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ミステリ『美しいということ』

初出:2008年6月8日

今日は『ミステリ』というものの構成についてでも語ってみようかと思います。


ミステリの構成というのは、一言で言ってしまえば『様式美』や『美しさ』を追求するものです。左右対称とか、対存在とか、そういうものを常に念頭に置いて書かれています。

僕がよく再読している『スパイラル~推理の絆~』(スクウェア・エニックス刊)にも、それを意識して書かれているシーンがたくさんあるというのは、読んだことのある方には言うまでもないことでしょう。


またミステリの『美しさ』は、『役割のないキャラクターの存在を許容しない』ことで成り立っているともいえます。

被害者には『殺される』という役割があり、加害者には『殺す』という役割がある。そして容疑者には『容疑をかけられる』という役割があるわけです。


さて、ここで重要となるのが、『役割を果たしたキャラはどうなるのか』です。

本格ミステリをひとつでも読めばわかることなのですが、ミステリにおいて、役割を終えたキャラクターがそのまま舞台に残り続けるのは、どうやら非常に『美しくない』ことのようなのです。

役割を果たしたキャラは、舞台から降りなければならないようなのです。

問題となるのは、その降り方。あるいは降ろし方。


たとえば容疑者のひとり――『容疑者A』が『犯行は不可能』と探偵役のキャラクターによって実証されたとします。この段階でこの『容疑者A』という『容疑をかけられる役割』のキャラクターは、この『物語』という舞台において役目を終えた、あるいは役目がなくなったということになりました。

当然、この『容疑者A』というキャラクターを舞台から降ろさなければなりません。


さて、キャラクターを舞台から降ろす方法は、大きく分けて二つあります。

ひとつは、『犯人』に『容疑者A』を殺させるというもの。世に出ている連続殺人モノは、大抵これを意識していると見ていいでしょう。

しかしこれは、実はそれほど『美しい』降ろし方ではありません。なぜなら、この手法はいわば『突発的な殺人』を描かなければならないからです。『イレギュラー』な事態を描かなければならないからです。

完璧な『美しい構図』を頭に描いて物語を紡いでいる人ほど、この手法は採りたがらないと思われます。


そこで採られるのがもうひとつの手法――『自然なフェードアウト』です。

地味に思われるかもしれませんが、これこそが『事件現場』という、いわば『異世界』に迷い込んだ一般人を『元の世界』に帰らせるという、『最も自然な状態』に戻す手法なのです。


そもそも『事件が起こった場所』というのは『異常な空間』であるため、『異常でないことが証明されたキャラクター』が生きたままそこに居続けることはできないのです。

もしそれが許されてしまったら、その空間はそれこそ『異常と正常が交じり合った、美しくない空間』になってしまうのです。


さて、先に述べたとおり、キャラクターには誰にも役割があります。先ほどは言及しませんでしたが、当然、犯人を指摘する『探偵役』にも。

僕が本格ミステリを読んで度々鬱になる理由がこれなのですが、探偵役を務めたキャラクターが推理を披露し、犯人を破滅させたとして(この段階で『犯人役』は警察に連れていかれるなり、自殺するなりして舞台から降ります)、さて、そのあと『犯人を指摘する』という役目を終えた探偵はどうなると思いますか?


はい。答えは簡単です。

役目を果たした以上、当然、舞台から降りることを求められます。



――犯人指摘の罪悪感に苛まれて、フェードアウトするなり、自殺するなりして。



どちらが採られるにせよ、ハッピーエンドにはなり得ません。

思えば『スパイラル~推理の絆~』の主人公である鳴海歩も、本質的には後者と似たフェードアウトの仕方をしたように思います。

さらに言うのなら、同作者の作品『ヴァンパイア十字界』(スクウェア・エニックス刊)の主人公、ストラウスも最後は死んでいますし。

『スパイラル・アライヴ』(スクウェア・エニックス刊)はまだ最終回を読んでいないのでなんともいえませんが、城平京先生が本格ミステリの『構図』にこだわり続けているのなら、やはり『アライヴ』の主要キャラクター三人(沢村史郎、関口伊万里、雨苗雪音)の誰かが(あるいは全員が)なんらかの形で死亡、もしくは悲劇的な形でのフェードアウトをしていそうです。


『スパイラル~推理の絆~』からいくつか引用させてもらうのなら、『ミステリの美しい構図』は、究極のところ、事件を構成していた『異常』や『異物』を完全に排除し、『ゼロに戻す』・『円幹のように閉じる』ことによって成立しているのです。

だから犯人に救いがあってはならず、探偵という『非凡な才能を持つ異物』にも悲劇的な結末が用意されていることが多いのです。


『毒をもって毒を制す』という言葉がありますが、『探偵』というのは、まさに『犯人』という『毒』を制すために舞台に上がった『毒』なわけですね。だから最後は舞台から排除されなければならないという。


あと余談になるかもしれませんが、ミステリ好きな人間はどういうわけか、『対存在』や『ストーリー冒頭とラストの(状況の)対比』を描きたがります。

これは先に述べたとおり、『左右対称』や『対存在』がミステリの『美しい構図』を際だたせるものだからだと思います。

どこか、そういう設定にロマンを感じるのですよね。

そして当然、僕もそういう類の人間なのです(笑)。


思えば、『探偵』と『犯人』というもの自体、一種の『対存在』ですからね。

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