お嬢様がアキレスと亀のパラドックスで大泣きしている単元
いつもの通りお嬢様の部屋を訪れると、普段は慌ててゲーム機の電源を切って隠そうとするお嬢様が、今日は突然俺の胸に泣きついてきた。
「うえええええええん!!!」
「どうしたんですか?お嬢様」
「私、一生先生に追いつけないのがわかっちゃったの。うええええええん!!!」
何を言ってるんだこの馬鹿娘? さすがの俺も何のことなのかわからず動揺する。
「お嬢様、私に追いつくって、勉強のことですか? それなら頑張っていると思いますよ」
「違うの、私は一生先生に追いつけないの!!!」
「お嬢様、順を追って話をしてご覧なさい。ほら、鼻をかんで」
ずずっと音を立てた後、お嬢様がぽつりぽつりと語りだす。
「私は走っているの。先生は私よりゆっくりと歩いてくれているの。だけど私は先生に追いつけないの」
この馬鹿娘、またおかしなものをぐぐったな。
「お嬢様、つまりはこういうことでよろしいですか。わかりやすいように数字を入れますね。お嬢様と私は、100メートル離れている。そしてお嬢様は私に向かって、1秒10mという短距離走世界記録並の速度で私に迫ってくる。私はお嬢様と同じ方向へ1秒1mという、普通の速度で歩いている。ここまでよろしいですか?」
頷くお嬢様。
「お嬢様が心配しているのは、お嬢様が私がいた所、つまり100m先に到着した時には、既に私がお嬢様より10m先に進んでしまっていることですよね」
鼻をすすりながら再び頷くお嬢様。
「そして次にお嬢様が私のいた10m先に辿り着いた時には、私は既にお嬢様より1m先に進んでいるということですよね」
再び涙目になって頷くお嬢様。
「で、永遠に追いつけないと」
「うえええええええん!!!」
再び泣き出すお嬢様。
どうにかしろよギリシャ人。数千年後にお馬鹿なお嬢様を泣かせてんじゃねえよ。
俺は再びお嬢様の鼻をティッシュで塞ぎ、いきりさせてから語りかける。
「お嬢様、もう一度私の話を聞いてくださいね」
頷くお嬢様。
「このお話は、昔ギリシャに住んでいた、ゼノンという悪い人が考えた詭弁です」
「悪い人なの?」
「世間的には知りませんが、ここではお嬢様を泣かせているのですから悪い人です」
「うへへ」
気持ち悪い笑いを浮かべたお嬢様はひとまず置いておき、俺は話を進める。
「このお話のキモは『永遠とは何でしょう?』なんです。いいですか? 最初に、お嬢様が100m先の私のところに辿り着いたのは、スタートから10秒後ですよね。次にお嬢様が10m先の私のところに辿り着いたのは1秒後。その間、合計たったの11秒です。次にお嬢様が1m先の私のところにたどり着くのは、0.1秒後のことですよ」
ぽかんとしている姫様をよそに、俺は続ける。
「追いつく、追いつかないは一度置いておいて、お嬢様と私が何秒後に出会うか、計算式を立ててみましょう。お嬢様の速度は10m/s 私の速度は1m/s 私は最初に100mのおまけがあるので、同じ場所に到着する時間をt秒後とすると、
お嬢様が進む距離 = 10 ☓ t
私が進む距離 = 1 ☓ t + 100
これが同じ距離になるので
10 ☓ t = 1 ☓ t + 100
9 ☓ t = 100
t = 100/9 = 11.11111……
つまり、12秒後には、お嬢様は私に追いついていますよ。お嬢様が悩んだ永遠とは、実は上の……の時間のことなんです。こうしてみれば、屁みたいな時間だということ、わかりましたか?」
お嬢様が嬉しそうな表情を見せる。
「うん、わかった。私は先生に追いつけるのね!」
俺の胸を離れ、ゴキゲンになったお嬢様に対し、俺の心に虐の火がついた。
「でもね、お嬢様、私がお嬢様以上の速度で進んでいれば、お嬢様は一生私に追いつけませんよ」
三度私の胸で泣き出すお嬢様。
既に泣くのがアトラクションになっている俺のお嬢様。
今日はこのままお昼まで過ごしましょう。