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謎の言葉、ロック・オン

 ショーケースはエレベーターの横にあった。

「何が入っているんですか?」

と僕は訊いた。お婆さんはショーケースをちらりと見てから、視線を僕にもどした。

「これまで取り扱ったパソコンの一部だよ」

僕は新しいものが大好きだ。でもそれと同じぐらい、古いものも好きだ。

「見ても構いませんか」

「どうぞ、どうぞ」お婆さんは嬉しそうな声で言った。「欲しいんなら、どれでもあげるよ」

 もらうつもりはない。見るだけでいい。僕に収集癖はない。

 僕は椅子から立ち上がった。

 ショーケースは、幅が90センチ、高さ180センチぐらい。二十センチほどの間隔に区切られた棚には、様々な機種が2台ずつ折りたたまれた状態で並んでいた。

「いちばん古いのは、どれですか?」

 僕はショーケースの中を覗きながら訊ねた。

 しばらく待ったが返事はなかった。

 お婆さんはさきほどから気持ちよさそうに目を細めていた。もしかすると眠ってしまったのかもしれない。

 そう思いながら振り返ると、お婆さんは僕をじっと見ていた。

 どうやら僕の声が小さかったらしい。

 僕は両手でメガホンの形を作って、お婆さんに顔を向けた。そして、言葉を句切りながら、大きな声で言った。

「どれが、一番、古いパソコンなんですか?」

 お婆さんは、自分の耳を人差し指でかるく叩いた。

「近頃耳が遠くなってね」

 そこで少し間を置いてから続けた。

「でも、口元が見えればわかるんだ。大声ださなくても大丈夫だよ」

 出会ってからずっと僕の顔を見ていた理由がわかった。お婆さんは僕の唇の動きを見ていたのだ。

(つまり、読唇術ってことですね)

 僕は唇だけを動かして言ってみた。

 アハハハ、

 お婆さんは楽しそうな笑い声をあげた。

「いいね、いいね。そうやって、すぐ実行するところも気に入ったよ」

 疑問が起きた。

 試しに今度も唇だけで問いかけてみた。

(どうして分かったんですか? 僕が声を出していないということが)

 お婆さんは両手を広げて、空気をかき混ぜるようなジェスチャーをした。

「振動だよ、振動。声が出ていれば、空気が微かに揺らぐんだ。今のも声は出していなかったよね」

 納得できる答だった。聴力の衰えを、別の器官が補っているのだろう。 

 僕は再びパソコンに話題を戻した。

「棚から出してもいいですか」

 お婆さんはうなずいた。

「もちろんだよ。バッテリーはゼロだけど、専用の電源コードが残っているのもあるんだ。それを使ってごらん。動くはずだよ」

 僕はとりあえず、目の前の小型の機種を手に取った。

 思ったよりもずっと重かった。中身がぎっしり詰まっている感じがした。

 そういえば、発売当初のビデオデッキも両手で抱えなければ持てないほどの重量だったと聞いたことがある。技術の進歩は商品の軽量化にも現れていることを、今さらながら再認識した。

 どこのメーカーの製品なのだろう?

 製造年月日は?

 上面と側面を見て見た。でも、刻印らしきものはどこにもなかった。

 だとすると、キーボードのどこかにあるはず。

 パネルを開こうとしたとき、遠くでエンジン音が聞こえた。耳を澄ますと、宅配便のトラックのようだった。

「午前中の集荷だよ」

 マッサージチェアから降りたお婆さんが言った。

 どうしてこんな微かな音が聞こえたのだろう。

 不思議な気がした。でも、何のことはなかった。机の上の緑色のランプが静かに点滅していたのだ。

 エンジン音が消え、車のドアを閉める鈍い音が聞こえてきたとき、思い出した。

 ここは部外者立入禁止だった。見つかると、お婆さんに迷惑をかける。

 僕はあわててパソコンを元の位置に戻した。

 そして、すばやく部屋の中を見回した。だが身を隠すスペースなんてどこにもなかった。 仕方がない。

 僕はショーケースに背中を押しつける恰好で、ドアが開くのを待つことにした。

 鍵が外れる音がして、入ってきたのは、お婆さんと同じ赤いブルゾンを着た中年の女性だった。

 薄手の手袋。つばの短い帽子。どこか育ちの良さを感じさせる雰囲気があった。

「今日もよろしくお願いします」

 元気な声で一礼したところで、彼女は僕を見つけたようだ。

「あら」

 驚いたような表情を浮かべながら僕に会釈をした彼女は、視線をお婆さんに移して「お客さまですか?」と訊ねた。

 お婆さんは、にやりと笑って答えた。

「新しい彼氏だよ」

 こういうセリフが即座に出てくるところをみると、お婆さんは若い頃結構モテたのかもしれない。

 僕は中指で頭のてっぺんを掻きながら、お婆さんのリクエストに応えた。

「新しいボーイフレンドです。どうぞよろしくお願いします」

 するとすかさず、集荷係が茶化した。

「とてもお似合いですよ、お二人さん」

「あんたにもそう見えるかい」

 お婆さんが手を叩いて、アハハハと笑ったとき、天井付近から声が降ってきた。

「ロック・オン」

 若い女の声だった。


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