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思い出話から、コードネームへ

「だったら、どうして最初から順序立てて言わなかったの」

 マドンナの激しい口調で、僕は思考を中断して顔を上げた。

 いつの間にか彼女は立ち上がって、Pを睨んでいた。

「あなたはみんなの注目を浴びたかっただけなのよ。それに気づいていないだけ。それを直さないと、どこに行っても嫌われるわよ」

 ミスダツは相変わらず笑っていたが、生徒たちは固唾を飲んで二人を見つめていた。

 と思ったが、違う反応を示している生徒が一人いた。

 脚本家志望だった。

 彼は、目を輝かせながら、しきりにメモを取っていた。

 後から聞いた話だが、彼はその日以来、マドンナとPの間で交わされる言葉を、そっくりそのまま文字で残すようにしたらしい。


 突然だが、このあたりで、僕の記憶の底で眠っているノートパソコンのコードネームをつり上げようとした日の話に戻る。

 どうして? の声が聞こえてきそうだが、ちゃんとした理由がある。

 その後、ミスダツが脳サーチの話に触れることがなかったからだ。

マドンナとPのバトルが終わった後も、例によって、ミスダツの話は、あっちに行ったり、こっちに来たり。

 ミスダツからもらった一万三千円のうち、弁当代は約八千円。おつりで買ったのは種類の違う飲み物と、スナックものを中心とした菓子類。机の上にずらっと並んでいた。

 それらを食べる時間と、トイレタイム。それに、ミスダツの話の途中で、マドンナとPの意見が何度も対立し、話の流れがずいぶん滞った。

 脳サーチの話に戻る前に、警備員がやってきたのだ。

「もう、こんな時間ですよ」

 警備員は事務的な声で、壁の時計を指差した。

 時刻は午後九時だった。

 家まで電車を乗り継いで二時間ちょっと、という女子生徒もいた。

 全員が大慌てで教室の後片付けをした。残った飲み物と菓子類を希望者に分けた後で、ミスダツは言った。

「じゃあ、今日のまとめは、来週に持ち越しということにしよう」

 しかし、次の週は、別の話になった。

 彼が初めて責任者に抜擢されたときの体験談。

「実を言うと、カラオケのバックに流れる映像を、三社で競い合ったことがあるんだ」

 しかも、その歌というのは、島崎藤村の初恋。

 みんなの目の色が変わった。

 実に興味深い題材。もうすぐ自分たちが行く世界。自分も関わることになるかもしれない業界話。

 我らの講師は、ライバル業者と、どう闘ったのだろう。どうやって勝利したのだろう。

 生徒全員、瞬きも忘れるほどに彼の話に聞き入った。

 ミスダツはいつもと違って、時間軸に沿って話を進めた。

 あっという間に、九十分が過ぎた。

 話は、その規格を持ちかけてきたプロダクションが倒産したというところで終わった。

 教室がため息に包まれる中、ミスダツは締めの言葉を言った。

「撮影技術だけでは生きていけないんだ。世間を知ることも大事。要はバランス」

この後「あ、そうだ。先週の、あの件だけどな」というセリフがくると思っていた僕は、続きを待った。

 しかし、続きはなかった。彼は、そのまま教室を出て行った。

 その一年半後、十三人でカラオケに行ったことがある。もうすぐ卒業式というころだった。最後に全員揃って歌ったのが、初恋。

 だが、そのときでさえも、その話は出てこなかった。

 がっかりした。

 でも、僕のほうから話を切り出すつもりはなかった。

あの日、物事をランダムに捉えるの意味を訊ねたのは、脚本家志望ただ一人だった。

 その質問者は、あの日、すべて分かりましたと言っていた。

 ミスダツは忘れていた訳ではない。話を避けようとしていたわけでもない。あの件は、あの日で終わっていたのだ。

 でも、今の僕は、こう思っている。

 もし、ミスダツと再会することがあったら、最初にあの言葉の意味を訊ねてみよう。そして、あの日僕が感じ取ったことを、彼に聞いてもらおう。


 ミスダツのエピソードを、ほんの少し話すつもりだったのに、ずいぶん遠回りをしてしまった。

 やっとここから、ノートパソコンのコードネームについての体験話が始まるわけだが、当時を思い出しているうちに、ある発見をした。

 と言っても、取るに足らないことだ。

 どうやら僕は、漢字の「空」が九画だと思い込んでいたようだ。


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