心機一転②
エリカは開いた口が塞がらない様子で、手元の封書とフィラーネの顔を何度も交互に見つめる。フィラーネは自嘲気味に、しかしどこか楽しげに目を細める。
「そ、その通りです。プロイド本国は今年中の帝都入城を睨み、その途上にある各地の領主に臣従を迫っているのですが、肝心のグランツ領のみ拒んでいるんです。領地安堵や、臣従ではなく通行許可だげでもと、相当こちらが譲歩しても頑として首を縦に振らず、それどころか領主のバルート伯爵はマクシリア様の使者を『簒奪者の手先』と罵り、ボコボコにして返してきたそうです」
「ふふふ、あの偏屈おじい様がやりそうなことね」
「面識があるのですが、フィラーネ様!?」
驚くエリカに、フィラーネは軽く返す。
「まあね。バルート伯爵は、私の御祖父様とは南方大陸征伐以来の付き合いで、その絡みで何度かね。もっとも、向こうからすれば祖父孫ともども好みじゃないようだったけど」
「会いに行くって……。ま、まぁ、お知り合いのようですし? 私たちはボコボコにされたりしないですよね?」
うかがうエリカに、フィラーネは意味深な笑みを浮かべる。
「さぁて、どうかしらね。ちなみに、そのボコボコにされた使者は相当ラッキーな部類よ? あの人、少しでも態度が気に入らないと、相手が誰であろうと斬り掛かる癖があるのよ。先帝陛下も皇太子時代に、当時軍の上官であったバルート伯爵に斬られそうになった事件もあったらしいし」
さらりと言ってのけるフィラーネに、エリカはヒッと喉を鳴らす。
「やっぱり、物騒な相手じゃないですか! 無理ですよ! ムリムリ! 交渉なんて無駄なんて、大軍で押し掛けてやりましょう!」
「残念ながら、さっきエリカが心配してくれた通りリューベン軍は再建中で動かしたくない。仮に全軍で押し寄せたとしても、あの難攻不落の要塞に返り討ちに遭って泥沼化するのが関の山ね」
フィラーネは冷めたスープを飲み干すと、ニッコリとエリカに微笑む。
「と、言う訳でエリカ、交渉だけで済ませたいから三日後に出発するわよ。相手を刺激したくないから、連れて行くのは貴女と、二、三人護衛だけでね」
「えぇっ!? た、たったそれだけで!? あと私も!?」
「大丈夫よ。あのおじい様も、流石に私たち婦女子には手を出さないわよ。多分」
「た、多分てなんですか!? ちょっとそこは安全だって断言してくださいよ!」
「つべこべ言わないずに、さぁ、急ぐ急ぐ!」
「あぁもう! この流れなんか前回もみたことある! ええい、じゃあちょっと旅の支度してきますね!」
泣き言を言いながら部屋を騒がしく出ていくエリカを見送ると、フィラーネはその細身の身体に固いパンとスープを流し込み、静かにデスクへと戻った。
独りになった執務室に、窓から差し込む夕闇が長い影を落とす。フィラーネの表情から先ほどまでの茶目っ気が消え、代わりに底知れない冷徹な光が宿った。
────
フィラーネが戻った執務室には、既にマクシリアが待っていた。
彼は上等なワインを二つのグラスに注ぎ、一つを彼女に差し出す。
「お帰り、フィラーネ。……老将の牙は抜けたかね?」
「ええ。今はエリカにお菓子を振る舞われて、昔話をさせられていますわ。随分と高くつきましたわね、マクシリア様」
フィラーネはグラスを受け取り、彼と視線を合わせる。
マクシリアは満足げに口角を上げた。
「これで帝都への道は開かれた。貴様という駒は、やはり余の期待を裏切らない」
「駒、ですか。……いつかその駒が、キングをチェックメイトすることをお忘れなきよう」
「あぁ。それまでは、存分に余の隣を歩むがいい」
二人の間に流れるのは、甘い愛などではない。だが、誰にも踏み込めないほど深く、冷徹で、そして強固な協力関係。
窓の外では、新しい時代の風が、プロイドの旗を激しく揺らしていた。




