表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

倉庫

He is perfect Hit man.

作者: 楠瑞稀

 走り回りすぎて息が切れていた。

 普段の運動不足のツケか、足の筋肉がびくびくと痙攣を起こしている。

「――要するに、俺が言いたいことはただ一つだ」

 人の気配とは無縁の古ぼけたビルの屋上。

 逃げ場はどこにもなく、悲鳴は誰も気付かないに違いない。

「こんなことで死ぬ奴は世界中探してもどこにもいない。だから――、」

 漆黒の中折帽を被った男は、僕に向かってニヒルに言った。

「まぁ、安心して死ね」

 ……それって矛盾してないか?



 ※  ※  ※



 ことの始まりは黒板消しだった。


 その日僕は講義を受けるために、大学の構内を歩いていた。

「あれ、サトちゃんだ。めずらし〜」

「おおっ、明日は雪でも降るんじゃねぇか」

 見知った顔、見忘れた顔から口々に声をかけられる。

 失敬な。

 確かに僕は不良学生ではあるけれど、世捨て人でなければレッドデータアニマルでもない。そんな街中でヒバゴンでも見たような顔をしないでくれ。

 ……まぁ確かにここ二、三週間、アルバイトに精を出しすぎ大学で見かけなかったと認めるのはやぶさかではないけれど。

 そんな風に少々釈然としない気持ちで講堂に向かい、しごく自然に、何気ない仕種で教室の扉を開けた。その次の瞬間、


 ―――ばふっ


 僕の頭に黒板消しが落ちてきた。

 たっぷりとチョークの粉を吸った、あの昔懐かしい黒板消しが頭の上でもうもうと白い粉を撒き散している。

 ちなみにウチの大学で使われているのは例外なくすべてホワイトボードだ。

「さ、サトちゃん。美味しすぎっ」

 背後で学友たちによる大爆笑が巻き起こった。

「これは君たちの仕業かい、うん?」

「さ、サトちゃん……そんな虫も殺さぬような笑顔で首絞めてこないで。今さっきだぜ? おれたちがサトちゃん来たの知ったの。こんなネタ仕込むの無理だって」

 まぁ、確かにそうだ。

 あらかじめ学校に来ることを誰かに告知していた訳では無いし、講堂には寄り道することなくまっすぐ向かった。

 僕の行動を逐一監視してでもいない限り、僕を標的にこんな馬鹿げた悪戯を仕掛けられるはずがないのだ。

 ようするに僕はこの無差別テロにも似た悪ふざけに運悪くひっかかってしまった哀れな犠牲者だと言うことだろう。

「……やれやれ。まったく、ついてないなぁ」

 こんな昔懐かしい悪戯を仕掛ける人間の気が知れない。腹が立つよりも先に僕はすっかり呆れ返ってしまった。

 そうして小さくため息をついてチョークの粉を払い落とす。

 しかしそれが犯人からしてみればほんの小手調べに過ぎなかったことに、僕はすぐさま気付かされるのだった。



「いくらなんでもおかしい」

「単に考えすぎなんじゃないの?」

 それは大学の帰り道。電車の中で学友は断言した僕の言葉をあっさりと否定してくれた。だけどそれでも僕はめげずに首を振る。

「いや、さすがにおかしすぎる」

 あの黒板消しを皮切りに、僕の周囲では妙な悪戯が頻発していた。

「だってさ、道を歩けばいきなり空から金ダライが落ちてくるだろう。んでもって建物に入った途端一斗缶が降ってくる」

 僕はここ最近この身に降りかかった出来事を、ひとつひとつ指を折って挙げていく。

「グレープフルーツジュースを飲もうとすれば気付かないうちに100%レモン果汁にすり替えられているし、道にバナナの皮が落ちていることなんてここ一週間でゆうに十五回はあったんだぞ!」

