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転変③

 沈痛な足取りで公都へと向かう撤退の列。  


 泥を噛むような沈黙を破ったのは、後方から馬を飛ばしてきた伝令の悲鳴にも似た叫びだった。


「報告! 報告ッ!! 背後のテリス川下流にて、マクシリア陛下率いるプロイド本隊が、撤退中の辺境伯軍を急襲!!」


 その言葉に、カシムが、そして傷だらけのジャライカが足を止めた。私もまた、感覚の消えかけていた手綱を強く握り直す。


「……何ですって? マクシリア様が?」


「はっ! 撤退準備に入り、陣形を解いていた辺境伯軍の側面を八万のプロイド軍本隊が強襲。これを蹂躙し、敵兵ことごとく撃ち破り、大勝を挙げたとのことです!!」


 私はその報告を聞いて乾いた笑い声を上げた。


「……あはは、そういうこと。そういうことだったのね、マクシリア様」


 少し前に遠くから聞いたあの冷たい砲声。あれは、私たちのための援護射撃ではなかったのだ。マクシリアは、私たちが死力を尽くして辺境伯軍を疲弊させ、さらにはユーリクという怪物の身に何らかの異変が起きるその瞬間まで、息を潜めて「待っていた」のだ。

 

 彼はルーテ軍がどうなろうと、私が泥を啜ろうと構わなかった。むしろ、私たちが辺境伯軍にボロボロにされることで、最強と謳われたユーリクの牙を摩耗させることを期待していたのだ。


 そう、マクシリアは最初から読み切っていたのだ。私の行動を。そして不可解なユーリクの動向すらも。


 辺境伯軍はテリス川で得た勝利の果実を味わう暇もなく、マクシリアというさらなる暴力によって全てを奪われたのだ。


「マクシリア殿に伝えてくれ。見事な勝利、実に祝着至極にございます、とな」


 カシムが絞り出すように言ったその言葉には、血の味が混じっているようだった。


 伝令が「はっ!」と威勢よく頭を下げて去っていくのを見送りながら、カシムは天を仰ぎ、乾いた溜息を吐く。


「……堪らんな。我々は、どこまでいってもあの二人の掌だったということか」


 カシムは馬上で力なく肩を落とし、まるで糸の切れた傀儡のように項垂れた。その横顔には、ユーリクに蹂躙された屈辱以上に、何重にも張り巡らされた「策」に嵌められていたことへの、拭い去れぬ悲哀が刻まれている。


「……いいえ、カシム殿。まだ終わりじゃないわ」


 震える手で馬の手綱を握り直し、決意を改める。


「私たちは、あの死戦を生き残ったのです。そして生きているな、いくらでも挑戦ができる。今はまだ遠くても、いずれは」


 そう、いつかは誰からも束縛されずに自由に生き、世界を塗り替えるようになるその時まで。


 私を信じ、私のわがままで死んでいった彼らに報いる為に。


 

 ───



 東方辺境伯ユーリクの征西作戦。その失敗とマクシリアの勝利は東ガルドの勢力図を一変させた。


 プロイド軍が一度奪取されたシルヴ公国とアムトラ公国を再奪還し、辺境伯軍を東ガルドから駆逐すると、マクシリア率いるプロイド公国は東ガルドにおける最強国の地位を確固たるものとした。周辺中小国はその圧倒的な武威に恐れをなし、次々と軍門に降る事態となったのである。


 その結果、プロイド公国の勢力圏は戦前に比べ倍増。ガルド圏全体でみても、西の超大国であるボルニア王国に次ぐ大勢力になり仰せた。


 一方、内政面でも大きな変化があった。「共同防衛」という名の、音を立てない侵略が始まったのである。


 マクシリアは「庇護者」として、再奪還した二カ国や臣従を誓った諸国にプロイドの法と通貨、そして大規模な進駐軍を送り込んだ。


 表向きは辺境伯軍の再侵攻に備えるための共同防衛体制であったが、実態はプロイドによる事実上の軍政である。


 そしてそれは、滅びたガルド帝国に代わり諸侯を統制し、マクシリアを頂点とする新たな秩序を確立するための布石と自負の表明に他ならなかった。


 そしてもう一つ、彼の腹心であるフィラーネの処遇であった。全ては勝利のためとはいえ、マクシリアの命令無視に独断専行に対する裁定は、プロイドの軍法に照らせば厳罰に値するものであった。


 マクシリアは今回ばかりは彼女を庇いはせず裁定を家臣に一任するなど、フィラーネまさに喉元に刃を突きつけられたも同然の状態に置かれた。


 プロイドの重臣たちも彼女の才覚を恐れ、その独立不羈(ふき)な気性を危惧しており、テリス川での独断専行は排除のための絶好の口実だったのである。


 しかし、それに公然と待ったをかけた男が一人いた。 


 彼女の策によって最も被害を被った、ルーテ公王カシムその人である。


  

