相性の悪い自動販売機
正夢だとすれば、パソコンショップは海岸道路沿いにある。
隣町に入って最初のガソリンスタンドを過ぎた辺り。十数年前に倒産した製材所跡地だ。
愛車のスーパーカブは今日も快調だった。軽快なエンジン音が耳に心地よい。
海岸道路を走るのは一年ぶり。
去年製材所跡地にバイクを停めて、まわりの景色を眺めたことがある。だから覚えているのだが、あの一帯は雑草に覆われた荒れ地が延々と続いているだけだった。
長年見向きもされなかったあんな場所で、パソコンショップが成り立つものだろうか。それとも新しい形式のショッピングモールができて、その中の一店舗としてオープンしたのだろうか。
頭の片隅で、そんなことを考えながらバイクを走らせた。
アパートを出てから四十三分後に、明快な答がでた。
製材所跡地に建物などなかった。
赤く錆び付いた鉄条網に囲まれた広大な敷地を埋め尽くしたセイタカアワダチソウが、気持ちよさそうに風に揺れているだけだった。
僕は自動販売機の横にバイクを止めて、今来た道を振り返った。
朝の日差しにきらめく青い海。岸辺を洗う白い波。灰色の防波堤。緑の杉林。アスファルト道路の脇のガソリンスタンド。
しかし、黄色い建築物はおろか、無人販売所さえなかった。
一年前の風景と、まったく同じに見えた。
「あの夢は、いったい何だったんだろう」
ため息とともに、体中の空気が抜けてしまったような気がしてきた。
パソコンショップの存在を信じていたわけではない。しかし、心のどこかで、期待していた。
製材所跡地で、誰かが、僕を待っている。
あそこから、新しい僕の人生が始まる。
だが、何もなかった。
あの夢はただの夢だった。認めないわけにはいかない。きれいさっぱり忘れるしかない。
しかし、簡単に気持ちを切り換えることはできなかった。
なにしろ三日連続同じ夢なのだ。
何か意味があったと思いたかった。仮に諦めるにしても、それ相応の理由が欲しかった。だが、僕にはそれを考えるだけの余裕はなかった。
僕はひとつ深呼吸をして、空を見上げた。
とてもよい天気だった。
雲ひとつなかった。空にあるのは太陽だけだった。頭の後ろで手を組んだ僕は、眩しさを増し始めた太陽に目を向けた。
太陽を眺めるのは、ずいぶん久しぶりだった。
そういえば小さい頃の僕は、毎日毎日、近くの野原を走りまわっていた。時々太陽に向かって、わけの分からない会話をすることがあった。
それを悪いものが取り憑いていると思い込んだお袋は、僕を無理やり祈祷師の屋敷に連れていった。あのお爺さんは、今でも元気なのだろうか。
幼い頃を思い出した僕の頭の中に、浮かんできたことがあった。
三日連続の夢は、僕を太陽の下に連れ出すための夢だったのかもしれない。
でも僕は、すぐ、その思いを払いのけた。
確かにここ一週間、僕はDVDで映画ばかり見ている。
でも、一日中部屋に閉じこもっていたわけではない。
僕は雨の日以外、毎日3000歩以上歩くようにしている。十分以内ならどこに行くにもバイクは使わない。両手にスーパーの買い物袋を下げて帰ってくることもある。組立仕事をしていた頃より、無職になった今の方が運動量は多い。
太陽を見続けているうち、僕は急にのどの乾きを覚えた。
自動販売機は目の前。ポケットには百円玉が三枚。
僕は考えがまとまらないとき、たいていコーラを飲む。良いアイデアが浮かんでくるときもあれば、そうでないときもある。比率でいえば、6対4だろうか。
コインを自販機に入れようとしたところで、なぜか以前勤めていた会社が最初の不渡りを出した日のことを思い出した。
それは、僕がここでコーラを買った次の日。去年の今頃だった。でもコーラと倒産は、まったく関係がない。僕は迷うことなく投入口にコインを入れた。
しかし、どういうわけかコインは返却口に戻ってきた。
百円玉に傷が付いていたのかもしれない。
調べてみた。二枚とも無傷だった。しかし、何度入れ直しても、乾いた音と共にコインは戻ってきた。
自動販売機に耳を当ててみた。
微かなモーター音が聞こえた。発売中を示す小さなランプも点いていた。
僕とこの自動販売機の相性が悪いのだろうか。
いや、単なる接触不良だろう。返金レバーを上下に動かしてから入れたらうまく入るかもしれない。
でも、そんなところを見られたら、自販機荒らしと間違えられそうだ。
取り留めのないことを考えながらコインを眺めていた僕は、もう少し走ったところにコンビニがあることを思い出した。