 それはなんと日に二度はバナナの皮が仕掛けられているという計算だ。

 こんな偶然ありえるはずがない。

「おもしろそうでいいじゃん」

「おまえ……人事だと思いやがって。この間なんてな、うな丼を食ったらどんぶりの下半分に梅干が敷き詰められていたんだぞ。冗談じゃないっ」

「うな丼いいなぁ〜、サトちゃん奢ってよ」

「そういう問題じゃないだろっ。鰻に梅干なんて最悪の食い合わせじゃないか!」

 ちょっとは真剣に考えてくれ、と訴えると相手は不思議そうな顔で首を傾げた。

「そりゃさ、確かにおかしなことだとは思うけど、別にどれもどうってことないじゃん。バナナの皮も、金ダライも別にそれのせいで死ぬわけじゃないし」

「一斗缶だったら打ち所によっては死ぬよっ」

「そんなのよっぽど運が悪かったらの話だろう。サトちゃんの考え過ぎだってば」

 学友はやれやれと肩をすくめる。僕はむっと唇を尖らせた。

「考え過ぎって、実際こんなことが続いたら誰だって疑心暗鬼に陥るだろう」

「よっぽど悪辣になってくるようだったら警察にでも通報すればいいさ」

「毎日道にバナナの皮が仕掛けられているので助けてくださいって? どこまで本気にして貰えるかわかんないよ」

「そん時はそん時さ。大丈夫だって、別に命の危険はないわけだし。そう心配しなくたって犯人もしばらくすれば飽きてどっかいっちゃうよ。それまでの辛抱だって」

 そんなほとんど役に立たない助言を残してのん気者の友人たちは別々の帰路につく。

 乗り継ぎのためにホームに降り立った僕は、その場で深々とため息をついた。

(別に命の危険はないって、そんな保障どこにもないじゃないか)

 こんなことが毎日のように続くのは正直、気味が悪くて仕方がない。ストーカーなのかただの嫌がらせなのかは知らないけれど、それがエスカレートして命が危うくなることがないなんていったい誰が保障できると言うのか。

「まぁ本当に、飽きてどっかいってくれるに越したことは無いんだけどさ」

 だけどそれも、やっぱり僕の希望的観測以外のなにものでもなかったらしい。

 そもそも電車を待つためホームのまん前に立った僕は、おかしな現象に狙われ続けているにしてはあまりにも無防備だったのだ。

 電車の接近を告げるランプが点滅し始め、線路の向こうに先頭車両が覗いたその瞬間。

 僕は背後から――


 『ひざかっくん』をされた。


「うおおっ!!?」

 思わぬ衝撃にバランスを崩した僕の顔面すれすれを電車がかすめていく。あと一歩でも前に出ていたら僕は先頭車両に首が千切れるほど強烈なビンタを喰らうことになっていただろう。

 これはさすがにシャレにならない。

 僕はバクバクと暴れる心臓を片手で押さえつけ、慌てて背後を振り返った。

 ラッシュアワーには若干早いこの時刻。

 黒い影が人に紛れ慌てて階段を駆け下りていくのがはっきりと見えた。

「待て、このやろう!」

 僕は反射的にその影を追いかける。

 それが始めから仕組まれていたということに、僕はついぞ気付かなかった。


 影を追いかけて改札を抜け、細い道を何度も曲がり折りしているうちに僕は人気のない裏通りに来てしまった。

 雑居ビルが立ち並ぶそこは夕刻だと言うのに賑やかしさの欠片もない。

 赤い日が差し込むその路地は、まるで近未来SFにでも出てくる荒廃した都市に迷い込んだ気分だ。

 だけどそんなことで気後れするでもなく周囲をきょろきょろと探し回っていると、ふいに頭上に影が差すのに気付いた。

 これまでの経験上何かが落ちてくると気付いた僕は反射的に飛びすさる。


 バコ―――ンッ!!


 ぎょっとするくらい大きな音をたてて降ってきたのは、なんとドラム缶だった。

 これまでの黒板消しや金だらいとは訳が違う。

 こんなのが当たれば即死……かどうかは分からないけれど、打ち身どころの騒ぎじゃ済まないことは間違い無し。僕が命を狙われたというのは誰の目からもあきらかだった。

「この上だなっ」

 しかし怒り心頭に発していた僕には、それを人に告げて助けを求めるなんて考えは欠片も浮んでこなかった。

 ただ犯人を捕まえようと、形振り構わず外付けの螺旋階段をがたんがたんと派手な音をたてながら駆け上っていったのだった。


 日ごろの運動不足が祟ったのか。駅からここまで全力疾走の上、六階分の階段を一気に駆け上った僕の足はとうとう白旗を揚げ、これ以上は一歩も動けませんぜ、ダンナ。と言わんばかりにがくがくと震えていた。

