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転変①

 帝都にいた頃、私自身は自分のものではなかった。


 「一族のため」、「家の格のため」。父は、私の才能を奴隷のように使い潰し、来る日も来る日も帳簿と政略に明け暮れ、私はただの「便利な道具」でしかなかった。


 それでも、いつかは救いがあると信じていた。


 婚約者、ヴィルム。彼の輝かしい将来のために、私は自分のすべてを捧げた。この苦悩も、いずれは報われる日が来ると思ってだ。


 けれど、待っていたのは吐き気のするような裏切りだった。私が彼の不在を埋めるために泥を啜るような交渉に奔走している間、彼は別の女(アニス)と睦み合い、私の献身を疎み、笑い種にしていた。


「もう、他人のために生きるのはやめよう」


 才能は自分のためだけに使う。自分を愛し、自分の望みだけを叶え、他人は利用するだけの駒に過ぎない。


 帝都から追放され、このプロイドに流れ着いたあの日、私は心に誓ったはずだ。


 それなのに、なぜ。


「ぐ、あぁッ!!」


 騎兵の槍がグエルの隣にいた男の腹を貫く。彼は血を吐きながら、死んでも槍を離さず、そのまま騎兵を馬から引きずり下ろすと、すかさず銃剣を突き刺し道連れにする。


 なぜ、そんなことができるの。


 あんたたちは、私の「わがまま」の被害者じゃない。


 私がかつてリューベンで行った、自己中心的な策のせいで居場所を失い、私の横暴な命令でこの地獄に連れてこられた、犠牲者のはずじゃない。


 私は、自分のためにあなたたちを捨てた。なのに、あなたたちはどうして、自分の命を私に投げ出すの……!?


 それは父が私に強いた「強制」よりも。

 ヴィルムが私に求めた「欺瞞」よりも。

 ずっと重く、残酷な「献身」。

 

「グエル! 答えなさい、なぜよ……! 私はあんたたちから全てを奪ったはずでしょう!?」


 私は泥にまみれた彼の肩を掴み、叫んだ。喉の奥が焼けるように熱い。


 憎んでいればよかった。私を呪い、この混乱に乗じて後ろから刺せばよかったのだ。そうすれば、私は、「私だけの為に生きる」と、一点の曇りもなく自分を正当化できたのに。


 グエルは、私の問いに答えなかった。


 ただ、迫りくる重装騎兵の蹄を真っ向から見据え、真っ赤に染まった口角をわずかに釣り上げた。それが、嘲笑だったのか、あるいは不器用な満足感だったのかは分からない。


「……ぁ」


 直後、グエルが私を押し退けると、すれ違いざまに放たれた騎兵の剣が、彼の首を深く断ち割った。


 言葉の代わりに溢れ出した鮮血が、私の頬を温かく、残酷に濡らす。彼は崩れ落ちる瞬間まで槍を放さず、私と敵を隔てる最後の障壁として、その死体を泥の中に横たえた。


 絶望という名の静寂


 視界が白く霞んでいく。

 私は、折れた剣を杖に立ち尽くしていた。

 結局、私は何も変わっていない。帝都で父の駒だった頃と同じ。いや、それ以上に質が悪い。


 私は自分の為に彼らを利用し、彼らは私の為に勝手に死んだ。この死の山は、私のマクシリアやユーリクを越えて自由になりたい「わがまま」というエゴが積み上げた、救いようのない墓標だ。


 迫りくる騎兵の切っ先が、逆光の中で鈍く光る。逃げる気力も、抗う言葉も、今の私には残っていない。誰かの為に生きるのをやめた瞬間に、誰かの死を背負わされる。この矛盾に満ちた世界で踊り続けるには、私はあまりに脆すぎた。


 私は、静かに目を閉じた。

 

 だが、期待していた死の衝撃は訪れなかった。


「……っ!? 全軍、停止! 停止せよ!!」


 目前まで迫っていた騎兵隊長の、焦燥に満ちた絶叫が響く。


 恐る恐る目を開けると、私の鼻先数センチのところで、鋭い槍の穂先が止まっていた。騎兵たちの視線は、もはや私ではなく、背後の丘──ユーリクが鎮座する本陣へと向けられている。


 丘の上で、見たこともない色の発煙筒が、空を毒々しく染めていた。


 それと同時に、戦場全体を切り裂くような、鋭く、ひび割れた撤退のラッパが鳴り響く。


 嵐が去るように、黒い騎兵たちが背を向け、泥を跳ね上げて撤退を開始する。

 

 勝利を目前にした軍隊が、なぜ。

 私は血の海の中で、ただ一人取り残された。

 助かったのではない。


 死ぬことさえ許されず、グエルたちの死という「呪い」だけを押し付けられて、私はまた、この不条理な戦場に放り出されたのだ。




 ────


「親父ぃぃぃ!! どこだぁ!? あ、おい、チャウジー! 親父のところに案内しろ!!」


 黒馬を激しく駆り、土煙を上げて本陣へと殴り込んできたのは、別働隊を率いていた猛将バテイだった。彼の甲冑は返り血でどす黒く汚れ、その表情は鬼気迫る怒りに満ちている。


 ジャライカの防衛線を食い破り、まさにこれからルーテ軍の背後を蹂躙しようという絶頂の瞬間。突如として鳴り響いた撤退の合図は、彼にとって「勝利の強奪」以外の何物でもなかった。


「あと一歩だ! あと一歩で、あのジャライカもカシムも、まとめてテリス川の藻屑にできたんだぞ! それを、何が悲しくて尻尾を巻いて逃げなきゃならねえんだッ!!」


 バテイは馬から飛び降りるなり、陣頭で撤退の指揮を執っていたチャウジーの胸ぐらを掴み上げた。


「……離せ、バテイ。今は一刻を争うのだ」


 チャウジーの声は、いつもの冷静さを欠き、ひどく掠れていた。その顔色は、敗北を悟った将帥よりもなお蒼白だ。


「離さねえよ! いいから、親父のところに案内しろ!? こんな腰抜けな命令、親父とはいえ容赦できねぇ!!」


「アレは、俺の独断だ」


 チャウジーが、バテイの腕を力任せに振り払った。沈着冷静な彼が見せた、初めての「拒絶」にバテイがたじろぐ。


「独断だと……? てめぇ如きの貫禄で、何を勝手に──」


「親父の御身に、変事が起きた」


 その一言で、辺りの空気が凍り付いた。チャウジーの視線の先、ユーリクが座していたはずの指揮官席。そこには、軍神の象徴たる巨大な大剣が、主を失って地面に突き立てられていた。

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