカチを受け取らないでいると、そのまま直接鼻元を拭われ――、


「あはァッ!」

「えっ」


 余計鼻血が吹き出してしまい、より酷い結果となった。

 そんなやり取りを終え、クルリは尋ねる。


「そういえば姉さん。ビルが崩れる音がしてから到着まで、ちょっとだけ遅いように感じましたけれど、何かあったのですか?」

「あれ……三秒も遅れて無いと思ったんだけど」

「わたくしにはわかるんです」

「……そうか」


 神妙な顔もまた、クルリとってはたまらない表情である。


「ちょっとした迷子を見つけて。ここに来る時置いてきちゃったから、今から迎えに行こうと思ってた。一緒に来る?」

「姉さんが一緒ならばどこへでも!」


 そして、クルリは出会うことになる。

 自身が姉へと向ける愛。その恋路に突如として現れた闖入者、というか邪魔者。


「あ、ああああの、えと、はじ、初めましてぇ!」


 妙に早口で、噛みまくりで、挙動不審な見慣れない顔の。

 ――下草タスクという少女に。


 ◆


 かつて、この都市には『釜戸市』という名があった。都会と呼ぶには一歩足りず、されど田舎とも呼べぬ中途半端な、人ばかりが多いこの都市は、いつからかハエと呼ばれる化物の巣に成り下がった。


 ショウがこの都市を訪れたのは歳にして九つ。直前に起きたショッキングな出来事のせいか、流れ着いた当時の記憶は曖昧である。ただ、かなり取り乱していたことだけは覚えている。

 視界に入るすべてに当たった。九歳の少女が覚えるには早すぎる怒り、失望。そして虚無感。それらを闇雲にぶつけ、


(あたしは、受け入れられた)


 帰る家も無く、頼る筋も無く、そんなショウを受け入れてくれたのは、ショウと同じくらいの少女を娘に持つ家庭だ。


 ――本当に、ここにいて良いんですか。

 ――ありが、とう。


 記憶の海に沈む少女は、その家庭の温かさを思い出すと同時、暗い感情も覚えていた。

 ギリぃ……という歯ぎしりと共に溢れる言葉。


「ハエを、殺す」


 殺す。許されざる存在を。

 いつからかこの都市はハエの巣になったと言ったか。ハエとは、スライム状の体を持ち、体表に水色や紫色のまだら模様を浮かべた気味の悪い化物だ。大きさは様々で、手のひらに乗るようなものもいればビルにも勝ろうほどの大きさを持つものもいる。

 この都市は、そんな化物が不意に現れる巣なのである。

 すでに人がいなくなって久しいこの都市には、ショウを拾ってくれた家庭もあったのだ。

 ――彼らが住んでいた家は。


「…………」


 無残に潰れ、そのままとなった一戸建ての家の前。その表札には『立木』とある。

 それが、温かな家庭が持っていた共通の名だ。


「おじさん、おばさん。家、直してあげられなくてごめん」


 いつもと同じ謝罪。いつもと同じ、淡々とした口調。何度も何度も繰り返してきた謝罪にはもう、感情の色は見られない。

 しばらくしてショウは踵を返し、その家に背を向ける。


 ザッ、ザッ、ザッ、ザッ――瓦礫によって生まれた砂を踏みにじり。

 タッ、タッ、タッ、タッ――ゆっくりとした歩調は、いつの間にか駆け足に。


(ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……っ)


 いつも。家を前にしているときは平気なのに、そこから離れようとすると涙が溢れて止まらないのだ。滲む視界には荒廃した都市しか映らず、温かさなど微塵も感じることはできない。


「こんな、世界で――」


 どう生きろと。


 そうして思考に囚われていたからか、すぐ目の前に何かがあるのに気付かず、勢い良くぶつかってしまった。


「いッ!?」


 ぐわぁん! と鈍い衝撃が額を中心に、全身へ広がっていく。そこには電柱が立っており、それにぶつかったらしかった。

 倒れそうで倒れない、そんな電柱を見上げつつ、ショウは「は、はは……」と自嘲を含んだ笑みをこぼし、


「――あの、大丈夫ですか?」


 と。とてもか細い声をかけられた。

 大丈夫ですか、と問うているのはあちらのはずなのに、思わず、おまえこそ大丈夫かと問い返しそうなほどに頼りない。目端に浮かぶ涙を吹き、声のした方を向けば、そこには、見慣れない少女がいる。


「わ、わわわ、額真っ赤に……えっと、ガーゼ……あるわけない、あの、い、痛いですか!?」

「え、そりゃあ、まあ、痛いには痛いけど……」


 けど、大したものではない。しばらく腫れるだろうが、痛みはじきに引くだろう。

 ……そんなことよりも。


「おまえ、誰?」

「えっ、え? あ、わたし? ええええっとその……その前に聞きたいことがぁああああ、あ、わたしは、その、タスク! 下草タスクって言います!」


 忙しない。一語一語口にする度に体のどこかが動いている。呂律も回っておらず、どうにも様子がおかしい。

 もしや、とは思うが。


「ハエの仲間……?」

「ん? えぇ? もしかしてわたしのことですか……? いくらなんでも、タスクって名前からハエを連想するのはおかしいと……ぉおおおお違うんです違うんです別に否定するわけじゃっ」

「…………。じゃあ、タスク。おまえは、どこから来た……?」

「どこからって……えっと――」


 そして、タスクは奇妙なことを口にする。


「――『釜戸市』です」


 それは、この都市がかつて冠していた名であり、そしてとうの昔に失われた都市の名である。

 この少女は、いったいなんなのだろうか。


「えっと、その……わたし、迷子になっちゃったみたいなんですけど……ここって、どこなんでしょうか……?」

「迷子……?」

「ええ、まあ、恥ずかしながら……」


 迷子。釜戸市から来たと語り、ハエの巣となり人のいなくなったこの都市を闊歩する少女。


(なんか、厄介なものを拾ったな……)


 直後――、


「っ!?」

「わ、わわわわ!?」


 地響きと共に、遠方から建物が崩れる音が聞こえる。方角は、


「クルリが向かった方か?」

「え、えと、ななななんっ、なんですかこれっ!?」


 すぐに向かおうと踏み出しかけたが、今はタスクがいることを失念していた。さすがに連れて行くことはできないし、だが置いていくのも少々躊躇われる。

 しかし、迷ったのも一瞬。得体の知れない少女ではあるが、だからこそショウにとっての優先順位は低い。


「タスク、ここから動かないで。すぐ戻ってくるから」

「へ?」


 ショウは舌の根も乾かぬ内に――光よりも速い一歩を踏み出した。




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