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鎮定軍の進路②

「……それは偽情報ではないだろうな?」


 チャウジーの疑いの目に、伝令は答える。


「正規の手順で入ってきた情報です。真偽はさておき、現地で起こっている(・・・・・・)のは間違いありません」


「馬鹿な……。同盟国をなんだと思っているのだ。奴らは」


「おいおいチャウジー、一人何をごちょごちょ言ってやがる。情報がなんだって?  飯の在り処がわかったんなら、さっさと号令を出しな」


 無邪気に急かすバテイの声も、今のチャウジーの耳には遠い雑音にしか聞こえなかった。彼の手元にある報告書には、目を疑うような記述が並んでいた。


『ルーテ公都において政変が発生。ルーテ公王カシムと、プロイドから派遣されたフィラーネとで防衛方針をめぐり対立と噂される。フィラーネはルーテ国内の親プロイド勢力を利用し宮廷クーデターを実行。公王カシムを軟禁し、ルーテ軍の実権を掌握。国境沿いの砦から兵力を退かせ、公都周辺の防衛を優先。東部地域は放棄するとみられる』


 チャウジーは報告書を握りしめ、額に冷たい汗がにじむのを感じた。彼の精緻な思考回路が、空転を始める。


 これまでの彼の予測では、マクシリアの冷徹な計算に基づき、ルーテは「金床」として自分ら鎮定軍を受け止めるはずだった。カシムという甘い王が領民を守るために盾となり、その背後からプロイドの「槌」が迫りくる。だが、振り下ろされる前にルーテ軍を粉砕し、食糧を収奪し、返す刀でプロイド軍を殲滅するのが彼が描いた筋書きだ。

 

 しかし、その大前提が崩れた。国境砦からの撤退と、東部地域の放棄。砦からは略奪予定だった食糧は持ち出されただろうし、東部の穀倉地帯も奪われないよう焼き討ちされるのは目に見えている。


「どうした、チャウジー。顔色が土気色だぜ。砦の兵が逃げたんなら、さっさと突っ込んで飯を食わせろよ!」


 報告書を横から覗き込み、無邪気に急かすバテイの言葉が、今のチャウジーには死神の誘いに聞こえた。


「行けるか、馬鹿者が……。ルーテが水際防衛から、焦土作戦に切り替えたなら、突っ込んだ先にあるのは、ここと同じ空の倉庫と毒入りの井戸だけだぞ」


 チャウジーは視線を西のプロイド領へと向けた。あそこには、マクシリア率いるプロイド精鋭軍が、万全の態勢で待ち構えている。鉄の規律、旺盛な士気、そして戦争慣れした兵士たち。飢えた鎮定軍がまともにぶつかって、無事に済む相手ではない。


 しかし同時に、そこには軍隊を維持するための、本物の補給物資が確実に存在する。


 それに戦術的状況から見れば、悪くない選択肢でもある。懸念していた敵二軍連携による挟撃が、ルーテ軍が後退し両軍の距離が開いたことで、物理的に難しくなったからだ。それにフィラーネによるクーデターが本当なら、カシム派によるカウンタークーデターを恐れ、おいそれと公都より動けまい。つまり、今この瞬間、プロイド軍は孤立に近い状態にある。


 決心したチャウジーは、鎮定軍の進むべき進路をユーリクを進言すべく、馬を走らせた。


 ───


「──以上の状況より、ルーテへの侵攻は一時凍結、全軍を西へ。……プロイドを叩くべきです」


 チャウジーの声は、冷徹な計算に基づいた確信に満ちていた。


「ルーテが焦土を選んだ以上、我々があちらへ進むのは死神の掌の上で踊るようなもの。ならば、罠と分かっている灰の山を食うより、兵の士気が高いうちにマクシリアの喉元を食いちぎるべきです。プロイド軍の糧食を奪えば、二十万の胃袋は数ヶ月は持ちます。」


 その言葉を聞いたユーリクは、荒れる馬を軽くいなすと、意外にも落ち着いた様子で、ゆっくりと頷いた。


「……なるほどねぇ。あのお嬢ちゃんがクーデターか。確かにやりかねねぇ、危うさはあったなぁ」


 ユーリクは薄く笑い、地平線の彼方に霞むプロイドの山嶺を眺める。


「いいぜチャウジー、お前の策を採用してやるよ」


「ハッ、ありがとございます。それでは全軍に通達して参ります!」


 遠ざかっていくチャウジーの背中を見送りながら、ユーリクはふんと鼻を鳴らした。二十万の大軍を転進させるという狂気的な大作業。その重圧を背負い、走り去る部下の後ろ姿は、ユーリクの目には頼もしさの反面、危うさも多分に見られた。


「……あいつも成長したが、まだまだだなぁ」


 ユーリクは傍らで退屈そうに鼻をほじっていた小男、バテイに視線を送る。


「おい、バテイ。暇だろ? ちょっと、俺のお使いに行ってこい」


「あん? なんだよ親父、俺様は腹が減ってんだ。プロイドの連中をぶち殺して、温かいメシにありつきたいの」


「馬鹿野郎、一軍の将がチンピラみたいな事を言うんじゃねぇ。いいから耳貸せ、耳」


 しぶしぶユーリクの口元に耳を寄せるバテイ。しかし、その表情はみるみると喜びに染まっていく。


「そりゃあ、俺にしかできねぇお使いだな〜」


 ユーリクは鞭の柄で、バテイの胸元を軽く叩いた。彼は地平線を見つめたまま、低く、愉悦を孕んだ声で笑い続けた。

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