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マトリョーシカ方式の夢?

 ということは、今後の成り行き次第で、僕と声だけオンナの関係は、あっという間に行きつくところまでいってしまうわけだ……

 と、考えたところで僕は「ちょっと待ってくれ」と思わず声に出して言った。

 やっぱり、何かおかしい。

 もし声だけオンナが、コンビニの女の子でなかったとすれば、僕は同じ日に、二人の女性から見初められたことになる。

 僕は今まで女の子から告白された経験はない。好意に満ちた視線を向けられたこともない。

そんな僕がどうして、急にモテるようになったんだ。

 そんな事は絶対にありえない。

 となると、考えられることは、一つしかない。

「ねえ」と僕は言った。「僕は今、夢の中にいるんじゃないよね」

「夢? これが?」不本意そうな声が返ってきた。「どうしてそう思うの?」

 僕はしばらく考えてから答えた。

「うまく説明できないけど、ひとつの夢の中で、次々に新しい夢を見ているような気がするんだ。最初の夢が三日続きの夢で、二番目の夢が藁葺き家のお婆さん。そして、今こうして君と話しているのが、三番目の夢。そんな感じかな。もし君が夢の中に住む住民だったら、ほんとうのことを教えてほしいんだ」

 スタンドの灯りの向こうから、思案するような声が聞こえてきた。

「私、夢を見たことがないから、よくわからないんだけど……」

 夢を見ない人間がいるなんて、考えたこともない。でも僕はそのことを無視して次の言葉を待った。

「つまり、あなたは、マトリョーシカ方式の夢を見ていると思っているわけね」

 マトリョーシカという言葉は初めてだった。響きからすると、日本語ではなさそうだ。

「何、それ」

「見た事はないんだけど、ロシアにマトリョーシカ人形というのがあるらしいの」

 自分が見たこともない人形で、何を説明するつもりなんだ。

「ひとつの人形のからだの中から、いくつもいくつも人形が出てくるんですって。入れ子構造っていうらしいわよ」

 回りくどい言い方にイラッときた僕は、早口で言った。

「だったら、三段重ねの夢とでも言ったほうが、分かりやすいと思うよ。でも、そんなことどうでもいいんだ。僕が訊きたいのは、今、僕が夢を見ているのかどうかってことなんだ。できれば、イエス・ノーで答えてほしい」

 少し間があって、彼女はクスっと笑った。

「ここに、ペンチはないの?」

「あるよ」僕は真顔で答えた。「普通のペンチとラジオペンチ。どっちがいい? でも何に使うの?」

 彼女はまたクスっと笑った。

「どちらでも構わないの。気に入ったほうのペンチで、ほっぺたをつねるの。もちろん、あなたのほっぺたよ。できれば思いっきり」

 どうやら、さっき僕が、太ももをつねったところを見ていたらしい。

「親切にありがとうございます」

 僕はわざと仰々しいお辞儀を返したが、本当は何か投げつけてやりたい気分だった。だが、声だけオンナの正体が分かっていないこの時点で、腹を立てるわけにはいかない。

「夢かどうか、自分で調べることにするよ。ちょっと待ってて、すぐ戻ってくるから」

 そう言い残して、僕は外に出た。

 

 ありますように。ありますように。

 祈るような気持ちで、アパートの横の駐車場へ直行した。

僕の祈りは天に通じたらしい。

 コーラはあった。

 夜露に濡れたバイクの前かごにあった。コンビニの白い袋に入ったままの恰好で、僕を待っていた。

 胸の中に広がる幸福感を、声にして叫びたい気分だった。

 これで何もかもが、はっきりした。

 僕が見た夢は、一つだけだった。三日続いたあの夢だけが夢だった。

 それから後のことは、全て現実の世界でおきた出来事だった。

 僕はあの子のいるコンビニでコーラを買った。藁葺き家のパソコンショップには、世界に一台しかないエレベーターが存在し、そこには、あのお婆さんがいる。

 つまり、コンビニのあの子が僕に一目惚れしたことは疑いようのない事実だった。

 部屋に戻った僕は、ベッドの横であぐらをかいた。

灯りはそのままにして、水戸黄門の格さんがするように、右手のコーラをスタンドの灯りに向けて突き出した。そしてわざと丁寧な口調で言った。

「このコーラに見覚えはございませんでしょうか」

「全然」

 即座にそっけない声が返ってきた。

 それだけ聞けば、充分だった。

 ベッドの女は、コンビニのあの子ではない。

 考えてみれば、あの子が他人の部屋に無断で忍び込むはずがない。お姫様だっこされて、この部屋に入ってきたなんて、バカげた作り話をするわけがない。

 でもどうして、僕はあんなことを思ったのだろう。

 声だけオンナが、コンビニのあの子かもしれないなんて愚かなことを。

 あれも、声だけオンナの仕業だったのだろうか。

 時刻を確かめてみると、まだ三時前だった。

 タクシーを呼んで、彼女にもう帰ってくれと言おうか。しかし、一連の彼女の言動を見ている限り、それはやめたほうがよさそうだ。

 タクシーが走り出すと同時に、運転手に有りもしないことを、さも事実のように話すだろう。三十分もしないうちに、アパートの周りを赤色灯を点けたパトカーが取り囲む。

 そんな面倒なことになるくらいなら、彼女はこのまま放っておこう。

 僕だけ、ソファで夜明けを待てばいい話だ。

 気分が高揚している今、まだ眠気覚ましのコーヒーは必要ない。

 喉の乾きを癒やすのと、コンビニのあの子との再開を願って、このコーラで乾杯しよう。

 ひょっとすると、一週間の間に、お婆さんの方から連絡があるかもしれない。

 悪いけど、今すぐこっちへ来てもらえないだろうか。どうしても、あんたのことが忘れられないみたいなんだよ。

「何を一人でニヤニヤしているの」

 すこし苛立ったような声がした。

 声だけオンナのことを忘れかけていた僕は、こみ上げる喜びを抑えながら言った。

「君も飲む?」

「そんなもの飲めるわけがないでしょ」

 吐き捨てるような口調。コーラは身体に悪いとでも思っているのだろうか。ヤキモチだろうか。でも、そんなことはどっちでもいい。

 僕は歌うような声で言った。

「じゃあ、僕だけ、遠慮なくいただきまーす」

 コンビニのあの子の笑顔を思い浮かべながら、僕は天井を見上げてコーラを飲んだ。

 コクコクコク、

 小気味よい音を立ててコーラは喉を降りてゆく。

 昨日バイクに揺られ、太陽の光をまともに受けたはずなのに、味はいつもと変わらなかった。逆に清涼感が増しているような気がした。


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