名演技?
僕は、さりげなく周りの様子をうかがった。
ミスダツは相変わらず、笑みを浮かべたまま生徒たちを眺めていた。それ以外の人間は、呆れたような目でPを見つめていた。
彼らの視線の先のPはというと、何事もなかったような顔で、ほとんど空になった缶コーヒーをすすっている。
やばい。
見方を変えると、Pが、みんなに喧嘩を売っているようにも見える。
どうか、面倒なことになりませんように。
僕は心の中で祈りながら、この場をうまくおさめる方法を考えてみた。
良い考えが浮かんだ。
ピント外れの比喩を持ち出したのはP。ここは、本人自ら責任をとってもらいましょう。 返事するしないは、P次第。
「意味が分かんねえよ」僕は、わざと大きな声で続けた。「何だよ、ペンギンって」
返事は、すぐきた。
「ハンバーグ」
その声は、全員の耳に届いたはず。たぶん、みんなはハンバーグがどんなものかぐらいは知っている。
だが、誰も反応らしきものを見せなかった。
無視。知らん顔。
僕もその仲間に入りたいくらいだった。
教室に、いやな雰囲気が漂いはじめた。気のせいだろうが、急に胃の中が重くなった。
やれやれと思った。
やはりここは、Pといちばん親しい僕が何とかしなければならないのだろう。
でも、何を言えばいいんだ。
息苦しさを感じはじめた僕の視界の隅で、誰かが、そろりと立ち上がるのが見えた。
マドンナだった。
もしかすると、岩下志麻を思い出したのかもしれない。
でも、そうではなさそうだった。
初めて見る彼女の鋭い目。
「ねえ、ちょっと」
声は小さかったが、よく通る低い声。数人の生徒が、驚いたような表情を浮かべた。
Pは、声のほうに目を向けた。
声の主がマドンナだと気づいたからなのか、Pは一瞬、目をしばたたかせた。
「なんだよ」
と言った彼の声には、明らかな苛立ちの響きがあった。しかし、マドンナは、表情も変えずに応じた。
「あなたの目に、どう映っているか分からないけど」
そこで言葉を切ると、他の生徒たちを見まわしてから、ゆっくりと視線をPに戻した。
「みんな、本当に真面目にやっているのよ。そこのところは、分かってほしいの。だから」
「俺だって、そうさ」
Pが遮った。
「何かを吸収したいんだ。毎月高い月謝を払っているのは、そのためなんだ」
「だったら、さあ」
マドンナは、少しあごをしゃくった。
「みんなの邪魔をしないでほしいの」
少し間を置いて、Pが言った。
「俺が、いつ邪魔をした?」
Pは、語尾を不自然に跳ね上げた。
マドンナは薄く笑った。
「自覚症状のない人に言っても無駄かもしれないけど」
彼女は、からだを少しだけPのほうに傾けた。
「ペンギンとハンバーグは、あなたの頭の中だけに止めておいてほしいの」
「そんなことだろうと思ったよ」
Pは嬉しそうに笑った。
「何がおかしいの!」
マドンナが眉をつり上げて、Pを睨んだ。
一触即発。
誰もがそう思ったとき、パンパンという破裂音が響いた。
全員が、ぎょっとしたような目をした。
ミスダツが、両手を打ち鳴らした音だった。
「はい、君たち、ごくろうさん」
にこにこ笑ったミスダツが、マドンナとPを交互に見ながら言った。
「さすがだな、君たち」
Pが、訳が分からないというような顔で、僕にささやいた。
「君たちって、俺とあいつのことか?」
微かに動いたPのあごの向こうには、もちろんマドンナ。
「たぶん」
僕は、目でそう答えた。
教室の緊張が解けたらしく、ざわめきが聞こえてきた。
ぱんぱん、
またミスダツが手を叩いた。
耳の奥を、心地よい風が通り抜けたような気がした。
教室の中が、気、のようなもので満たされていくような感じを覚えた。
「ここからは、俺が引き継ぐ」
それからミスダツは、少しおどけたような声で言った。
「今の二人の即興芝居で、何が分かったでしょうか? 分かった人は、手を上げて、ちょうだい」