それは『心』の物語
初出:2008年3月30日
今日は『僕が物語を組み立てる際のスタンス』について語ろうかと思います。
まず大前提として、僕は『スレイヤーズ』(富士見書房)のスピード感溢れるバトルシーンに魅せられ、オリジナル作品を書くようになった人間です。
なので執筆開始当初は、キャラの気持ちや『そこに至るまで』をかなり無視して、いかに格好いいバトルを描けるか、にばかり重点を置いていました。
もちろんその頃の経験は現在、『ザ・スペリオル~夜明けの大地~』などでバトルシーンを書く際に非常に役立っているとは思います。
しかし、その当時から3年ほどの月日が流れ、僕はいつの間にか『心の動き』に重点を置くようになっていました。
そのキャラがなにを考え、なにを感じ、そしてどういう結論に至るのか。
それが一番大事なことだと、それを一番、僕は読み手に伝えたいのだと、思うようになっていきました。
バトルはある意味、僕の原点でもありますから、もちろんこれからも描いていきますが、しかしそれはあくまで『対話』に代わる『コミュニケーション手段のひとつ』と認識しているのです。
例えば、そうですね。
バトルを描きたいから、という理由で、いきなり戦闘シーンから入るのは、できる限り避けたいですね。まあ、そうする『必然性』があるのなら、もちろんそうするわけですが。
……そう! 『必然性』です!
僕が重視しているのは、この『必然性』!
『偶然』や『なんとなく』に任せず、読み手の多くが『ああ、そりゃそういう結末になるよな』と納得できる展開。それを僕は書いていきたいのです。
それも、『心理』という名の論理でキャラの行動を縛り、支配しながら。
とにかく、『心』と『心』がぶつかり、お互い主張し合い、ときに相手を認め、ときに認められ、また、ときには拒絶し、そうして、最後は僕の提示した『僕にもまだ答えの出せていないテーマ』の『答え』を出してほしい。キャラクターたちに『答え探し』という『物語』を紡いでほしい。
そんなことを考えたりもするのです。
ああ、だからファルカスの職業が『宝探し屋』なのかもしれません。僕の深層心理が彼のその『自分の存在意義を探しながら旅をする』という生き方を決めたのかも。
『ザ・スペリオル~夜明けの大地~』におけるファルカスとサーラのバトルの決着は、その『答え探し』のひとつの決着だったともいえるかもしれませんね。
まあ、具体的にどんな答えをファルカスが――いえ、二人が出したのかは、ネタバレになりますので、ここでは敢えて語らないことにしておきますが。
小説を――特に長編小説を書くって、究極のところ、そういうことだと思うんですよね。自分の中で対立している意見を複数のキャラにぶつけ合ってもらい、動きを交えながら議論してもらい、そして最後にその『答え』を出してもらう。
そしてそのすべての答えが出たときに、その世界が『完結』する。
ううむ。なんだか段々と、なにが言いたいのか自分でもわからなくなってきてしまいました(苦笑)。
とにかく、『魔王がいる→よし、倒しにいこう』はイヤなのですよ。
僕は『魔王がいる→誰が倒しにいくの? え? 僕?→どうして僕がいかなくちゃいけないの?→そもそも魔王って本当に悪いの?』みたいな色々な葛藤があったのちに、最後の『答え』として魔王と戦うことを決意してほしいな、と思うのです。たとえ、そこに至るまでにものすご~く時間がかかるのだとしても。
更に言うのなら、これを書く場合、魔王との戦いそのものは作品のスパイスというか、『戦うべき』と『答え』を出したからこそ行われる、どちらかというとエピローグよりのエピソードになるのですよね。主人公が勝つのは当然の成り行き、とでもいいますか。
さてさて、割と長々と語ってきましたが、まとめるなら『段階を追うべき』だと思うのですよ。正義や悪の概念が曖昧になりつつある現代だからこそ。
まず、すべてのことに疑問を持って、周りの意見に流されずに自分の頭で考えてみようよ、とね。




