声だけオンナの正体
「そうか、そうだね、全然気付かなかったよ」
と言ったが、その手があるのは分かっていた。ただそれを実行する勇気が僕になかっただけだ。
声だけオンナは自分の顔によっぽど自信がないのだろう。明かりを点ければ、彼女は嫌がるだろうな。そう思っていたのだ。
しかし思いがけなく向こうから積極的な提案。だったら、彼女の気持ちが変わらないうちにさっそく実行に移そう。
僕は視線はそのままにして、右手を首のうしろに回した。そして蛍光灯の紐を指で触りながら想像を巡らせた。
どんなスタイルをしているのだろう。コンビニのあの子より美人だったらどうしよう。
そんなことを考えていた僕の脳裏に、なにやらぼんやりとしたものが浮かんできた。
どうやら、人の顔らしい。
僕は意識を集中させた。
あろうことか、パソピアのお婆さんがにやにや笑っていた。
僕は慌てて、それを頭から振り払って、勢いよく紐を引っぱった。
部屋が急に明るくなった。
声だけオンナの正体を見極めようと、目を見開いていた僕の体が一瞬固まった。
視線の先に、人の姿などなかった。
ベットにあったのは、毛布と枕だけ。
背筋を冷たいものが駆け抜けた。
声だけオンナは、やっぱり、ダラダラ坂の消え女だったのか。
と思ったとき、声がした。
「これで私が誰だか分かったでしょ」
声の方向も、明るい口調も変わらなかった。
姿は見えなかったが、どうやら消え女とは関係ないらしい。少し安心した僕はベッドを睨んだ。
どこに隠れているのだろう。
ベッドの下だろうか。
だがよく考えてみると、ベッドの下にはキャスター付きの収納ボックスが押し込んである。人が隠れるスペースなんかどこにもない。
「ねえ」と彼女が言った。「あなたは記憶力は良い方なの? それとも、」
「そんなことはどうでもいい」僕は彼女の言葉を遮った。「どこに隠れているんだ。はやく出てこいよ」
「ほらね、やっぱり忘れている」不満そうな声で彼女は言った。「さっき言ったでしょ。あなたの枕の横にいるって。何度言えば分かってもらえるのかしら」
そういえば、そんなことを言っていたようだ。でも、ベッドはからっぽ。枕の向こうに誰もいない。僕は少し声を荒げて言った。
「言葉遊びだったら、やめてくれよ。君が何をしたいのか、まったく分からないんだ。なんでこんな夜更けに、かくれんぼをしなくちゃならないんだ」
「隠れてなんかいないわよ」
苛立ったような声でそう言った彼女は、何か考えるように間を空けると「じゃあ、こうして」と言った。
「最初は右足。次が左足。三歩進んでベッドについたら、枕をそっと持ち上げる。そこにいるのが、わたし。分かった?」
人をからかったような命令口調に、イラッとした。
何か言い返してやろうかと思ったが、素直に従うことにした。話が長くなりそうだったし、眠気のようなものを感じ始めていたからだ。
ベッドの横に立ち、上から覗くと、枕の下に半分隠れた黒い箱のようなものが見えた。
ピンと来るものがあった。
これは、スピーカー付きの盗聴カメラ。声はここから聞こえていたんだ。
誰がいつ、どのような方法でここに置いたのかは分からない。だが、これを今、使っている人間が誰だか分かっている。
本人は遊びのつもりなのだろうが、これはれっきとした犯罪行為。不法侵入に盗撮。他にも立件できる犯罪が隠れているかもしれない。
今後のこともある。声だけオンナが二度とこのようなことをしないように、カメラ目線で、警察に通報するぞと脅してやろう。
枕を持ち上げ、黒い箱に手を伸ばしかけた僕は、えっ、と言って固唾を吞んだ。
目の前の黒い箱は、お婆さんにもらったお土産だった。
「やっと、見つめ合うことができたわね、わたしたち」
ノートパソコンから聞こえて来たのは、声だけオンナの声だった。