 ───


 カシムは自室にて、同じ若輩ながら腹心の外交官バルデルは、背を向ける主君に報告する。


「陛下のご要望通り、フィラーネの助命嘆願をプロイドにねじ込んできました。宰相職は解任され本国政治中枢からの追放は免れませんでしたが、身の安全とリューベン総督の地位だけは、なんとか維持させることに成功しました。……もっとも、タダではありませんがね」


 バルデルの言葉は重く、部屋の空気を沈ませた。カシムは窓の外を凝視したまま、低く問い返す。


「……シルヴか?」


「左様です。我々が丸々受け取る筈だったシルヴ公国の西半分をプロイドの直轄領として割譲する。それが、プロイド側が彼女の命と引き換えに提示した最終条件でした」


 カシムの拳が、窓枠をきしみ鳴らす。シルヴの東半分が辺境伯領と接しているため、主要都市は西半分に集中している。その西半分をプロイドに差し出すということは、旨味のある部分をルーテ公国が奪われながらも、体よく辺境伯領の肉壁にされる事に他ならなかった。


「主要な通商路も、豊かな経済地域もすべて西側。我々に残されたのは、辺境伯軍の再侵攻に怯える荒れ果てた東半分のみ。連中は一人の女の命を種銭にして、我々の喉元に楔を打ち込んだのです」


 バルデルは淡々と、しかし隠しきれない無念さを滲ませて続けた。だが、カシムはその屈辱を噛みしめるように一度目を閉じると、深く、長く息を吐き出した。


「良い、それ程度のことは予想していた。それに、プロイドは今や名実ともに東ガルドで最も強力な国家。無茶な要求一つや二つ程度、飲み込まなければ付き合ってはいけん」


 カシムは自嘲気味に笑い、椅子に深く腰を下ろした。その表情には予想通りの最悪が訪れたことへの奇妙な安堵さえ浮かんでいる。


 しかし、バルデルは納得がいかなかった。彼は一歩前に踏み出し、主君の瞳を真っ直ぐに見据えた。


「殿下、あえて不敬を承知で申し上げます。……何故、そこまでなさるのですか?」


「……何のことだ」


「フィラーネのことです。確かに彼女は才気溢れる傑物でしょう。結果的に失敗したとはいえ、テリス川までの策略は見事の一言です。しかし、彼女は所詮プロイドの一家臣。他国の、それも我々を食い物にする大国の駒に過ぎない。その彼女一人の命と地位を繋ぎ止めるために、シルヴの地を、なによりも公王としての誇りを売り払う……。それは、あまりに割に合わぬ取引ではありませんか」


 バルデルの声には忠臣ゆえの焦燥が混じっていた。


「よもや、一時の情愛に駆られたわけではありますまい。他国に先駆けてプロイドと盟約を結んだり、ユーリクの()を見通すなど、陛下の先見の明は常人の域を超えていると信じています。しかし、こればかりは納得できません」


 カシムはしばらく沈黙を守った。部屋には、壁に掛かった古時計の刻む音だけが響く。やがて、彼は昔話を話すような口調で語り始める。


「バルデル。お前はテリス川の地獄で、フィラーネの命の危機の時に、何が起きたか見たか?」


「……いえ。私は後方で指揮を」


「リューベンの兵どもがこぞってフィラーネの盾になったのだ。あの自国を侵略して荒廃させ、正当な君主らも抹消した、あの女をだ。フィラーネが消えれば、世界から光が失われるとでも恐れるようにな」


 カシムは机に置かれたチェスの駒、その女王(クイーン)を指先で弄んだ。


「彼らは洗脳されていたわけでも、義理に駆られたわけでもない。恐らく、ただ本能が命じたのだ。『この女を死なせてはならない』とな。フィラーネ本人は、それを自分の指揮能力や打算の結果だと思っているだろうが……それは違う」


「……では、何だというのですか?」 


「『天命』だよ。あるいは、人を惹きつけずにはおかない呪いと言い換えてもいい。彼女には、本人すら自覚していない、王としての苛烈なまでの『カリスマ』が備わっている」


 カシムはキングの駒を盤上に叩きつけるように置いた。


「マクシリア陛下は、太陽だ。圧倒的な熱量と光で万物を平伏させ、己の軌道に従わせる絶対的な秩序。そこに、もう一つの太陽(フィラーネ)が今まさに昇ろうとしているのだ。……そして、太陽は並び立つことは出来ない」


 カシムの唇が、愉悦に歪ませながら断言する。


「断言しよう。遠くない将来、フィラーネとマクシリアは激突する。我々はその時までただひたすら待ち、そしていざという時に備え、力を蓄えるのだ……!」

 

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