売国交渉①
数日後、私は数人の護衛のみを連れ、リューベン公都にあるドロシア王子の陣営へと足を踏み入れていた。そこは戦時下とは思えないほど退廃とした空気に包まれていた。
大通りには酒瓶が転がり、兵士たちは軍装を崩して博打に興じている。陣幕の奥からは、場にそぐわない女たちの嬌声と、安っぽい楽器の音が漏れ聞こえてきた。
「……なるほど。これが帝都が『正当』と認めた王の陣容ですか。帝都政権も良い仕事をしてくれる」
護衛の一人が吐き捨てるように呟く。私は顔を顰める護衛たちを伴って、最も巨大で悪目立ちする天幕の中へと踏み込んだ。
「おや、これはこれは……。いと麗しき特使だと思ったら、帝国の追放令嬢にして悪女様ではないか」
天幕の中央、贅を尽くした寝椅子に寝そべっていたのは、赤ら顔の青年、ドロシア王子だった。彼は両脇に侍らせた女の手を借りて起き上がると、なめ回すような卑猥な視線を私に向ける。
てか何よ、追放令嬢や悪女って。相変わらず失礼なやつ。
「噂通り、いい女になったな。これを捨てるなんて、ヴィルムの玉無しも見る目がない。 で、俺の王位を御所望なんだろう? それならば、まずは膝元に来て酌でもしろ」
「酌、ですか。それで王位を頂けるのならお安い御用ですが、まずは人払いを」
ドロシアは絡みつく女たちを「下がっていろ」とぞんざいに追い払った。女たちが名残惜しそうに去り、互いの護衛らも下がらせたことで、天幕の中に私とドロシアだけが残る。
「さて、二人きりになったな。酌をしてくれるんだろ? 追放令嬢」
下卑た笑みを浮かべ、ドロシアが差し出してきた杯。私はそれを手にする代わりに、冷徹な視線でその「赤ら顔」を凝視した。
「衆目もないのに、いつまでその愚鈍な芝居を続けるつもり、ドロシア殿下。まさか、本当に酒と女に溺れておるまいに」
私が冷ややかに言い放つと、ドロシアの顔から一瞬にして温度が消えた。
さっきまでのふらついた仕草も、濁った瞳も、すべてが幻だったかのように霧散する。ただ、自嘲だけはそのままだ。
「馬鹿のフリでもしないと、この戦乱の時代生きるには危険過ぎるからな」
声から酒焼けしたようなしわがれが消え、低く響く本来のトーンに戻る。彼は卓上の水差しから水を注ぎ、一気に飲み干すと鼻で笑った。
「もはや俺は王位に興味はないし、マクシリアが統治するなら国民も喜ぶだろう。ただし、一つ条件がある」
「愛人になれは勘弁してよね。今いる愛人全員囲っても、一生贅沢できる生活は保障はするからそれで我慢しなさい」
「はっはっはっ、お前を愛人にか。いや、ある意味近いかもな」
「……何よ、その不吉な笑い方は」
私が眉を寄せるとドロシアは立ち上がり、私に向き合った。
「俺の望むのはただ一つ。己の身の安全だけだ」
「だからそれは保障すると言ってるじゃない」
「それはあくまでプロイド公王マクシリアによるものだろ? 俺が望むのはお前による庇護だ」
「あら、それって私の紐になるってこと? でも、マクシリアはああ見えて義理堅い男。一度交わした約束をそうそう破る男じゃない」
「そんなことは、帝都の人質時代のときからよく知っているさ」
ドロシアは私に対しても背を向けながら、柱によりかかる。
「あれは正しく太陽なような男だ。誰に対しても公正に接し、手を差しのべる。あの男に一度接すれ ば、誰もがその器の大きさに魅了され、身を委ねたくなってしまう。だがなフィラーネ、奴は眩しすぎるんだ。光が強ければ強いほど、その足元には真っ暗な影ができる。その人間が持つ後ろめたさや、弱さがさらけ出され、奴はそれを微笑みの裏で冷徹に観察している。フィラーネ、お前のように有能であり続けなれるなら良いしれないが、俺のような半端者にとってマクシリアと下にいるのは辛く、そして怖すぎる」
