すきだった。けど……。
すき、だったけど。
それは絶対に言葉にしちゃいけない。
エドワードに迷惑がかかるから。
こうして一緒にくらしていると、そんな好きって気持ちはどんどん大きくなっていくけれど、それでも我慢。
そう思って暮らしてきて、もうじき約束の三年が経とうとしていた。
赤ん坊だったアンソニーも、ずいぶん大きくなって。
愛情を注がれてそだった子は、こんなにもかわいく素直に育つのだなって、とても微笑ましく思えていたころ、だった。
わたしは三年経ったらここを出て行かなきゃならないって思うとすごく淋しくて。
でも、具体的な話はエドワードとはできないでいた。
きっと、エドワードの方から、いついつでどうしてどう、みたいな話がされるんじゃないかって思っていたから、わたしは何の準備もしていなかった。
だって、ここを出て行こうにも行くあてなんか無かったもの。
実家の家だって、もうわたしの帰る場所なんか無い。
今更フレッドに頭をさげ家に住まわせて貰うだなんてこと、できるわけなかったから。
まあ、ここを出たら出たで、貴族を辞めて下町にでも行くしか無いかな。
女一人でも、なんとか暮らしていけそうかな。
そんな自信はあった、けれど……。
そうした場合に一つだけ困るのは、そうしたら二度とかあさんに会いに行くこともできなくなる、ってことだけ。
だってそうでしょう?
下町の平民の女が、前男爵夫人として暮らしてるかあさんに会いにいけるわけがない。
身分が、違っちゃうもの。
最近、エドワードがソワソワとして、何か言いたげな顔をして、やっぱり辞めたとばかりに口をつぐむ、といった様子を見せるようになった。
そろそろ具体的な別れの話をされるのかな、とは思うけれど、やっぱりわたしからは言えずにいた。
そんなある日のことだった。
夕食の席でエドワードがずいぶんとお酒に酔ってしまわれて。
いつもより早いペースでワインを召し上がっていたから、気になって。
「もうそのくらいにしておいた方が……」
とわたしが言うと、困ったようなお顔をしたエドワード。
「では自室で呑むことにするよ。コーラル、部屋に酒を運んでくれ」
と言って食堂を出て行ってしまった。
(様子が、おかしいわ……)
何か困ったことでもあったのだろうか?
もう心配で心配で、わたしもその後をついて行った。
何でもいい。何か少しでもお話が聞ければ……。
わたしに何かできることも、見つかるかもしれない。
わたしは、エドワードに受けた恩を返さないまま、彼の元を離れるのに、躊躇していた。
だから。
何か、彼の力になりたかった。
「お体に触りますわ」
お部屋についたところでコーラルさんが運んできたお酒を受け取り、そのまま手酌
であおりはじめたエドワード。
わたしはもう心配で心配で、彼がどっかりと座ったソファーの対面に腰掛け、彼の顔を覗き込んでそう言った。
そしたら、少しはわたしの気持ちがわかってくれたのだろうか。
空いたグラスを用意し、わたしの前にもお酒をおいて。
「ああ、フローラ。お願いだ、私はもうどうにかなってしまいそうだ。少し、話を聞いてくれないか」
そうしんみりと語り出す彼。
コーラルさんは彼がもう返していたから、二人っきりで。
「わかりました。わたしでできることなら何でもします。一体何に悩んでいるのか、話てみてはもらえませんか?」
もうエドワードはずいぶんと酔ってしまって、目も虚になってしまっている。
ああ、このままじゃ、ダメ、だ。
そう思ったわたしは、出会った頃のお店の時のように、彼の隣に移って。
「お酒、わたしもいただきますね。だからエドワード様。あの時の夜のように、何でも話してみてはもらえませんか? わたし、あなたの力になりたいんです」
「ありがとう、フローラ。ああ、君の隣は落ち着くよ。何だか昔に戻ったみたいだ……」
そう言って、彼の体が自然とわたしにもたれかかる。
「私に触れられるのは、いや、だろうか……」
寂しそうな声で、そんなことを呟く彼。
「いえ、そんなことはありませんよ。わたしはあなたの隣でなら、本当の自分を出せますもの。あなたとの婚姻は契約のもとの『嘘』だったかもしれませんけれど、今のわたしは自然体の、わたし、です。あなたと一緒にいるのは、とても心地よかった、ですわ」
「ああ、ありがとうフローラ。私を慮ってだったとしても、そう言ってもらえて嬉しいよ……。私はずっと、君には好かれていないんだと思っていた。君は、私のそばにいて妻を演じてくれているだけだと。それが、苦しくて……」
エドワード、さま?
