殲滅戦②
「……何だ、あの隊は。狂ったか?」
丘の中腹、ユーリクの側近であるチャウジーが目を剥く。
右往左往する敵軍の中、一隊が狂ったような速度で行軍を始めたのだ。いや、あれは行軍ではない。
本来、戦場では横に広く展開して火力を最大化するのが常識だ。しかし、一隊はあえて縦に長い蛇の形を維持したまま、丘の上のユーリクを目掛けて真っ直ぐに突き進んでくる。
「総員、突撃ィィッ!! 左右を見るな! 前の奴の背中だけを追いかけろ!!」
前を駆けるやたら体格の良い女将校が、半ば自棄気味に叫ぶと、先頭が加速する。
左右から襲いかかる味方の散兵に対し、敵は側面を完全に晒している。だが、あまりの速度と、陣形を無視した「点」の突進に、攻撃の手が追いついていない。
彼らは損害を無視し、一心に中央に構えるチャウジーらの隊、そしてその後ろのユーリク本陣に向かっているのだ。
その姿と勢いに、彼は背筋を凍らせた。
「まさか、このまま突っ込んでくるのか!?」
チャウジーは指揮下の部隊に迎撃を命じ、別の将軍が指揮する周辺部隊にも急ぎ中央に集まるよう、伝令を飛ばす。
そして同時に、相当度胸があるか、或いは狂っている敵指揮官を呪った。
「フィラーネ殿が……、突っ込んでいく……?」
混乱の極みにある自軍を必死に統制している最中のカシムは、自軍を追い抜き敵に一心不乱に突っ込む味方を呆然と見つめていた。
彼女の隊は、側面からを散兵からの射撃浴び、兵が次々と倒れながらも、その歩みを止めていない。
ただ一点、ユーリクという怪物の首だけを見据え、一筋の閃光となって敵陣へ吸い込まれていく。
一見すると自殺行為のような蛮行だが、カシムはこれを起死回生の希望の光と見いだした。
「我々もフィラーネ殿に続くぞ! 全軍、私に続け!」
カシムが剣を抜き、先頭に立つ。恐怖で硬直していたルーテ軍の本隊五万が、その背中を見て息を吹き返した。訳ではなく、命令が届かずに混乱する中、ただ本能的に「あの一点に縋らなければ死ぬ」という凄まじい集団心理が、彼らを突き動かしたのだ。
整然とした行軍でも、訓練通りの突撃でもない。それは、崩壊寸前のダムから溢れ出した濁流のような、制御不能な「前進」だった。
(状況は変わらず最悪。だけど……!)
突撃の最前線。飛来する風と弾丸に晒されながら、私は馬のたてがみにしがみつくようにして前を凝視する。
視界の端で、私の兵たちが次々と落馬し、後続の蹄に踏み潰されていくのが分かった。横列に展開していれば、これほどの損害は出なかっただろう。だが、足を止めた瞬間に、私たちは包囲されて殲滅させられる。
さらには、私たちを飲み込まん勢いで後ろから続くカシムの本隊がそれを強烈に後押しするのだ。
だから、止まれない。
側面からの攻撃を一切無視し、ただ一本の「杭」となって、敵の喉元。ユーリクの本陣だけを目指して突き進む。
(……行ける。このまま、あの男の喉元まで!!)