「どんな、口説き文句が出てくると思ったら、少し情け過ぎるんじゃない?」
私は茶化すように笑うが 、内心ドロシアの言葉は心の奥底に蓋をして、見ないようにしていた事実を鋭く突いていた。
マクシリアは確かに二つの顔を持ち合わせてる。一つは人を強く引き寄せる明朗快活な性格。もう一つは冷めた目で他者の本質を見抜き、チェス駒のように扱う冷徹な支配者の顔。
マクシリアが私を迎えいれてくれたのも、昔からのよしみではなく、才能ゆえだ。私が個人的復讐を果たすためにマクシリアを取り入ったように、マクシリアも私のことを一つの『駒』として扱っているのは事実。
もし私に価値がなくなれば、マクシリアは微笑みを絶やさぬまま、私を棄てるだろう。
それは、平等にかつ公正に。個人的愛憎関係なく、粛々と確実に、ね。
「ま、気持ちは分からなくないわ。いいでしょう、個人的に約束してあげる。ただ、確約はできないけど」
「それでも良い。お前のように執念深い女が『個人的に約束する』と言ったのなら、それは公式文章よりも、俺にとっては余程信頼に値する」
「それって、悪女と噂高い私を褒めてくれて?」
「そう素直に受け取ってくれ。マクシリアと比較する場合だけなら、お前のほうが人間らしく、愛おしく思うぐらいにはな」
それって逆に、普段の私は非人間的で女の魅力が無いと同義では? と、思ったが口には出さないでおいた。この男もまた、私と同じで、泥水を啜ってでもこの乱世を生き延びようとしている同類と再認識し、少しだけ情が移っちゃった。
「ふん、悪女冥利に尽きるわね。それと、最後に一つだけ教えて。どうして貴方はアッサリと国を売り飛ばそうとするの?」
「そんなこと、決まっている。この乱世で、民に飯を食わせる器量が無いからだ」
ドロシアは自虐的な笑みを浮かべ、空の杯を見つめた。
「正しさや誇りじゃ民の腹は膨らまない。高潔な兄上なら、誇りのために餓死するまで勇敢に戦うだろうが、俺は違う。俺は民が誇りを抱えながら飢えて死ぬより、プロイドの庇護下で家畜のようでも気楽に生きれる未来を選ぶ。……それが『無能』な俺にできる唯一の善政だ」
真っ直ぐに私を見据える彼の瞳に、偽りはなかった。 この男は、自分自身の限界とこの乱世における生存の定義をあまりに冷徹に理解している。
私は彼に向かって、そっと右手を差し出しす。
「いいでしょう。ドロシア・リューベン。貴方の身の安全はともかく、民が安心して暮らせることを確実に保障してあげる」
「感謝するよ。……さて、我が主人よ。取引が成立したところで、まずは何から手を付ける?」
ドロシアは私の手を取る代わりに、恭しく一礼した。その仕草には、先ほどまでの卑猥な視線も、赤ら顔のだらしなさも戻っている。本当に愚者を演じるのが上手なことで。
「その退廃的な芝居を逆手に取るわ。貴方は病と心労を理由に、全権をプロイド公国へ委譲する公式声明を出しなさい。それと同時に、国境に控えた我が軍をあなたの支配地域に進駐させ、私の部下らとともに速やかに軍政を敷かせる」
「承知したが、ボルンの奴はどうする。名目上とはいえ王位を簒奪されたとなれば黙っておるまい。それに奴本人が妥協しようにも、陣営内の古参家臣は納得しまいに」
その言葉に私は鼻で笑う。
「白々しいことを。貴方がそう仕向けたんでしょう?
私とマクシリアが行動を開始した時、戦後統治に邪魔になる既得権益層を一網打尽にできるようにね。まぁもちろん、貴方と同様に寛大な条件を提示し懐柔を謀るわ。でも、誇りを優先し私たちの慈悲を拒むというなら……」
私は身を翻し天幕の出口へと向いながら、呟く。
「ただ、粉砕するだけよ」




