マクシリア戦役②
シルヴ公国、アムトラ公国両国は東方辺境伯軍改め帝国東部鎮定軍が、先帝皇子ヴィリムを御旗に掲げたことと、その先遣部隊が接近中という現実的な問題に直面し、東方辺境伯ユーリクに臣従。
この報せは東ガルドを震撼させ、他諸侯も鎮定軍に靡きそうになるも、プロイド軍の行動は早かった。
臣従の報せから、僅か一週間でマクシリアは勢力圏に軍の動員を要請。クルーガ大将、及びルクセ攻略を完遂したばかりのジャライカ中将の二将率いる十万のプロイド軍はアムトラ公国へ、カシム率いるルーテ軍とフィラーネ率いるリューベン軍総勢六万はシルヴ公国へと電撃侵攻し、情勢に振り回され混乱する両国軍を鎮定軍先遣隊ごと蹴散らし、六月初旬には全土を占領したのである。
かくして、この後数年に及ぶ東ガルドを舞台にした一連の動乱、「マクシリア戦役」の戦端が切られたのであった。
───
「この度は、我が国の要請に応じて軍を動員して頂き、主に替わり感謝いたします。カシム殿」
占領したシルヴの宮殿の王執務室にて、既に国外逃亡したシルヴ公王の席に座るカシムに向かい、私は一礼する。
「堅苦しいのは無しにしよう、フィラーネ殿。我々は共に凶獣ユーリクに対抗する同志。既に運命共同体なのだから」
運命共同体。確かにカシムの言う通りだ。私たちは、大河を渡ってしまった。もう、後戻りは出来ない。
「しかし、本当に初陣とは思えないほど見事な指揮であった、フィラーネ殿。我が軍の将官も舌を巻いていたぞ。一体どこで学んだんだ?」
「私の祖父からです。南方大陸征伐に一軍の将として参加していて、その時の出来事と一緒に軍略についても教えてもらいました。もっとも、称賛すべきは私などはなく、献身に戦った将兵の方です。カシム殿」
とは言いつつも結局のところ、勝敗は始まる前の段取りで決まっている。兵站、進軍経路、敵の弱点、地形、気候、技術的優劣。それらを複合的に考慮し、各々備えることで、戦場の霧を取り払い、主導権を握り、勝利することができる。
隊列を組み、銃火を交え、白兵戦を事後処理に過ぎない。それが、軍を退役した祖父から学んだ「勝利の方程式」だ。
だが、同時に祖父は言っていた。稀にその精緻な計算式を、粉々に砕いてしまう「不条理」が存在することを。
兵力差を無視し、疲弊した兵に翼を与え、敗色濃厚な盤面をたった一点の突破でひっくり返して見せる者。
そのような存在を人々は名将と呼び、ユーリクや今から来る人物が、きっとそうなのであろう。
「ジャライカ中将様、ご到着! 入室します!」
部屋の外の衛兵のそう大声で告げると、ジャライカ中将が、戦場の煤に汚れた軍服のまま、しかし高貴な人物を思わせる様な、落ち着いた足取りで執務室へと入ってきた。
「ご両名、まずは対シルヴ戦勝利おめでとうございます。そして、お初に御目に掛かりますカシム陛下。この様な汚れた姿での面会、何卒ご容赦を」
ジャライカは恭しく一礼するが、カシムは席からすぐに立ち上がり彼に近寄る。
「なんの、まさか! その姿こそ真の武人の鑑。アムトラでは寡兵ながら、我々がなし得なかった辺境伯軍先遣隊を捕捉、撃滅したのは聞き及んでいる。この勝利の報は、東ガルド全土に我々の『実力』を知らしめたことだろう!」
カシムの惜しみない称賛に対し、ジャライカ中将は淡い微笑を浮かべた。その瞳は戦場の熱気を帯びつつも、深い知性を兼ね揃えている。
「過分なお言葉、恐悦至極に存じます。ですが、勝利を喜ぶのはここまでにしておくべきかと」
ジャライカは懐から、丁寧に折り畳まれた一通の羊皮紙を取り出し、机の上に広げた。そこには帝国の正統を象徴する黄金の鷲の印章が、これ見よがしに押されている。
「帝国再興の詔、か」
カシムの言葉に、ジャライカは静かに頷いた。
「左様。東方辺境伯軍が皇帝を自称する、ヴィルム・ローデリアの名で出したものです。内容は……、笑えぬ喜劇ですな。『地上における神の代理人たる皇帝の統治を乱す逆賊らを討ち、かつての帝国の法を正す。協力する者には領土を安堵し、逆らう者には族滅の刑を処す』、と」
「自らの無能と責任をすべて棚に上げ、己を『神の代理人』と自称するなんてね。言葉の飾り立てだけが得意な、彼らしい反吐がでる美辞麗句だわ」
私は冷徹に、自分の中に残るかつての婚約者の記憶を情報として処理する。胸を刺す痛みはない。あるのは、不潔な害虫を見た時の不快感に近いものだ。
「それはごもっともですが、紛い物とはいえ帝族による檄文。影響を無視できるものでは無く、ヴィルムとユーリクに与した二国を攻めた我々は、形式的には賊軍となります」
「とはいえ、私たちが動かなかったら、この二カ国以外も、ドミノ倒し的にユーリクに降る可能性があったのでは無くて?」
「まったくフィラーネ殿の言う通りです。我々が迅速に行動し、武威を示したことで、一応周辺国を中立に留まらせる事ができました。しかし、我々が大義を失ったのは事実であり、一度弱さを見せてしまえば、周辺国はこぞって賊軍討伐の名目でプロイドとルーテを喰らいに来るでしょう」
ジャライカ中将の言葉が、執務室の重厚な空気をさらに押し潰すように沈ませた。もう私たちは、敗北どころかで躓くことすらできない。一度隙を見られたら、中立を保っている諸侯たちは「正義」の御旗の下に、飢えた狼のごとく私たちの背中を噛み切りに来るだろう。その時、プロイドもルーテも、そして私という存在も、歴史の塵として抹消されるからだ。
「以上の前提状況を理解して頂いた上で、私めがマクシリア様から授かった今後の戦略を、これからご両名に伝授いたします」




