13秒の遅れが生み出したもの
「何の音ですか、これ」
びっくりした僕は、後ずさりしながら訊ねた。
「世界に一台しかないらしいよ」
壁の一部が開いて、現れたのはエレベーター。
広さは畳一枚程度。手すりの付いた座席のようなものが左右についている。お婆さんの向かいに座った僕は、この藁葺き家が平屋だったことを思い出した。
ということは、システムは地下室にあるのだろう。
扉が閉まると同時にエレベーターは下降を始めた。そしてすぐに停止した。当然その状態で扉が開くものと思っていた。だがエレベーターは、水平移動に移った。
「あのう」と僕は言った。「このエレベーターは、どうして左右にも動けるんですか」
「これも、あのバカが考えたんだよ。渡り廊下にすればいいものを、地下道なんか作ってさ」
あのバカというのは、先ほどの会話に出てきた成り上がり者と同一人物らしい。
「これはエレベーターというより電気自動車なんだ。上下に動かすときはピストンを使う。下についたら、自動的にモーターのスイッチが入り、タイヤが回り出す。あっちに着いたら自動停止。それをピストンで押し上げる。ただそれだけのことさ」
反対側の扉が開いた。
こちらも同じような広さだったが、内装は違っていた。
床はリノリューム。正面に、スチール机と金属製のドア。左右の壁には天井まで届く金属製ラック。六段に区切られていて、型番らしき文字が印刷された段ボールケースがぎっしり詰まっている。
「全部ノートパソコンですか」
お婆さんは、にこっと笑ってうなずいた。
「精進料理じゃなくて、ざんねんだったね」
部屋の真ん中に頑丈な台が備え付けられている。卓球台ほどの広さだ。それを取り囲むようにキャスター付きの椅子が八脚。
スタッフが何人いるのか分からないが、スチール机の上に事務用品が並んでいるところを見ると、ここで発送作業が行われるらしい。
「あんたも、座りなよ」
すぐ近くの椅子に座ろうとすると、お婆さんは、
「そこじゃないよ、こっちこっち」
と言った。
見ると、左の壁際に高級感溢れるマッサージチェアが二台。
お婆さんが座ったのは、よく使い込まれた方。人を感知すると自動的にスイッチが入るらしく、椅子にもたれると同時に、お婆さんの体はゆるやかに動き始めた。
ざんねんながら、僕の身体はこの手の機械を受け付けない。くすぐったくてしょうがないのだ。でもそのことは言わなかった。
僕は椅子を引いて、お婆さんの顔が見える位置まで移動した。
「肩は凝らない体質なんです」
「世の中には、安上がりな人もいるんだね」
お婆さんは、羨ましそうな口調で言うと、壁に張ってある会社名を顎で示した。
「どうしてパソピザなんて、へんてこな社名をつけたと思う?」
それは僕が質問しようと思っていたことだった。僕は少し考えてみた。
上二文字は、パソコンのパソできまりだろう。下二文字は分からなかったが、思いついたことを口にした。
「食べ物のピザと関係があるんじゃないんですか?」
お婆さんはにやりと笑った。
「よく分かったね。ご褒美に何か上げようか」
でもパソコンとピザの結びつきまではわからなかった。同列会社がピザ食材を取り扱っているのだろうか。それともピザ宅配の業務もやっているのだろうか。
僕の推理は二つとも外れた。
説明によると、命名したのは、お婆さんの末娘らしい。
家電量販店のパソコン売り場の責任者だった末娘が、ピザ宅配を頼んだときのことだ。
末娘の部屋は駅前の商店街の裏通り。注文の電話をいれた時刻は会社帰りの人々で混み合う午後六時過ぎ。
ところが運悪く、近くでトラック同士の二重衝突事故。
しかも突然大粒の雨が降り出した。たちまち道路は大渋滞。いつもなら十分以内に到着するピザが遅れた。
「大変だったわね、ごくろうさま」
代金を支払おうとする末娘に、配達の青年は首を振った。
「遅れてしまいましたから、代金はけっこうです」
末娘は自分の腕時計を見た。
「遅れたといっても、たった、十三秒よ」
「当店では一秒遅れても、代金はいただきません」
アルバイト風の青年は胸を張って答えたあと、にこっと笑って続けた。
「そういう決まりになっているんです」
末娘はそのことを、自分のブログに書き、知人にも話した。
それから半年ほど後、末娘の部屋をピザ屋の店長が訪れた。
「あなたのおかげで、売り上げが大幅に伸びました」
店長は、どうかこれを受け取ってくださいと言って、謝礼金と無料券を差し出した。
その日の夜、末娘にある閃きが走った。
次の日、末娘は職場の上司に自分の計画を打ち明けた。話はその日のうちに社長の耳に届いた。会社の了解を取り付けた末娘は、すぐ各メーカーの担当者に電話をいれた。
「株式会社パソピザ」が立ち上がったのは、それから三年後。
取り扱うのは、国産メーカーの型落ちノートパソコンのみ。
基本ソフトと一年保証をつける。
市場価格を崩すような価格設定にはしない。
投げ売りもしない。
創業以来、売り上げ実績が右肩上がりを続けているのは、受注から三十八時間以内に商品が届かなかった場合、パソコンが無料になるという規約があるからだ。
自社のホームページに事例は載せていない。
でも、無料で商品をゲットした人々が、自分のブログにそのことを書いたり、ツイッターでつぶやくごとに売り上げが伸びるらしい。
「普通の会社は、経費節減と発送の迅速化を図るために、業務を集約しようとするだろう。でもうちは、それとはまったく逆の発想なんだ。離島を含めた全国至る所に倉庫と事務所を兼ねた支店が散らばっているんだよ。もちろん特殊な作りの家は、ここだけなんだけどね」
僕は素朴な疑問を口にした。
「無料になるパソコンの比率は、どれくらいなんですか。台風や大災害の場合はどうなるんですか。高速道路が通行止めになることだってあるでしょう。そうなったら、ほとんど無料になるわけですよね。会社としては大損害ですよね」
お婆さんは平気な顔で答えた。
「不思議なことに業績はさらにアップするんだよ。人はただで手に入れたことを黙っていられないみたいだね」
ショーケースの存在に気づいたのは、次の質問を探そうとして、部屋の隅々に視線を巡らせていたときだった。