殲滅戦①
───フィラーネらと会敵する十六時間前
長く続く鎮定軍縦列の、先頭を進んでいたユーリクはふと手を上げ、行軍を停めさせる。
「? どうしました? まだ小休止には早いですが」
チャウジーは、訝しみながら聞く。この男によくある突拍子もない方針転換に何度も振り回された彼の直感が、今回もそうであると告げたからだ。
「オゥ! 小休止なんかじゃねえよ。俺たちは、ここで敵を迎え討つ!」
ユーリクはそう言いながら、ルーテとシルヴの国境沿いに流れるテリス川手前、丘陵地帯を指差す。
「まさか、ルーテ軍がここにやって来ると?」
チャウジーは絶句した。ルーテはフィラーネの乱心によって混乱し、軍が機能不正に陥ったという認識のもと、早急に孤立したプロイド軍を叩くという方針で大軍の行動計画を組み立てていたのに、それをアッサリとひっくり返して来たのだ。
恐らく、今回も勘とか思いつきの適当な判断なのだろう。だが、この男のワガママのような「予言」を無視した将帥が、これまで何人、泥の中で物言わぬ屍に変わったのかもチャウジーは忘れていない。
「……分かりました。少々不服ですが、従いますよ」
「なんだなんだ、いじけちまって。俺様は寛大だから、不満があるならハッキリ言って良いぞ」
「それではお言葉に甘えさせて貰いますが、私がプロイド侵攻を進言した後、バテイの奴に何か吹き込んで別働隊を率いさせてたじゃないですか。あの時点で、本当の腹積もりはつけてたんじゃないんですかねぇ? だとしたら、一言私に言ってもらってと良かったのに。もっとも、それも相手を騙す為の策の一つかもしれませんが」
「ハハハハハ! なんだ、お前も俺の事が分かってきたじゃねえか! 敵を騙すなら味方からって奴だから、悪く思うなよ!」
ユーリクは豪快に笑い飛ばし、愛馬の首筋を乱暴に叩いた。その瞳には、適当な道化の皮など微塵も残っていない。鋭く、獲物を待つ獣のような光が宿っていた。
───そして今に戻る
「ジャライカ様、敵です! 向こう岸の味方が、無数の敵に襲われようとしています!」
望遠鏡を構える若き将校は、絶叫するようにそう報告した。それ以外の将校らも動揺は隠せない。何せ彼らもフィラーネの策は十中八九成功すると思っていたからだ。
特になんの不安も抱かず、渡河しようとしていたが、それに待ったを掛けたのがジャライカだった。
「中将は、ユーリクの狙いが分かっていたのですか」
横にいた将校からの問いに、ジャライカは首を横に振る。
「まさか。私はただ、備えただけですよ」
そう言いながら、彼はフィラーネに酷く同情する。
(フィラーネ殿、君に落ち度は無かった。相手が悪かった。ただそれだけ)
ジャライカがそう逡巡した瞬間、渡河を止めた彼の軍勢の右翼──川沿いの鬱蒼とした森の中から、鳥たちが一斉に飛び立った。
直後、空気を震わせるような咆哮が、無数の蹄鉄の音をかき消して響き渡る。
「ガハハハハッ! その軍旗! てめぇが、俺らの先遣隊を潰したジャライカだろ!! 俺様が相手してるんだから、ここで死んでもらうぜ〜!」
森を割って飛び出してきたのは、巨大な戦斧を担ぎ、真っ黒な巨馬に跨った小男。ユーリクの息子の一人、猛将バテイだった。
彼の背後からは、同じく漆黒の甲冑に身を包んだ「黒鴉」の騎馬隊が、獲物を見つけた猛禽のごとき速度で殺到する。
しかし、ジャライカは冷静に指示を飛ばず。
「全軍、方陣で獣どもを迎撃せよ。我々が負ければ、友軍の退路は完全に断たれる。我々プロイド兵の意地を見せるは今ぞ……!」
───その対岸、ユーリクの軍勢が雪崩れ込んでくる中心地。
「フィラーネ様! 後ろです! ジャライカ中将の隊が、別働隊の奇襲を受けています!」
エリカの悲鳴のような報告が、私の耳に届く。振り返れば、対岸の森が煙に包まれ、銃声と金属のぶつかり合う鈍い音が川を越えて響いてきていた。
退路は断たれようとしている。
前には、朝日を背負い、無敵の威容を誇るユーリクの本隊。
後ろには、ジャライカを足止めし、私たちの退路を食い破ろうとするバテイの別働隊。
(怪物め……。私は奴の掌の上で躍らされていた)
その事実が、氷の楔のように私の心臓を貫く。周囲を見渡せば、カシムの本隊は突然の事態に恐慌をきたし、横に広がって陣を立て直そうと右往左往していた。だが、それは自殺行為だ。この無防備な平地で、行軍形態から戦闘形態への転換という最も脆弱な瞬間を晒せば、丘から駆け下りてくる黒い波に一呑みにされる。
「フィラーネ様! 方陣を、早く方陣を組ませないと……!」
エリカの悲鳴に近い叫びを、私は片手を挙げて遮った。
「いいえ。そんな暇はないわ。今から陣形を変えれば、その隙をユーリクに食い破られる。……エリカ、全軍に伝えなさい。『行軍縦列のまま、速度を上げろ』と!」
「えっ……? 本気ですか!? 縦に長いままで突っ込むなんて、ただの標的ですよ!」
「いいからやりなさい! 止まれば死ぬ、横に広がればなぶり殺しにされる。なら、残された道は一つ。このまま『鋼の針』となって、敵の喉元を貫くのよ!」




