日陰ケ森の感化院 小夜物語 第54話 (第8話「避病院の思い出」の続編)Penitentiary in a shadow of forest
小夜物語 第8話 「避病院の思い出」 の 続編です。
Penitentiary in a shadow of forest
小夜物語、小序
誰にだって語りたい物語はある。
誰にだってその人しか語れない物語がある。
誰にだって物語はある、語りたい物語はあるんだよ。そうだろ?
心に秘めた一つの物語がある。
だから、私がもしもかたらずに死んでしまったら
その物語をだれが語れるというのだろう。
だから、、どうか私に語らせてくれまいか?
遠い日のそれは幻想の物語?
あるいは実在しない物語?。
いいや魂の本当の物語なのさ。
塵は塵に帰り、
灰は灰に戻る
だから、
覚えておいてほしんだよ、
私の物語を、
忘れないでほしんだよ
この物語を。
私がいま語らなければこの物語は風化して
消え去り、灰に帰ってしまうんだよ、
だから私が語れるうちに語らせておくれよ、
私はもうじき、語れなくなってしまうんだから。
私が語り継ぐことによって私の物語はそうしてかろうじて、永遠性を
まとうんだろうからね。
誰かどうか私の物語を覚えておいてほしいのさ。
頭のほんのすみっこでいいからさ。
そうすればどうにか私の物語は消えずにすむんだから、
それでこそ私が語り継いだ意味も価値もあるんだから。
私にしか語れない物語がある。それは遠い消え去った故郷の原風景。
今はもうどこにもない異空間世界。
今、もし?私が語らなかったら、それはなかったことになってしまうような物語。
だから私にそれを語らせてくれないだろうか?
語りたいんだよ、
だってもし私が語らなかったら全部なかったことになってしまうんだよ。
そんなのって私は我慢できないんだよ、
確かにこれらの人々は生きていたし
痛みもその体に感じていたんだよ、
でもあまりにも無名の十パひとからげの庶民だから
まるで最初からいなかったかのごとく
記録からも抹消されて消えてゆくだけなんだよ、
だから語らせておくれよ。
だって私はもう老い先が長くは無いんだよ、
できるうちに
手が動くうちに
ボケないうちに
どうか語らせておくれよ。
この人たちには確かに生きていたんだよ、
無名の庶民で名もなき人々だけどね、、。
え?
それで、、、どういう人たちだったかっていうのかい?
そうかい、、、じゃあ聞いてくれるんだね?
じゃあ思い出の糸を手繰って語ってみようかね?
森の奥深くにその「感化院」はあった。
もちろん当時10歳だった私がそれを感化院だったとは、知るはずもなかったのは事実だったが、、。まあそこが感化院として使われたのもほんの一時的だったようですから。
昭和30年のとある田舎の県のさらに僻地の開墾地です。そこの、
雑木林の奥深く、、木々に覆いかぶされるように、細い山道が樹間を縫ってうねうねと続いている。
その道をたどるとやがてぽっかり開けてそこにいかめしい高い塀に囲まれた、白亜の洋館が出現するのです。その驚きはまるでタイムスリップしたかのようでしたね。
「え?なんでこんな洋館がこんな田舎の森にあるの?」
しかも昭和29年ですよ。
さて、、、
村の少年たちにとってはそこはあくまでも「避病院」だったのだ。
そもそもこんな山間僻地の開拓村に、なぜあんな白亜の洋風な避病院があったのか?