「ごめん、もっと君に触れていたい……。ダメ、かな……?」
ああ。
彼は酔っ払って甘え上戸になってしまっているだけかもしれない。
本心じゃ、無いかもしれない。
今だけの、気の迷いかもしれない。
そんなことは、わかっていた。
でも。
わたしには、彼を拒むことなんて、できなかった。
お酒が入った、から?
ううん、わたしはこれくらいのお酒で酔ったりはしない、から。
ダメ、だ。
彼が酔っ払っていることをいいことに、彼にもっと触れていたい。
そう思ってしまったのは、わたしの方だった。
「ベッドで添い寝をしてほしい……」
そんな彼の言葉に、ゆっくり頷く。
酔って、前後不覚に陥ってしまったエドワードの手を支え、ベッドまで連れて行く。
◇◇◇
わたしは、過ちを犯してしまった。
取り返しはつかない。そんな過ちを。
酔った彼がエスカレートして、わたしの身体を求めるかもしれない、だなんて、そんな可能性を考えもしなかったかというと、嘘だ。
嫌だったら、彼をベッドに寝かせたら、さっさと自室に戻ればよかっただけなのだもの。
酔って理性を失った彼。
悪いのは、わたし、だった。
早朝。
彼が起き出す前に起きて。
後悔、していた。
こんなこと、しちゃうつもりじゃ、なかった。
昨日は約束の期限の三日前、だった。
確かに。
わたしの身体を求めたのは、エドワードだった。
酔ってはいたけれど、彼は力強く、わたしを抱きしめてくれた。
それを嬉しいと思ってしまったのは、わたしだ。
初めて、だった。
そう、嫌だったら拒否できるくらい、わたしはお酒をそこまで飲んでいなかった。
だけど……。
今回のことに対し、エドワードは、悪くない。
わたしが悪いのは間違いないから。
彼は子供はいらない。
絶対にアンソニーに家督を譲るためにと、そういう選択をしていた。
彼がどんな思いで自分を犠牲にしているのか、は、聞いていた。
だからその彼の気持ちも尊重するつもりだったし、彼に迷惑は、かけたくなかった。
ああ。
彼に恩を返すつもりだった、のに。
それもできないまま……。
わたしが、わたしの方だけが、どんどん彼のことを好きになって。
昨夜はとうとうその気持ちを抑えることができなくて……。
涙が溢れてくる。
ああ、もう、ダメ。
もう、普通に彼の、エドワードの顔を見ることもできないよ……。
「出て、行こう……」
泣きながらそう言葉にする。
このまま彼のそばにいて、これ以上迷惑をかけるのは、避けたい。
ううん。
わたしがもう、この気持ち、彼を愛しているという気持ちを隠しとおすことができない、から。
「契約、違反、ですよね……」
恋愛感情なしに、偽装結婚をする、と。
そう約束したのではなかったか。
わずか数日といえ、契約期間を満了できなかったことも気にはなるけど……。
ごめんなさい、エドワード。わたし、出ていきます、ね。
最低限の身の回りのものだけ鞄に詰め込み、わたしは家を出る準備をする。
便箋に、「探さないでください」とだけしたため、彼の部屋の枕元においた。
昨夜は泥酔していたからだろう、エドワードはまだぐうぐうと声を漏らし寝入っていた。
かわいい寝顔。
大好きです、エドワード、様。
こころが抑えきれなかった。
本当は、彼のそばにずっといたい。
わたしの恋を応援してくれるって言った彼。
でも、わたしが恋しているのはエドワード、あなたに対してなのだもの。
叶わない、恋。
我慢するつもりだったけど、もう、ダメ。
だから。
わたしは出ていく。
ごめんなさい。あなたにこれ以上の迷惑はかけられない。
涙をポロポロこぼしながら。
(愛しています。エドワード、様……)
心の中でそう呟くと、彼の頬にそっと口付けし。
わたしはまだ薄暗いうちに家を出た。
行き先なんてどこでもよかった。
とにかく遠くに、行きたかった。