 螺旋階段の終点は屋上だった。

 犯人を捜してきょろきょろと周囲を見回したものの、そこは見事なくらいがらんとしている。と、言うか見晴らしが良いにも程がある。

 なにしろそこには遮蔽物は一切存在しないない。どうやらビルの持ち主が安全管理にかなり無頓着だったらしく、フェンスどころか柵さえも存在しないのだ。ここで仲良く鬼ごっこでもしようものなら全体の四割はうっかり地上へダイブしそうな危うさがある。

 それでも諦めきれずきょろきょろとあたりを見回していたとき、僕は背後から突然肩を叩かれた。


「――誰を探しているのかな?」


 どきんと心臓が跳ね上がった。

 僕は振り返りざま飛び退ったものの、疲れきった足にそれだけの反応を求めるのは無理だったらしい。足をもつれさせてぶざまに尻餅をつく。

「おやおや。大丈夫か」

 男が僕を見下ろしくすりと笑った。

 年の頃はたぶん二十代半ばからせいぜい三十代前半だろう。

 ガリガリに痩せている訳でもなければ筋骨隆々という訳でもない。中肉中背といったごくごく普通の体格。

 少々目つきが鋭いことを抜かせば顔立ちは普通――いや、平均よりもわずかに整っているといったところか。

 黒い中折れ帽を被り、スーツからネクタイから黒一色で揃えているというあたりかなり独特のセンスがうかがえるが、はっきり言って今はそんなこと大した問題ではない。

 近付いてくる相手から逃げるように、尻餅をついたまま僕はずりずりと後ずさる。

 親切そうな口をきいてはいるものの、僕は一目でそいつがまともではないことに気が付いた。

 そう。どうひいき目で見てもまともでなんかあるはずがない。

 その男はあまりにも堂々と、


 鼻メガネをつけていた。


「こうやってターゲットと顔を合わすのは久々だ。なかなか手こずらしてくれたじゃないか」

 男は僕を見てにやりとほくそ笑んだ。

「しかしついに年貢の納め時だな」

 まるでプロレスのヒールのような分かりやすい悪役口調。もっとも鼻メガネの所為で迫力はだいぶこそぎ落とされている。

「あんた、仲間内ではサトちゃんと呼ばれているらしいな。短い間だが俺もそう呼ばせてもらおうか」

「あ、あんたはいったい誰なんだ!」

 そう叫ぶと男はおやと眉を上げた。

「見て分からないか」

「……」

 もちろん分かるはずがない。どうしても答えろというのなら人気急上昇中の若手コメディアンにファイナルアンサー。ただしそれはあくまで希望的観測に過ぎない。

 男はにやりと笑って言った。

「俺は殺し屋だ。とある人物からおまえを殺すように依頼を受けた」

「こ、殺し屋ぁ!?」

 僕は思わず高々と声を張り上げた。

「殺し屋に狙われるような覚えなんてまるでないぞ!」

「もうかれこれ十年以上この仕事をしてきたが」

 魚のように目を丸くする僕に、男は訳知り顔で頷いてみせる。

「俺の経験から言うとほぼ間違いなく、標的の九割方がそう言うな」

 ……確かにそれはそうだろう。

 有り難くもないことに、僕はその九割の人間の気持ちがはっきりと理解できていた。

 いわく――そんなの冗談じゃない、だ。

 だいたい殺し屋に狙われているにしては納得しがたいことがいくつもあった。

「殺し屋、ということは僕の命を狙っているという事だよな」

「美学のない言い方だが有り体に言ってしまえばそうだ」

「じゃあこれまでのくだらない悪戯もまさかお前の仕業なのか?」

「くだらないとは失礼な!」

 疑問を解消すべく尋ねると、殺し屋はなぜだかいきなりぷんすかと怒り出した。

「あれはな、証拠を残さないもっとも完成された殺しのスタイルなのだぞっ」

「はぁ?」

 まったく意味が分からない。

 とりあえず先を促すと、殺し屋はやたら得意げに語り始めた。

「いいか。この世の中、普通なら死ぬはずないような事であっさり死んでしまう人間が少なからず存在する。鼻血で命を落とす者もいれば、小さな菓子の欠片を気管に吸い込んだだけで死ぬ者もいる。学校のグラウンドから飛んできたホームランボールが脳天に直撃して死ぬ者だっている。だがそういった者はほぼ必ず運が悪かったのだと称され、それが仕組まれたことであるとはほとんど考えられない」