しかも昭和29年ですよ、廻り中はまだわらぶきの農家もあった時代ですよ。そこにあの、19世紀フランス風の白亜の洋館ですよ、
あまりにも不釣り合いすぎるでしょう。
ミスマッチ極まれり?という感じですよね。
というわけでその建物は存在自体が一種異様な雰囲気だったことは言うまでもなかったのです。
まあ今こうして年取り、わかってしまえば、なあんだそうだったのか、
と、すべて納得できることばかりなのだが
当時全く、無知な10歳の田舎少年にわかろうはずもなかったのは言うまでもない。
避病院とは今でいえば公的な「隔離病舎・病院」である。
明治にできた法律で、特定伝染病患者を強制的に隔離するために各都道府県に設置が義務付けられた「隔離病院」が避病院なのである。天然痘・コレラ・チフスなどの危険な伝染病患者を隔離するための専門病院・病舎であるから
当然、、町中に作れるはずもなくほとんどが、その県の僻地とか、山間部とか、要するに人里離れたところに作られたものだったのだ。
それがたまたま私の生まれたこの田舎の地方県では、「開墾地」のはずれの森の奥にひっそりと、あったのだった。
ただし、この避病院なるものは戦後、ほぼ全国的に、休業状態?になり、私の村のはずれにあるこの「避病院」も、当時はもうすでに、その役目を終えていてほぼ空き家、、廃屋状態だったのだ、
最も戦後すぐのころは、大陸からの引揚者が一時収容施設として利用して住んでたりとか、
あるいは、
本来の伝染病患者ではなくて精神病患者の収容施設として流用されたりもしたらしいのですね。
そうこうするうちに昭和30年代ともなるとほぼ隔離病舎としての存在価値はなくなって全国的にほぼ空き家となってしまってやがて、ほとんどが、取り壊されたりしたようですね。さて私の村の避病院は、取り壊されることもなく、その当時まだ、まだ白亜の威容を誇っていました、
で、その空き家となった避病院の建物はそりゃあ、県が作ったものですからこんな開墾地にあっても、
白亜の洋風の実に立派な病院の建物の威容を誇っていたのでした。
木造洋館で、ここが避病院でなかったら、それこそ保存して文化財にしたいようなそれほど素晴らしい洋館でした。
周りは高い塀で囲まれており、その破れ目から、
空き家となった避病院に村の少年たちがそっと入ってみたことがありました、。屋根は赤いスレート葺きでして、、。
白いペンキが外壁には塗られて立派な洋風な玄関があり、そこを入るとピロティ?というのか大理石?が敷き詰められた広い土間がある。
うえを見るとシャンデリア?があって、、。
土間の先には、廊下が続いていて、病室とか院長室とかの名札?がかかっている。廊下も全部白塗りでしたね。
窓枠も白いペンキが塗られていて鉄格子のはまった窓ガラスがはまってる。
白いドアを開けて、病室に入ると、白く塗られた鉄製のベッドがひっくり返って、まだ、おいてあった、白い琺瑯の洗面器がまだ隅には転がっていた。。
そしてトイレに入ると、真鍮の水道栓のところには、クレゾールの茶色い薬瓶が転がっていた。
クレゾールの瓶のふたを開けると、ぷうんとあの独特の病院臭が鼻をついた。
院長室?に入るとそこには薬だなや、ロッカーもあって、
まだ当時、無知な少年には、わけのわからない茶色い薬瓶がぎっしり入っていたっけ。ピペットもあったし、乳鉢もあった、薄青色のガラス製の太い注射器もあった。
そして、
たしか?モルヒネとか、ヒロポンの空き瓶もあったような気がするんだが??
誤記憶だろうか?
そしてロッカーには、罹病記録とか墓籍簿?なんていうのも放置されていたような??気がするんだが?
まあすべて私の幻想なのかもしれませんよね?
ところでこんな立派な洋館を空き家にしておくのは何とももったいないので?たぶん?当時の県の厚生課?が
その建物を「感化院」に転用したというのが真相だったのでしょう。
あくまでも私の想像ですけどね。
そもそも感化院とは明治にできた少年法に基づく少年教護施設であり
その後法律も変わり、昭和にはすでに少年院と称されていたはずなのだが、、村ではいまだに昔の呼称である「感化院」が広く流通していたのですね。調べたところ正式には「少年教護施設」というらしいですね。
でも村で古老に尋ねれば、いまだに「感化院」です。
。
まあそれを知ったのはそれから50年後に、私がネットで、資料を調べてやっとわかったというのが事実でしたがね。
当時の少年だった私が知る由もありませんでいたね。
もともと隔離病舎です、今の言葉でいえば「迷惑施設」ですよね?
