売国交渉②
ドロシアとの会談からさらに数日後、私はリューベン公国の北部に陣を張るボルン王子の陣営を訪れていた。
ドロシアの退廃としたキャンプとは対照的に、そこは規律と熱気に満ちていた。兵士たちの目は鋭く、軍装は整い、彼らが名誉と誇りの名の下に団結していることが一目で分かった。だが、その瞳の奥には隠しきれない疲弊と、冬を前にした飢えの予兆が張り付いている。
「……よくも、厚顔無恥にもここへ来られたものだな。プロイドの『追放令嬢』」
幕舎の中に入るやいなや、老臣の一人が鋭い声でそう放つ。ドロシアに似て整った容姿を持つボルン王子は、ただ静かに座っている。しかし、その瞳には一点の濁りもない高潔さが宿っている。一方、彼を囲む家臣たちの私を見る視線は、毒婦を見るかのように冷ややかだ。
てか、追放令嬢て呼び名、流行りすぎじゃない?
「不愉快な肩書きで呼ぶのはその辺になさってください。さてボルン殿下、私は平和の特使としてここに来たのです」
私は優雅に一礼し、懐から一通の親書。プロイド公国代表団の前で、ドロシアが震える手(演技か本気かは知らないけれど)で署名した全権委任状を突きつけた。
「貴方の弟君、ドロシア殿下は此度の内紛の解決のため、その権限を我々プロイド公国に委任されまたした。リューベン南部の穀倉地帯、主要街道、そして公都。すべて我が主マクシリア陛下の掌中にあります」
「………」
沈黙するボルンに対し、背後の家臣たちが「馬鹿な!」「あの腰抜けが!」「売国奴が」と口々にドロシアを罵る。だが、私は冷徹に事実を積み重ねていく。
「そもそも、帝都政権が認めた正式な王であるドロシア殿下に楯突く時点で貴方がたは賊軍。ドロシア殿下に事態解決を委任された我がプロイド軍の方に大義名分があるわけですが、我が主マクシリア陛下は寛大な御方。今、降伏すればその命だけは助けると確約しております。リューベンの民の安寧と未来のため、どうかご英断を」
私がそう告げると、ボルン王子の眉間がピクリと跳ねた。沈黙を守る彼の代わりに、一人の老臣が激昂して一歩前に出る。
「黙れ、毒婦! 我らリューベン公国の第一の藩屏が、祖国滅亡を前に命を惜しむものか! 死して主君の名誉と誇りを守ることこそが、真の騎士道であり愛国心なのだ!」
他の家臣らも、そうだそうだと騒ぎ立てる。その茶番を前に、私は心底愉快になったのでくすくすと笑い声を漏らすと、幕舎の中が凍りついたような静寂に包まれる。
「……何がおかしい」
ボルンが低く、押し殺したような声で問う。私は笑いを含んだ瞳で、まっすぐに彼を見据えた。
「いえいえ、民を餓死寸前まで追い込んでまで己の権益を守ろうとする事を愛国心と説くことに驚いただけです」
「……な、何だと!? 貴様、我が忠義を愚弄するか!」
老臣が顔を真っ赤にして叫ぶが、私は冷え切った視線でそれを一蹴した。
「忠義? 笑わせないで。貴方たちが守ろうとしているのは祖国ではなく、マクシリア陛下が推し進める集権化によって奪われるであろう自分たちの特権と領地でしょう? 」
私の発言に泡を食う男たちを無視し、話を続ける。
「そもそも、なぜお世辞にも家臣団から人望薄いドロシア殿下が、重臣らを多数従えるボルン殿下と拮抗した勢力を持ったか思い返してください。これまで貴族領主からの不当な徴税や仕打ちに苦しんできた農民や商人が、既得権益の崩壊を願ってドロシア殿下を下支えしているからです。私は先日、ドロシア殿下の陣営を訪れました。確かにボルン殿下の陣営と比べ風紀は緩んでおりましたが、少なかれ物資には困っておらず、民の往来も盛んでした。一方ボルン殿下の陣営の兵らは飢餓の兆候が見られ、民の姿も見られません。これすなわち、ドロシア殿下は民草の自主的な物資提供で満たされているのに対し、あなた方は強制徴発しながら必要量を満たせてないのでは無いか。この事実だけでも、どちらがより国民に望まれた王かハッキリしているのでは?」