「そりゃそうだろうよ」

 そんな非効率的な殺人方法を真面目に考える人間がいるとは到底思えない。そんなことは滅多に起こらないから偶然と言われるのだ。

 どんなにネタに詰まったミステリー作家だって、そんな馬鹿げたトリックを考案したりはしないだろう。

 だけど、世の中は広かった。

 そんな途方もない殺し方に果敢にチャレンジする人間も確かに存在するのだ。

 例えば今、目の前に。

「隕石が落ちてきて死ぬ確率は、宝くじの一等が当たる確率よりも高いんだぜ。だいたいどれほど確率の低い死因でも、狙って行えば死亡率は格段に跳ね上がる。しかもそれが馬鹿げた死因であればあるほど、殺人と気付かれる可能性は低くなる。そこに我々のような人間の付け入る隙があるのだ」

 男はにやりと笑って言った。

「実際に俺はこの方法でほぼ百パーセントの成功率を誇っている」

 殺し屋は懐から凶器を取り出し、構えた。

「さて、サトちゃん。誰ひとりとして死んだことがないような、突飛で伝説級の死に方が出来る己を光栄に思うがいい」

 躊躇いなく得物を振りかぶるその姿に、しかし僕はこんな場合にも関わらず開いた口が塞がらなかった。

「ち、ちょっと待てっ!! お前、それでいったいどうするつもりだ!」

「どうするって、決まっているだろう」

 殺し屋はあっさりと答えた。

「ピコピコハンマーで撲殺」

「阿呆かあぁっっ!」

 僕は思わず叫んだ。

 男が取り出したのは昔懐かしい玩具のハンマーであった。蛇腹のクッション状の頭部に黄色い柄が付いている。もちろん安っぽいプラスチック製品に殺傷能力は皆無だ。

「無理だっ。そんなもんで死ねるはずがない!」

「安心しろ。死ぬまで殴ってやるから」

「それはそれで恐ろしいような気もするけれど、やっぱり無理だって!」

 懸命に常識を訴えると男はやれやれと肩をすくめた。

「仕方がないな。そんなに気に食わないと言うのなら、ここまで粘った褒美として特別に死に方を選ばせてやろう」

 好きな死因を答えるんだ、と奴は言う。しかしもともと黒板消しやらバナナの皮なんかで人を殺そうと考えるような殺し屋だ。代替案だって土台まともであるはずがない。

 殺し屋は黒皮の手袋に包まれた指をぴんと立てた。

「一番。――豆腐の角に頭をぶつけて、脳挫傷」

「死ねるかよ!」

 僕は全力で突っ込む。

「じゃあ二番。馬に蹴られて全身打撲」

「人の恋路を邪魔してもいないのに!?」

「三番。清水の舞台から飛び降り自殺」

「何に決意してだよ!」

「ナポリを見て死ね」

「もう訳が分かんないよっ!」

 しかも段々趣旨がずれてきたし。

 殺し屋はやれやれと呆れたようにため息をついた。

「我が儘だな」

「どっちがだよ!」

 思いっきり裏拳を入れる。

 つうか、ここまでまともな死因がひとつもないといっそ見事だよ。

「お前、絶対面白づくで殺し方選んでるだろう……」

「そんな訳あるまいよ。俺はこれ以上なく真剣だ」

 殺し屋は暮れつつある夕陽をバックに、自分の腕時計を確認して舌打ちする。ちなみにモノは限定品のドラウォッチだった。

「……仕方がない。こんなことは俺の美学にそぐわないのだが、こうなれば手段を選んではいられないな」

 殺し屋はピコピコハンマーを放り捨てると懐から新たな武器を取り出した。

「さあ、撃たれたくなければそこから飛び降りるんだ、サトちゃん」

 僕はそれを見てはっと息を呑んだ。

「拳銃……!」

 すっかり油断していた。

 いくらこいつが鼻メガネでも、ドラウォッチでも、ふざけた殺し方にこだわっていたとしても、飽くまで本職の殺し屋であることには違いないのだ。拳銃の一つや二つ持っていたとしてもおかしくは無い。