しかも明治とか大正の当時の医学では治せないほうが多かったでしょうし、伝染病で収容してもあえなくなく、死亡という患者も相当数いたでしょう。というかほとんどが、死んでしまった?といったほうが正しいのではないでしょうか?
で、その大量の死骸は伝染病菌がのこってるわけですから、避病院に隣接する火葬場で直ちに火葬されたようです。赤レンガやコンクリート製の
火葬場併設というのが多かったといわれていますね。
わが村の避病院にもそんな、赤レンガの小屋?みたいなのが病舎から離れた雑木林にあったようなおぼろな記憶がありますね。
そして避病院が実際に活用されていたころには、、つまり明治・大正頃ですね。
時々、、雑木林の奥からは、黒い煙が登り、人肉を焼くような異臭がしたとも古老が言ってましたから。
その遺骨は❓遺灰は?さあどこに埋葬したのでしょうか?
村の古老によるとあの沼に捨てたんじゃないか?なんて言ってましたがさて真相はどうだったのでしょうか?今更確かめるすべはありませんよね。
おそらく避病院のそばの雑木林に墓地というか遺灰埋設場所を作り、そこに、埋められたのでしょうね?
そういえば雑木林の奥に、、なんか墓石❓供養塔?みたいのがあったようなのを見たような?気もします。
ということでここまで書いて来ればなんでこんな立派な白亜のすごい立派な病舎の建物が
こんな山間僻地の県庁所在地から遠く離れたこんな開墾地のしかも雑木林の奥深くに立っていたのかということが、、その理由がもうお分かりですよね?
こういう施設を町中になんかいくら当時といえど作れるはずがありませんよね?
さてその避病院が戦後は空き家となって放置されて開墾地の私の村の場合はですね、その再利用として一時的に、「感化院」として使われたようなのです。「感化院」とは今でいう「少年院」です。
さてわが村の避病院が感化院として一時的に使われたのは
昭和30年ごろだったようです。
もともと隔離病舎ですから窓には鉄格子がはまってますし、表現は悪いですが、監獄のような部屋づくりなのです。
感化院としてつかわれるようになった頃も、村の少年たちにとっては全く隔絶した施設であり。実態はすべて謎であり、
高い塀と鉄格子のはまった避病院でありますから、、そもそもが、村との交流は皆無であり、それどころか村の少年たちにはそこがなんであるかという情報すら、かん口令が敷かれて伏せられていた?ということでした。
子供のころの私たちの認識ではそこはなんだか触れてはならないような妖しい?病院?だったのです。
だから私たち村のこどもがですよ、そこが、いつの間にか?感化院に転用されていたって知るはずもありませんよね。
今のように住民への事前説明とか周辺住民の理解と承諾なんてありえなかった時代ですからね。
だから、。そこを相変わらず避病院と呼んでいましたが実際はそこは一時的に、感化院だったというのが50年後にわかったことなの、ですね。
そもそも、
本来の避病院としてはたぶん私たちの村にできたのは明治時代頃だったようです。
その後、そこが老朽化すると、修繕されたり、やがて解体・改築されたりして、私が少年時代に見るような全くこんな僻地に似合わないような白亜の洋館?がたてられたのは、昭和初期らしいんですね。
避病院時代には。やはりそこから患者が脱走して雑木林に逃げ込んで行方不明になったりしたこともあったと村の古老が言ってましたね。村人が山狩りに協力して、やっと見つけた時には、沢の奥に水死していたという話も残ってます。
あるいは患者が逃げ出して雑木林の奥で、木の枝に首をつっていたという話も聞いたことがあります。
実はこの雑木林なんですが、平たん地ですがところどころこんもりと高さ1~2メートルくらい盛り上がってるところがあるんですよ。そういう小山、、というか土饅頭があっちにもこっちにも、、こんもり、、こんもり、、
こんもりあるという不思議な地形?
