鎮定軍の進路①
七月十五日。ユーリク率いる帝国東部鎮定軍二十万は、ついにガルドの地に足を踏み入れた。しかし、そこに抵抗しようとする敵の姿はなく、住民の畏怖や悲鳴もない、ただ荒廃した村と町のみだった。
「まったく連中め。なんて戦い方をしやがる」
騎乗で直立しながら腕を組む小男。騎兵将軍バテイは嘆息する。
「敵を屠るどころか、略奪すらできないんて前代未聞だぞ! 井戸に毒か糞、小麦倉庫は丸焦げ、家畜も一頭も残っちゃいねえ。二十万の腹を、この灰と煙で満たせってのか?」
吐き捨てるように言ったバテイの視線の先では、かつて栄えているとされた宿場町が、黒い骸となって横たわっていた。道中にあった食糧庫はすべて空か、あるいは焼かれて炭と化している。徹底した焦土作戦。それは、この地に生きる民の生活を文字通り「抹消」することで、二十万という巨大な暴力を干上がらせようとする、冷酷極まる「拒絶」の意志だった。
「どうすんだよチャウジー! 俺たちゃあ、これまで敵の食事を奪って腹を満たして来たんだぞ。このままじゃ、集団餓死地獄真っ先だぞ」
馬で併走しているチャウジーは舌打ちして答える。
「黙れ阿呆。貴様に言われなくても、既に対策はしている。本国より補給段列を派遣し、食糧を送るよう手は打っている。それで当面は作戦行動が可能だ」
「ほーう。俺たちにも、そんな便利なもんがあったんだな。ま、余り期待しないでやるよ!」
チャウジーは重ね重ね舌打ちする。学がないと常日頃小馬鹿にしているバテイに図星を突かれたからだ。
二十万人分の補給物資を用意する。これ自体は存外難しくない。難しいのはそれを送る方法だ。
例えば荷馬車一台で、三千人が一日に必要とする食料を運べるとする。この時点で二十万を一日養うのに約70台の荷馬車と牽引する馬140頭が必要となるが、人間生きるのに食料だけで不十分で、衣類や毛布、薬品に果ては尻を拭くちり紙などを運ぶのに別個、荷馬車と馬が必要となる。
また、軍隊と策源地までの距離が、荷馬車の一日の移動限界距離を超えた場合は、中継地を作ってやる必要があり、当然荷馬車と馬の所要量はそれまでの倍となり、以後中継地地点が増えるごと倍々に増えていく。
さらには運び手である人間だって飯を食うし、馬は人間の十倍以上は消費するので、運び手が運んでいる食料を自分たちで消費してしまい、目的地に届く「純粋な余剰分」は距離に比例して目減りしていく。
さらには、酷使すれば荷馬車は壊れるし、馬も潰れる事を考えると……。極めつけは、この頭がおかしくなりそうな作業を毎日行う必要があるのである。
ゆえに、長距離侵攻や僻地侵略を主とする辺境伯軍では殊の外現地徴発を重視し、二十万という軍勢での侵攻も人口密集地帯のガルドなら、行く先々で充分な現地徴発が出来ると見込んでいたからだ。
詰まるところ、補給段列はただの気休め。二十万の大軍を維持するには、速やかに大規模な現地徴発をする必要があった。
やはり盗るべきはルーテだ。チャウジーはそう思いながら、懐から地図を取り出す。
広げた地図の先、戦略要衝であるルーテの国境砦が赤く記されていた。そこには、二十万の胃袋を満たして余りある備蓄と、その背後には毎年数多の食糧を生産する豊かな黒土地帯が広がっている。
収奪する量は申し分ないし、何より今後も続く帝都入城の策源地としても利用できる。
この様な戦略的理由に加え、戦術的にもルーテを選ぶ理由がある。プロイドとルーテがその軍勢を二分し、それぞれの国境まで軍を後退させ護っているのは、自軍の戦力を二分させるか、一点に集中させた自軍の背後を一方のフリーな敵軍が突くからであると、チャウジーは冷静に敵方の盤面を読み解いていた。
その思惑に乗った上で、彼はルーテの一点突破画策していた。理由は二つ、侵略戦争で戦闘経験豊富なプロイド軍に対しルーテ軍は戦争処女に等しく、また総指揮官のマクシリアとカシムでは、明らかに役者が違う。
カシムの事をよく知るチャウジーも、彼がまったく凡庸な男ではないと知っていたが、噂に名高き名君とされるマクシリアと比べると、その器の質があまりに違いすぎた。マクシリアが噂に聞くような「冷徹な正解」を積み上げる鉄の計算機であるならば、カシムはどこまでも「割り切れない情」を抱えた、あまりに人間臭い男。
その甘さこそが、二十万の胃袋を抱えて背水の陣を敷くチャウジーらの「勝機」に他ならなかった。
(プロイド軍の牽制に少数を別働隊にし、残り全軍でカシムのいるルーテを叩く。その後、現地で食糧を徴発し満を持して、マクシリア率いるプロイド軍と雌雄を決する……。これが最善手だな)
チャウジーがその決断を下し、ユーリクに進言しようと伝令を呼ぼうとしたその時だった。一騎の早馬が、もうもうと立ち込める砂塵を割って彼の元へと滑り込んできた。
「報告! ルーテ国境付近、および国内主要都市に潜伏させていた工作員より、緊急の定時連絡が入りました!」
「……何事だ。ルーテの守備兵力に増援でもあったか?」
チャウジーが冷淡に問い返す。しかし、差し出された報告書を一読した瞬間、彼の精緻な思考回路に致命的な「ノイズ」が走り抜けた。




