表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
104/107

暗闇で鳴り響く音

鼓膜が破れそうなすさまじさに、思わず耳を押さえた。するとそれを待っていたかのように、目の前が真っ暗になった。

 でも僕はあわてなかった。

 何も見えなくなったが、白い世界が黒い世界に変わっただけ。上も下も分からないのに変わりはない。 

 だが、無性に腹が立った。

 といっても、どこかに消えたトリエステにではない。頭上で鳴り響く雷に対してだ。

僕は雷は大好きだ。

 僕にとって稲妻は、くすみがちな僕の心をきれいにしてくれる浄化剤。雷鳴は、くじけそうになる僕を励ましてくれる応援歌。

 たぶんそれは祖母から『雷様は人間が汚した空気をきれいにしてくれる。雷が多い年は豊作になる』という話を何度も聞かされていたからだろう。

「何だ、お前は」僕は雷に向かって怒鳴った。「それが、数少ない理解者に対する態度なのか。もし歓迎しているのなら許してやる。でも、あまりにも音が大きすぎる。ものには限度というものがあるんだ。雷の世界だか何だかしらないが、邪魔だ、うるさい、ささっとどっかに行っちまえ」

 闇に向かって叫ぶと、不思議なことが起きた。

 雷鳴が静かになったのだ。それだけではない。後ずさりするように、そろりそろりと動きはじめたのだ。

 ここの雷には意思のようなものが備わっているのだろうか。

 だとすると、言い方が強すぎた。僕は遠ざかる雷鳴に声をかけた。

「黙れ、って言ったわけじゃないんだ。少し静かにするだけでいいんだ」

 すると、機嫌のいい猫のような、ゴロゴロという小さな音が返ってきた。

 真っ暗闇はご免だが、この音を毎日聞けるのなら、雷の世界も悪くなさそうだ。

 そんなことを考えていた僕は、あわてて頭を切りかえた。

 先ほどの指先の感触を思い出したからだ。

 あれはトリエステだったかもしれない。いや、トリエステ以外に考えられない。遠くに行ったのは音声だけ。本体は残っているはず。

 希望が湧いてきた。

だとすると、僕のすぐ近くに浮かんでいる可能性がある。しかしへたに手を動かすと、遠くにはじき飛ばしてしまう恐れがある。そうなると、本当に永遠に会えなくなる。ここは慎重に、慎重に。

 僕は、おそるおそる闇の中に右手を伸ばした。

 手に触れるものは何もなかった。

 今度は左手。

 こっちにも何もない。

 やはり、左後方だろうか。

 体の向きを変えようとしたところで、急に体が重くなった。蜂蜜を入れたプールの中に放り込まれたような錯覚を覚えた。

 やれやれ、

 勝手に大きなため息がもれた。

 全身の力が抜け落ちた。

 このまま固まってしまうのだろうか。雷の音を聞きながら、永遠に暗闇の中に閉じ込められてしまうのだろうか。

 でも、これが運命だったとすれば、あきらめるしかない。

「はいはい終わり、はい終わり。あとは勝手にやってくれ」

 ふて腐れた声でそう言った僕は、あることに気がついた。先ほどまでかすかにゴロゴロと鳴っていた雷鳴が、別の音に変わっていた。

 でも、まさか、そんな、と思った。

 それが、電話の呼び出し音にそっくりだったからだ。

 雷の音が重なると、こんなふうに聞こえるのだろうか。

 目を閉じて、耳を澄ませた。

 リリリリリーン、リリリリリーン。

 間違いない。と言うか、僕には電話の呼び出し音にしか聞こえなかった。

 いよいよ、聴覚までおかしくなってきたぞ。

 だが、まてよ。

 僕の脳裏に、先ほどのトリエステとの会話がよみがえった。

『他にどんな世界があるの?』

 と僕は言った。それに対してトリエステはこう答えた。

『元の世界に戻る気がなければ教えて上げてもいいわよ』

 はい、他にもいろいろな世界があるんです、と言っているようにも聞こえる。しかし、いくらなんでも、電話の着信音の世界なんてものが存在するはずがない。

 そんなことを考えていると、その音は次第に近づいてきて、手を伸ばせば届くくらいのところで停止した。

 どう考えても、電話の着信音だった。

 さて、どうしよう。

 すこしだけ迷った。だってここは、闇の世界。どんな魔物が棲んでいるか分からない。着信音と同じ声を持つ怪獣が潜んでいてもおかしくない。

 しかし、危険な気配は感じなかった。それに、僕に迫ってきたというより、すり寄ってきたような感じを受けた。

 いずれにしても、僕は一度死んだ人間。二度死んだらどうなるか見てやろう。

 自分が置かれている状況が分からないまま、僕は音のするほうに手を伸ばした。

 手先に固いものに触れた。

 残念ながらトリエステではなかった。

 それが携帯電話だというのは手触りで分かった。着信音だけでなく、小刻みに震えていた。

 僕は気持ちを決めた。

 携帯電話で感電死した人はいないだろう。

 軽く触ったつもりだったが、着信ボタンを押してしまったらしい。

 とつぜん女の声が聞こえてきた。

「モシモシ」

 その声に思わず反応してしまった。

「トリエステだよね」

 言ったあとから人違いだと気づいた。

「いえ、そうではございません」

 初めて聞く声だった。

「○○様でいらっしゃいますか?」

 相手は僕の本名をフルネームで言った。

 混乱する頭で考えた。

 これから、どこかに向かうための手続きが始まるのだろうか。

 だとすれば、ここと、元いた世界との間に事務的な取り決めがあるということになる。一体、だれが決めたのだろう。これまであの世に旅立った政治家や、役人たちだろうか。

「モシモシ、○○様」

 再び声がした。

「はい、何でしょう」

 僕はそれだけ言って出方を待った。

「何度も電話を差し上げて申し訳ございませんでした。お取り込み中でしたら、後ほどかけ直しますが……」と言ったところで、相手は自分が名乗っていないことに気づいたらしい。

「誠に失礼しました。わたくし、△△の××と申します」

 ますますわけが分からなくなった。

 △△というのは、僕が登録していた人材派遣会社。

 もちろん元の世界にいたときの話だ。

「電話を差し上げたのは、○○様の担当になったことをお知らせするためでございます。ご質問や要望がございましたら、どのようなことでもかまいません。遠慮なくお申し付けください」

 僕はしばらく、しかし、真剣に考えてから口を開いた。

「分かりました。いくつか質問したいことがあるんですけど」

「どうぞ」

 事務的な声のあと、僕は「まず最初の質問です」と言った。「ここはどこなの?」

 十秒ほどの沈黙。担当者は念を押すような口調で言った。

「真面目に答えてよろしいでしょうか?」

「もちろん」

「では、わたくしの質問にお答えください」担当者は小さく咳払いをした。「○○様がお知りになりたいのは、私共の所在地のことでしょうか。それとも、今○○様がいらっしゃる場所のことでございましょうか」

 僕は少し考えてから答えた。

「じゃあ、こうしましょう。僕があなたの会社の住所を言います。それが当たっていたら、はい。間違っていたら、違います。そう答えてくださいませんか」

 こんどの沈黙は先ほどよりも長かった。

「承知いたしました」開き直った声に聞こえなくもなかった。「ではどうぞ」

 元の世界で記憶していた人材派遣会社の住所を言った。

 相手は、はっきりした声で答えた。

「はい、そのとおりでございます。○○様」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