田舎の無知な少年の当時の私は知りませんでしたが、
それは実は6~7世紀ころの群集古墳群なのです、ここはそういう群集古墳群が記録によると200以上あったというまあ、古代の共同墓地だったんですね。
みんな小さな古墳ばかりです、最大でも高さ2メートルくらいです、ほとんどは高さ1メートルもありません。小さな古墳ですね。雑木林を見渡すとあっちにもこっちにも、こんもり、、こんもり、
一種異様な光景?ではありますね。古墳といっても何ら史跡指定もされてませんし指定するほどの価値もありません。雑木林は民有地ですし、所有者がそこを、それらの古墳を壊そうがあるいは、均して、どかそうが、畑にしようが、なんら、一向にかまわないのです。たぶん、人骨や副葬品も99パーセント出てきません。全くの無名の田舎の1400年前の群小古墓ですからね。
でもこれらのあの雑木林のこんもりした小山のあっちにもこっちにも、続くあの風景はこれが私の原風景として今も。、目の裏に焼き付いてるのです。
わたしにとっては今でも、一種のトラウマですね。
こういう古代の墓地に今度は明治には、避病院ができるって?
極端なことを言えばこの地はケガレ地だったのでしょうか?
そういう施設を呼び寄せてしまうような?
そういう因縁というのか?
確かに私の村では、自殺者や、変死者、、狂死者が結構多かった?ような気がしますね。今、つらつらと思い出してみれば、、。
そして、、
我が家も父が大けがしたり、母も大けがしてますし。
兄は生まれて2歳で、病死してます。
私もあわや即死という事故に間一髪、逃れたという記憶も何度かありますね。今思えば、、私は何かに?
守られていた?としか思えないのですよ。
何か?なんでしょうか?先祖霊?それとも守護霊?
私が神を信じ、先祖供養を今でも欠かさないのはそういう理由でもあるのです。
さて、、
避病院が空き家となり、そして今度は感化院がその施設を流用してできましたが、数年で廃止されたようです?
村の無知な少年だった私がその理由を知る由もありませんが
たぶん?
あまりにも不便すぎた?という理由と。やはり建物が避病院では感化院の趣旨にそぐわない?また、収容された非行少年たちが、あまりの僻地過ぎて?
あるいは、建物に違和感がありすぎて?脱走するものが続出した?という理由だったと思われます。
実際、逃げ出した少年が雑木林に迷い込み、河岸段丘から墜落して死んだり、
また他の例では脱走したが、川に流されて少女が、溺死したという事件もあったようでした。
で、数年でここからもっと県庁所在地に近い場所に移転してしまい、結局この避病院は
また空き家に舞い戻ったというわけです。
そうして今度は利用されることもなく放置されて、風の便りに聞いたところによると、
昭和40年代末にはとうとう取り壊されたようですね。
最も私は、高校入学とともにその開墾地を離れて県庁所在地に下宿してさらにそのままま東京の大学へと進学してさらに就職は遠い他県で、、こうして数十年というもの、故郷には全く、帰ってないんですから、開墾地のことはもう全く知らないんですよ。ただそういう風の便りが、、そうらしいという不確認情報だけですよ。悪しからず、
そうして、、あれから50年、、。
いま、その雑木林はきれいに?切り開かれて広大な1万坪のコンクリート工場がたってるそうです。
もちろん避病院の痕跡すら今はもう何一つ、全く、残ってはいません。
病舎も
供養塔も
あの高い塀も
赤煉瓦の死体焼却場も
全く痕跡すらありません。
何も
何一つ残ってはいません・。
こうして私が思い出して書き留めたという、私の記憶以外には、、、。
おわり
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㊟この物語は完全なフィクションであり、現実に存在する一切とは何の関係もありません。
完全なフィクションです。