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心機一転①

 テリス川の戦いから三ヶ月。軍の馬車に揺られながら、プロイド本国からの指令書を携えてるエリカは暗い気持ちに沈んでいた。


 (今、プロイドは東方辺境伯軍に大勝してイケイケドンドンなのは分かるけど……。こんな無茶な命令をフィラーネ様にするなんて酷すぎますよ。マクシリア様……)


 そう思いながら両手で顔を覆う。


 エリカにしても、フィラーネに会うのは三ヶ月ぶり。敗残兵とともにルーテ公都に無事に撤退すると、いち早く辺境伯軍を追撃中のマクシリアに今回の敗走とその釈明をするために、フィラーネと別れてそれっきりだった。


 フィラーネに強い執着(・・)があるマクシリアなら、なんやかんや言って許してくれるだろう。そんな甘い観測の元で向かったエリカだったが、帰ってきたのは冷淡な、そして薄い反応だった。


 マクシリアはフィラーネが行ったことを肯定も否定もせず、彼女の処罰を家臣らに一任した。そしてエリカが目にしたのは、予想を遥かに超える、憎悪に近い「フィラーネ排除」の熱気だった。


 考えてみれば当然でもある。帝都から流れてきた小娘が、その才覚とマクシリアの寵愛で、譜代の家臣を差し置きごぼう抜きに出世してきたのだから、日頃からフィラーネを疎んでいた連中が今回の大失態に飛びつかない筈がない。


 追放やら処刑やら物騒な議論が交わされる中、エリカはプロイドの有力貴族であった実家のツテを使い、あるいはかつての学友たちに頭を下げて回った日々を送った。


 最終的にはルーテ公王カシムの介入と取引によって、フィラーネの処罰は本国政治からの追放という、プロイドの軍法からすれば奇跡的な軽さで済んだが、エリカが奔走しなければ早々に、そして非常に重い処罰で議論が決していたのは想像に難くない。


 もっとも、エリカ本人はそれに気がついていなかったが。


(……ダメよ、エリカ!  私まで暗い顔をしてちゃ、フィラーネ様をもっと落ち込ませてしまうわ!)


 馬車がリューベンの総督府へと滑り込む直前、エリカは両手で自らの頬を「パン!」と強く叩いた。湿っぽい自分に気合を入れ直し、無理やり口角を吊り上げる。


 いまやプロイド政治の中枢から切り離され、絶望の底にあるであろう主君。そんな彼女に、少しでも希望と明るさを与えるのが、自分の役割だと自分に言い聞かせた。


 馬車が止まるなり、エリカは勢いよく扉を開けて飛び出した。


「フィラーネ様ーッ! ただいま戻りましたあ! 忠臣エリカ、参上ですっ!!」


 わざとらしいほどの大声で廊下を駆け抜け、総督執務室の扉を威勢よく開け放つ。

 そこには、埃っぽいリューベンの空気に汚され、項垂れて溜息をつく主君の姿があるはずだった。が、


「あ、エリカ。おかえりなさい。思ったより早かったわね」

 

 デスクに座っていたフィラーネは、顔を上げるなり、驚くほど晴れやかな笑みを浮かべた。

 その瞳は濁るどころか、テリス川での死戦を越えたことで、以前よりも研ぎ澄まされたような輝きを放っている。


「……えっ? あ、あの、フィラーネ様?」


 拍子抜けしたエリカは、掲げていた拳を所在なげに下ろした。

 部屋を見渡せば、整理された棚にはリューベンの徴税記録や権利書がうず高く積まれ、彼女の手元には固いパンと、温かなスープの香りが漂っている。


「何よその顔。私が泣き腫らして寝込んでるとでも思った?」


「え、ええまぁ。正直なところは……」


「あら、私をそんなか弱き乙女と思ってくれていて嬉しいわね。でも残念。この三ヶ月、私は一度たりとも絶望する暇なんてなかったわ。遺族への弔慰金に軍隊再建費と、今後の戦費調達などなど。貴女がプロイド本国で遊んでいる間、本当に忙しかったんだからね」

 

「あ、遊んでいたなんて。そんな」


 ギロリと睨むと、あたふたするエリカをフィラーネは優しく笑う。


「冗談よ、冗談。貴女が私のために、本国であの狸親父たちを相手にどれほど苦労してくれたか……その報告は、私の耳にも届いているわ。お疲れ様、エリカ。本当にありがとう」


 フィラーネは席を立ち、エリカの元へ歩み寄ると、その泥に汚れた袖を優しく払った。その仕草には、以前の「冷徹な才女」とは異なる、どこか包容力のある温かさが宿っている。


「……フィラーネ様」


 張り詰めていた緊張の糸が、主君のたった一言でぷつりと切れた。エリカの目から、堰を切ったように大粒の涙が溢れ出す。


「本当に、本当になんですから! 処刑だの獄門だのって、プロイドの重臣たちはもう、聞くに堪えない罵詈雑言の嵐で……。マクシリア様も、私には一度も会ってくださらないし……」


「ええ、本当にありがとう。でもね、エリカ。泣いている暇はないわよ。マクシリア様からの『宿題』、あるんでしょ? 大方、グレンツ領絡みでしょうけど」


「ぐすっ、ホント人使い荒いですよね。フィラーネ様も軍隊も傷ついているってのに、あの(・・)グレンツ領を私たち単独で攻略しろなんて……。て、え? ど、どうしてそれ!? 封はまだ切ってないのに!」


 涙を拭うのも忘れ、エリカは鳩が豆鉄砲を食ったような顔で固まった。

 フィラーネは、エリカが持ってきた分厚い封書をひょいと受け取ると、重さを量るように手のひらで弄ぶ。


「そんなの、情勢を読めば当然の帰結よ。マクシリア様に大敗し、ユーリクの生死も不明で東方辺境伯領が動けず、プロイドが東ガルドの覇権を握った今、次にマクシリア様の一手は『ガルド帝国の再興』……、つまり皇族を奉じての帝都への凱旋。けれど、その道筋には帝都へ繋がる大街道を扼するように旧帝国派の重鎮が守るグレンツ領がある。今のプロイドなら武力で押し取ることもできるけど、旧帝国派随一の忠臣と名高い現領主を真正面から叩き潰せば、旧帝国を慕う民衆や諸侯の反発を招く。マクシリア様は『帝国の庇護者』として帝都に入りたいから、その汚れ(・・)仕事を私とリューベンに押しつけた。そんなところかしら?」



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