「だ、黙れ黙れ! 詭弁と妄想ばかり垂れ流しおって! 特使だろうとも、これ以上の無礼は容赦せんぞ!」
図星を突かれまくって激昂した老臣が剣の柄を掴み、私の方へ詰め寄ってくる。付き添いの護衛が私を庇うように前に出るが、私はそれを手で制し、傲岸不遜な笑みを崩さず一歩前へと踏み出した。
「女一人の弁舌に敵わなければ、剣で脅すと。それが貴方たちの言う騎士道とやら? 重ね重ね笑わせてくれる」
「き、貴様……っ!」
「止めるんだ、バルツ公」
ボルン王子の低く重い声が幕舎に響いた。老臣バルツ公は、悔しさに顔を歪めながらも、渋々といった様子で剣から手を離した。ボルンはゆっくりと立ち上がり、机越しに私を射貫くような視線で見つめる。
「……フィラーネ殿。君の言い分は、あまりに冷酷だが、一理あることは認める。ただ君主たるもの、家臣の権利を護るのも役目だ。例えば仮にだが、マクシリア公への王位禅譲を認めかつ、私の首を差し出した場合、我が家臣らの所領を安堵しては貰えないだろうか?」
「残念ながら、一考の価値もありません」
私は言葉を濁さずにハッキリと言い切る。
確かにドロシアの言う通り、封建体制の前提は、御恩と奉公。主君が領地を与え権利を保障するから家臣貴族は従う。だから通常、私たちのような侵略者も懐柔のため敵貴族の領地を認める場合が多い。その方が敵戦力を切り崩せるし、何よりも戦後もそのまま領地経営を任せる事ができるので統治コストを抑えられるからだ。
だが、私とマクシリアが目指す国家体制は貴族領主を介した封建体制とは真逆の、領地直轄支配による中央集権体制。そのためにこの二年間、プロイド国内だけでみると過剰過ぎるほど官僚機構を作り上げたのだ。
この余剰分の官僚をリューベンの新領土に流し込み、速やかな直轄統治を行うこと。そのためには、独自軍権を持つ封建貴族など邪魔物以外の何物でもない。
「とは言え、爵位はそのままですし、位に応じての保証金も確約いたします。新体制下での官僚ポストも最大限配慮いたすつもりです」
ま、プロイドの官僚団は完全能力制。血筋と縁故だけで偉ぶっていた連中じゃ、ほとんどが無職でしょうけど。
さて、そろそろ締めに入りましょうか。
「もし、この我々が最大限譲歩した提案を受け入れてくれない場合、我々はリューベン南部穀倉地帯の食糧が北部に流れないよう完全封鎖を実施します。……冬が本格化すれば、碌な蓄えもできずに雪に閉ざされることになるでしょう。殿下、貴方は誇りと名誉だけで、この場にいる家臣と数万の民の空腹を満たせるとお思いですか?」
私の宣告に、幕舎内は水を打ったような静寂に包まれた。バルツ公らの顔が絶望と怒りに歪む。ボルン王子もまた、組んだ指が白くなるほど強く握りしめ、苦悶の表情を浮かべていた。
あと一押し。そう確信して唇を開こうとしたその時──。
「ほら、私が言った通りでしょうドロシア殿下。その方は、舌先三寸で帝都政権を騙し、欺き、滅亡に追いやった稀代の悪女。必ずやあなた方にも災厄をもたらすと」
幕舎の入り口が左右に割れ、冷たい外気と共に、一人の女性が滑り込むように現れた。
彼女は、まるで冬の風に震える小鳥のように、儚げな手つきで自らの肩を抱きながら歩み寄ってきた。白銀の毛皮に包まれた華奢な体、潤んだ大きな瞳。その姿は、周囲の屈強な男たちの「守ってあげたい」という本能を激しく揺さぶるように演技されており、その顔を確認し私の神経は激しくささくれる。
この女は西の覇権国ボルニア王国国王、ユーグ・ボルニアの第一王女。
「アニス・ボルニア……! どうしてここに」
「貴方の悪巧みを阻止するためですよ。フィラーネ・ランバスタ」
そして、私の元婚約者・ヴィルムの現在の婚約者であり、私を帝都から追い出した張本人の一人だ。




