偽りの策①
事実上の戒厳令下におかれたルーテ首都では、街の隅々に兵士が配置され、緊張感が漂っていた。東方辺境伯領軍の接近に加え、味方であるはずのフィラーネのクーデター。
その報がもたらした衝撃は、冷たい沈黙と緊張を街に落としていた。
様々な憶測や噂が錯綜する中、その渦中の人物である私たち二人は今、王城の奥深く、重厚な石壁に囲まれた作戦室にいた。
「……本当に、これで良かったのか。フィラーネ殿」
カシムの声には、私に対する憂慮が込められていた。
「真実がマクシリア殿に知られれば、君は裏切り者として処分されるかもしれないのだぞ?」
私はあえて涼しい様子で返す。
「それはカシム殿も同じでしょう。危ない橋を渡ると分かっていながら、共犯者になってくれたのですから。このルーテと国民を戦火に晒さない、ために」
「ふっ、それもそうか。だが、君だけに悪事の片棒を担がせる訳にはいかない。コトが済んだら身命にかけて、マクシリア殿を説得する事を約束する」
「それが駄目なら、本当に二人で反乱でもしません? リューベンとルーテ、私とカシム殿が組めばマクシリア様に対抗できるかも」
冗談めかして言った私の言葉に、カシム殿は苦笑いしながらも、その瞳には覚悟の色が宿っいる。
彼と私が共犯関係になった経緯は、三日前まで遡る事になる。
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「い、今なんて言った。フィラーネ殿」
カシムは耳を疑ったように、身を乗り出した。その顔は驚愕で強張り、私の正気を確かめる様に聞き返す。
「ですから、『私にクーデターを起こさせてください』と申し上げたのです」
私はまるで明日の献立でも相談するかのような平熱のトーンで、繰り返した。すると、カシムはそれで察したのか、小声で聞き返してくる。
「……それも何かの策か?」
「勿論です。ですが詳細の前に、現状を整理しましょう」
私は卓上の盤面に手を伸ばし、ルーテとプロイドの境界を指し示した。
「我々プロイド・ルーテ連合軍は二手に別れ、プロイドとルーテ国境を中心に防備を固めています。一方に敵が攻め寄せたら、もう一方が敵の背面を突くというのがマクシリア様の作戦です。二手に分けた兵力はそれぞれ八万。一見すると、辺境伯軍の進路は時の運のようにみえますが、まず間違いなくここルーテを選択するでしょう」
カシムは沈黙を維持し、私は話を続ける。
「理由は主に二つ。一つは戦略的理由。ルーテには豊かな黒土からなる大穀倉地帯が広がっており、シルヴとアムトラで十分に現地徴発ができない二十万の餓狼たちにとって、是が非でも手に入れたい重要地帯です。そして、もう一つは……」
私はあえて声を落とし、カシム殿の瞳を覗き込む。
「ハッキリと申し上げれば、弱きを突くのが戦術の常道。ルーテ兵とプロイド兵、カシム殿とマクシリア様。兵と指揮官の資質を比べれば前者が劣るのは明白、それに気が付かないユーリクではないでしょう」
「……ハッキリ言う。だが、事実だろうな。強兵政策と徹底した成果主義のプロイドに比べ、我々の将兵は過去の功臣の子孫や、その者たちの縁故が殆ど。指揮官の実力については……、論ずるまでも無い。だがな、フィラーネ殿」
カシムは握り拳を卓上に叩きつけ、絞り出すような声で続けた。
「だからといって、へり下るつもりは無いぞ……! 私はルーテの君主として、一人の男として、その身を全うするつもりだ」
「大変結構な矜持ですが、それでは焼けた祖国に屍を晒すだけかと」
「貴様っッ!」
カシムは腰の鋭剣を抜き、私の首筋に当てる。
「その苛立ち、理解します。……あの方やユーリクのような『怪物』たちに、一矢報いたい。そう思っているのは、貴方だけではありませんわ」
私は首筋に冷たい刃の感触を感じながらも、眉一つ動かさず、むしろ挑発するようにカシムを見つめ返す。
「どういう……。意味だ?」
「言葉通りの意味です。カシム殿、貴方はご自身を凡庸と嘆きますが、私も同じ。マクシリア様という巨大な太陽の傍らにあっては、重力に縛れた衛星に等しく、ユーリクという巨人の前では、無力な存在と同義。此度の戦役も、二人の怪物のぶつかり合いで、それ以外は意志の持たぬ駒に過ぎません」
私は、喉元の剣を指先でそっと押し下げる。カシムは抵抗せず、しかし警戒を解かずに剣を引く。
「屈辱とは思いませんか? 私たちの意志も、情熱も、矜持も、奴らの駒の一部として処理されるのが」
カシムの瞳が揺れる。私の言葉が彼の中に燻る劣等感という名の薪に、油を注いだようね。そんな事を考えながら、誘惑するように言った。
「私の策に乗って頂ければ、ルーテを戦火から護るだけではなく、両雄を出し抜き、この戦役の勝利の立役者になる事を確約いたしますよ? カシム殿」