「くっ……、飛び降り自殺にでも見せかけようというんだな!」

「いや、紐無しバンジーだ」

「バンジージャンプかよっ」

 つうか果たして飛び降り自殺との違いはどこにあるのだ。

「果たしてどちらが面白……楽な死に方か、いくらなんでも理解できるだろう」

「おまえ、今明らかに面白いって言おうとしただろう!」

 やっぱりこいつは笑いを優先して殺し方を選んでやがるっ。

 だけどそれでも僕が現在殺されかかっているという事には変わりは無かった。

 僕はずりずりと後ずさる。

 さして広くは無い屋上だ。すぐに端まで追い詰められてしまった。

 あと一歩でも下がればコンクリートの地面に真っ逆さまとなるだろう。

「さあ、もう後がないぞ」

 蒼ざめ引き攣る僕の顔を見て、殺し屋はにやりとほくそ笑んだ。

 これはまさに絶体絶命のピンチ。

 もはや僕に為す術はないのか……。

 殺し屋は映画のワンシーンのように格好良く台詞を決めた。

「潔く覚悟を決めるんだな、サトちゃん。いや――佐藤信夫っ!」

「へっ?」

 だけど僕は反射的にきょとんとしてしまった。

「………誰、それ?」

 そうして思わず聞き返す。

「誰って、往生際が悪いぞっ。佐藤」

 びしりと再度指を突きつける殺し屋に、僕はいやいやと手を振った。

「僕は佐藤じゃなくて金沢だから。金沢聡で、あだ名がサトちゃん」

「……」

 殺し屋はしばらくの沈黙の末、おもむろに懐から黒皮の手帳を取り出した。そして真顔でそれをぱらぱらとめくり始める。

「――あっ……」

 殺し屋は小さく声を上げた。

「さては間違えたな、標的を間違えたんだな!」

「ま、間違えたんじゃない、ちょこっと、勘違いしただけだ」

 ここぞとばかりに追及すると、殺し屋は決まりの悪そうな顔でとたんに目をそらす。

「おんなじことだろうがっ!」

 ほれ見ろ。大体おかしいとは思っていたのだ。

 そもそも至極平凡な大学生である僕が、殺し屋に狙われるなんて有り得るはずがない。なんて迂闊な殺し屋なんだ!

 呆れ返ったのと安堵したのと両方で、僕はへなへなと脱力してしまった。


 ――だけど、それで事がめでたしめでたしに終わる……という訳には、いかなかった。


「……なるほど、確かにターゲットはお前ではなかったようだ。だが顔を見られたからにはこのまま帰すわけには行かない」

 殺し屋は開き直ったのか居直ったのか、なんと再び僕に拳銃を向けてきた。

「えっ。ちょ、ちょっと待ってそんな!!」

 せっかく助かったと思ったのにそんな殺生な!

「悪いがこれも運命だと思って諦めな」

 殺し屋はあらためて拳銃を向けると、容赦なく引き金に指を掛ける。

 狙いを定めるように僅かに細めた双眸は、これまでとは打って変わった冷酷な殺し屋の眼差しだった。

(うわあっ、もう駄目だ!)

 僕は今度こそ死を覚悟すると、頭を抱えて固く目をつぶった。


 ――ぱんっ


 乾いた音が耳をつらぬく。

 だけど不思議なことに予想していた痛みはまるでやってこなかった。

 僕は恐るおそる目を開ける。

 そこには色とりどりの紙吹雪がひらひらとあたりを舞っていた。

「――なんてな」

 殺し屋は各国の国旗が垂れ下がる銃を片手にニヒルに笑って肩をすくめた。

「俺は依頼に無い殺しはしない主義だ」

 迷惑かけたな。達者で暮らせ。歯ぁみがけよ。

 男は立て続けにそれだけ言ってあっさりと背を向ける。

 僕は呆然とその後姿が見えなくなるまで見送っていた。

「なんだったんだ、いったい……」

 熟れきった果実のような真っ赤な夕日を背後に、カラスの群れがまるで漫画のように「アホー、アホー」と鳴きながら飛んでいく。

 腰が抜けて立てない僕は、とりあえず佐藤信夫氏とやらの命運を祈ることにしたのであった。



【終】


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] すごく面白かったです! 後半のサトちゃんのツッコミも良かったし、前半のほうで出てきた、なんか不幸っぽい殺し屋の手段も良かったです! あと、サトちゃんの本名を一番最初で明かさずに、最後まで引…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