視界を埋め尽くしていた敵兵の壁が、私たちの「杭」に割られ、左右へ流れていく。中央突破。軍事教本なら落第点を付けられるような無謀な突撃が、皮肉にもユーリクの「完璧な包囲網」を内側から食い破っていた。
敵兵の焦燥に満ちた絶叫が、風に乗って聞こえる。もう、ユーリクが鎮座する丘の頂は目の前だ。逆光の中に立つその巨躯を、はっきりと捉えることができる。
「エリカ、旗を掲げなさい! あそこまで止まらずに──」
私が勝利の予感に震えながら叫ぼうとした、その時だった。
ユーリクの背後に控えていた巨大な天幕が、まるで舞台の幕が下りるように一斉に剥がれ落ちた。
「……え?」
エリカの間の抜けた声が重なる。そこにあったのは、予備兵力でも、逃走用の馬車でもなかった。朝日を浴びて鈍く光る、数十門の黒鉄の砲口。
巧妙に配置された砲兵陣地が、丘の稜線に沿ってその醜悪な姿を現したのだ。
絶句する私と視線の先には、丘の上に立つユーリクが、ゆっくりと右手を振り下ろすのが見えた。獲物を罠に追い込み、最後の一刺しを与える猟師の仕草だった。
「──吹き飛ばせ」
彼の唇がそう動いた直後、一瞬私の耳は音を失った。そして、
ドォォォォォォォンッ!!
凄まじい爆発音と、大地を揺らす衝撃。丘の頂から放たれたのは、通常の鉄球ではない。着弾と同時に飛散し、周囲のすべてを肉片へと変える散弾による粉砕射撃だ。
「あ、…………あ…………」
私の目の前を走っていた先頭集団が、文字通り「消えた」。人馬の悲鳴すら聞こえない。ただ、爆風と共に凄まじい鉄の礫が降り注ぎ、人間を血煙と肉片に変えたのだ。
一発、また一発と放たれる砲弾は、正確に私たちの隊列を「縦」になぞり、せっかく切り開いた突破口を血と鉄の死体袋で埋めていく。
「フィラーネ様、伏せて!!」
エリカが馬を寄せ、私を庇うように盾となる。頬をかすめる熱風と、鉄の臭い。つい数秒前まで「起死回生の光」に見えていた私たちの突撃は、いまやユーリクという巨人が用意した、屠殺場に成り下がっていた。
やがて、絶え間なかった砲声が止んだが、轟音の代わりに戦場を支配したのは、逃げ惑う人々の叫び声と、焼けた肉と硝煙の混じり合った、吐き気を催すような臭いだけだった。
ユーリクの隠し球は私たちの勝勢を根こそぎ奪い去り、そして私の心も折りさった。
「……終わり、ね……」
私は力なく呟く。視界の端で、私の直属だった兵たちの無残な姿が転がっている。私の「策」という名の傲慢が、彼らを死地に追いやった。その愚かさと罪の重さに、指先一つ動かす気力さえ削り取られていくのを感じる。
しかし、丘の上の怪物は、私が絶望に浸る時間さえ与えてはくれない。
丘の陰から待機していた重装騎兵の一団が、黒い雪崩となって一気に駆け下りて来たのだ。獲物を仕留める最後の一押し。それは戦闘ではなく、もはや一方的な処理、殲滅戦としかいえない。
「フィラーネ様、立って! 立ってください!」
エリカが必死に私の腕を引くが、馬は砲撃の衝撃で既に息絶え、私の足も泥に捕らわれて動けず、何よりも心が、これ以上足掻くのを拒否していた。
全ては無駄であった。
私は避けられない未来に覚悟を決め、そっと目を閉じた。その時だった。
「──ふざけるなッ! さんざん貴様の勝手な理屈で大勢の人を殺して来て、自分一人だけ好きに死ねると思うなよ!」
耳元を掠めるような怒号と共に、私の前に数人の歩兵が割り込んでくる。
兵装は間違いなくプロイド式のものであったが、彼らは旧リューベン兵の生き残りであり、そしてかつて市場で相対したゴロツキ連中だ。
「グエル……、大尉。どうしてここに」
「ふん、所詮は兵隊崩れの俺たちには、ここしか居場所が無かったてことだ」
そう言いながら、あの日と同じ取り巻き達が、今度は私を守るように囲ってくる。
彼らは、そして私を最も蔑み、憎んでいるはずの連中だ。
にもかかわらず、迫りくるユーリクの重装騎兵を前に、彼らの足は一歩も引かずに立ち向かっていった。




