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越えし者②

「……ほう。この我に『伝授』、か。いいだろう、聞かせてもらおう」


 マクシリアの声は、低く、刃物のような鋭さを帯びていた。向けられた殺気とも取れる重圧に、傍らに控える私ですら息が詰まりそうになる。しかし、カシムはその圧を真っ向から受け止め、不敵な笑みを崩さなかった。


「マクシリア殿。あなたの支配者としての才覚は当代はもちろん、300年の帝国の歴史を遡っても五指に入るだろう。この家臣が君主を追放し、平民が貴族を討つ乱世で、領国を安定的に運営し、短期間で二国を併合してのけたその手腕が、それを証明しています。ですが、」


 カシムはそこで一度言葉を切ると、私の方へと、射抜くような視線を向ける。


「所詮は一人の人間、すべてを支配するのには限界がある。マクシリア殿、あなたはフィラーネ殿という稀代の知性を愛しているが、それ以上に彼女を『自分の支配下』に置くことに執着しすぎだ。……地下牢でユーリクが言っていましたよ。彼女のことを『お座敷犬』だと」


「……あの痴れ者の妄言を、真に受けろと言うのか」


「いいえ。ですが、今のあなたたちの関係を見ていると、奴の言い草もあながち間違いじゃないと思えてくる。ユーリクという怪物は、鎖に繋がれた犬には殺せません。あいつを殺せるのは、鎖を食いちぎって野に放たれた、自由な獣だけだ」


 マクシリアの眉がピクリと跳ねる。応接室の温度がさらに数度下がったかのような錯覚。しかし、カシムは冷や汗を流しながらも引かない。


「もっと彼女を自由にさせなさい。そして、何よりもあなた自身もそう有るべきです。子が親の手を必要としないように、親が子の世話から離れるように。部下の才を信じて突き放し、己はより高次元な戦略に全身全霊を傾ける。それが成ったとき、マクシリア殿はあのユーリクすらも捕食する真の英雄と成ると、私は賭けたのです」


 カシムのその言葉の芯には、かつて怪物の懐で生きてきた者だけが持つ、逃れようのない確信がこもっていた。


 静寂が、先ほどよりも深く応接室を包み込んだ。マクシリアの翡翠色の瞳に、複雑な光が明滅する。それは私への歪んだ想いと、カシムが指摘した「勝利」への渇望が激突している音のようだった。


「……若き王に、これほど痛烈な諫言(・・)をされるとはな」


 マクシリアは低く笑った。その笑いには、先ほどまでの冷徹な拒絶ではなく、どこか憑き物が落ちたような、不気味なほどの透明感が混じっていた。


「フィラーネよ。……私は、お前を縛っていたつもりはなかった。だが、カシム殿の発言には一理ある。この危機的状況下では、我もお前も、変わらなければならんな」


 マクシリアは私を見つめ、初めて見るような、遠い眼差しで微笑んだ。


「よかろう。カシム殿、貴公の賭けに乗ろうじゃないか。私も、そして私のフィラーネも、今日この時をもって『鎖』を捨てよう。そして我らを脅かし、立ちはだかる畏敬の長、凶獣ユーリクを共に越え、討ち果たさん」

 

 二人は再び力強い握手を交わした。それは単なる国同士の利害の一致を超え、互いの「怪物」への恐怖と、それを超えんとする野心を認め合った男たちの、魂の契約のようにも見えたり


「感謝します、マクシリア殿。これで、暗闇に一筋の道が見えました」


「礼には及ばぬよ。貴公のような、得難い友に出会えたのだから」


 会談はこうして、かつてないほどの高揚感と信頼の中で幕を閉じた。カシムは退室の際、私にもう一度だけ深々と頭を下げ、野性味のある足取りで去っていった。


 かくしてプロイドとルーテ、東ガルドの二大国の結び付きは利害を越え、堅固なものとなったのである。この事実はまたたく間に諸外国に知れ渡り、私たち有利に働く筈であった。


 そう、ユーリクは我々の一歩先を行っていたのだ。


 聖暦773年5月。ユーリクは、突如として先帝陛下の皇子を二十万の軍勢の旗頭に据えると、自らの軍勢を『帝国東部鎮定軍』と自称したのである。


 その結果、我々の味方に引き込むはずであったシルヴ公国とアムトラ公国が、即座にユーリク側への臣従を表明。鎮定軍として、私たちと敵対する道を選んだのである。


 だがそれ以上に、私の心を灼き、逆撫でしたのはその旗頭が、かつて私の元婚約者でふざけた理由で私を棄てた男。


 いずれは私の手で抹殺すべき人間、ヴィルム・ローデリアであったことだ。


 


 

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