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越えし者①

 結局その後、私たちは王命によって解放された。私はカシム陛下との面会を求めたが、替わりに対応した大臣から謝罪、協同戦線参加の内諾を受け取り、それらを報告するのに一旦プロイド本国へと一度帰還することとした。


 そして一週間後。カシム陛下がプロイド公国を訪問するにあたり、両国首脳同士の会談に私も参加しようとしていた。


 私とマクシリアしかいない応接室。カシム陛下の到着を待つ静寂の中、私の主君マクシリアは窓外の景色を眺めたまま、温度のない声で問いかけてきた。


「……それで、フィラーネ。例の『怪物』はどうだった」


 その問いに、私の心臓が不自然な跳ね方をする。あの日、地下牢で浴びせられたあの熱、肌を焦がすような視線、そして「お座敷犬」という蔑称が、脳裏を掠めた。


「一言で言えば、測り知れない御仁だったわ。戦場そのものが服を着て歩いているような、論理も、損得も、一切が通用しない不条理の塊だった」


 努めて冷静に報告したつもりだった。けれど、私の声には、自分でも気づかないほどの熱が混じっていたのかもしれない。マクシリアがゆっくりとこちらを振り向いた。その翡翠色の瞳は、いつになく鋭く、私の内面を解剖するかのように細められている。


「不条理、か。お前がそこまで特定の個人を感情的に評するのは珍しいな。……よほど、あの野蛮な男の言葉が『響いた』と見える」


「それは……。彼が無辜の民を自分の『遊び』に巻き込もうとしていることに、憤りを感じただけよ」


「憤りだけか?」


 マクシリアが一歩、私との距離を詰める。彼から漂うのは、洗練された冷たい香水の匂い。それはあの日、地下牢で嗅いだ、鉄と血と安酒の混じったあの剥き出しの体臭とは対極にあるものだ。


「お前の視線が、いつになく揺れている。あの日以来、お前が提出する報告書からは、いつものような冷徹な分析が影を潜めているように感じる。そう、まるで初恋に舞い上がる少女のように熱っぽい」


 マクシリアの手が、私の頬に触れた。指先は氷のように冷たい。けれど、その奥に潜む独占欲と、微かな苛立ちが伝わってくる。


「……妬けるな。それほどまでか、ユーリクという男は」


「……恋するなんて。私はただ、事実を……」


「これ以上、言うな。惨めな気持ちになる」


 強引に引き寄せられ、私はマクシリアの胸に顔を埋める形になる。主君の体温は穏やかで、守られているという安心感はある。けれど、私の脳裏にはどうしても、あの地下牢で乱暴に頭を撫でられたときの、あの火傷しそうな熱さが消えずに残っていた。


 だが、それを掻き消すようにマクシリアが私の耳元で囁く。


「もう、お前を失望はさせない。だから側にいてくれ、フィラーネ」


 そのとき、扉が叩かれ、カシム陛下の到着を告げる先触れの男の声が響き渡った。


「ルーテ公国、公王カシム・アーヴィン陛下、御入城!」


 マクシリアは私を優しく放し、瞬時に「完璧な主君」の仮面を被り直した。私もまた、乱れた呼吸を整え、背筋を伸ばす。


 重厚な扉が左右に開き、軍靴の音が静かな室内を叩いた。


 入室してきたのは、およそ一国の王とは言い難い風貌の青年だった。仕立ての良い公宮の礼服を着てはいるものの、派手な色合に、金髪は乱暴に逆立てられている。その鋭い眼光と奇抜な格好は、高貴な貴族というよりは、街の路地裏を支配する無頼漢のそれだった。


 しかし、私の姿を認めると、その野性味のある顔に一瞬の動揺が走る。彼は足を止めると意外にも乱れた服の襟を正し、私に向かって深く、真っ直ぐに頭を下げた。


「……リューベン総督、フィラーネ殿」


 低いが、芯の通った声だった。


「まずは、非礼を詫びさせてくれ。理由はどうあれ、我が国の混乱に貴殿を巻き込み、不潔な地下牢に閉じ込めるという暴挙。一国の主として、また一人の男として、この無礼……万死に値すると自覚している。本当に、すまなかった」


 その態度は驚くほど折り目正しく、誠実さに満ちていた。カシム陛下は私への謝罪を終えると、次はゆっくりとマクシリアに向き直った。その挙動はやはりどこか粗野ではあったが、向けられる敬意は本物だった。


「そして、マクシリア殿。この度は急な訪問の受け入れ、感謝する。東方辺境伯ユーリクに対抗するには、もはやマクシリア殿の力と知恵を借りる他なしと我々は判断した」


「決断感謝するぞ、ルーテの若き君主よ」


 マクシリアはおもむろに手を差し出す。


「はい。我ら二人で、あの凶獣ユーリクを討ち果たしましょう」


 カシムはその大きな手でマクシリア様の細く、しかし力強い手をしっかりと握り返した。その握力には、単なる挨拶以上の切実な響きがある。


 その後、カシムはマクシリアに勧められ着席すると、しばらく歓談にふけた。両反対な外見の二人だが、意外とウマが合うらしい。カシムは終始、礼節をわきまえた態度を崩さなかったし、マクシリアも対等と認める人間にしかみせない、良い意味で砕けた態度をとっていた。


 このまま良い雰囲気で終わるだろうなと思った束の間、それを破ったのはカシムの方だった。


「……マクシリア殿。正直に申し上げれば、私はあのユーリクを、この世で最も恐ろしい存在だと思っております」


 カシムのその指先が、カップの縁でかすかに震えているのを、私は見逃さなかった。


「東方辺境伯領での人質時代、私は奴が言う『遊び場』で何が起きているかをこの目で見てきました。ユーリクという男は、息をするように人を壊し、笑いながら地図を塗りつぶす。抗いようのない『自然災害』そのものなのです。……正直、怖い。そして同時に、あの圧倒的な暴力に、ある種の神聖さすら感じてしまう自分がいる」


「人質時代に根源的な恐怖と、歪んだ憧憬を植え付けられた、というわけか」


 マクシリアが、どこか楽しげに、残酷なほど冷静な声で分析を加える。カシムは小さく頷き、今度は顔を上げてマクシリアを真っ直ぐに見据えた。


「はい。故に、その鎖を断ち切ろうと精進を重ねてきたつもりでした。しかし、奴と敵対するに至って気がついたのは、自身の未熟さのみでした」


「恥じることではあるまいに。なにせ我も、あの男の事について考えると頭がまいる」


 マクシリアが自虐的にそう言うと、カシムは不適な笑みを浮かべ、言い放った。


「でしょうな。先帝閣下に『帝国の麒麟児』と呼ばれたマクシリア殿でも、少なかれ今の(・・)状態では、例え百万の軍勢をもってしても敵いますまい」


 不意に飛び出た言葉に、応接室の空気が一気に張り詰め、エリカなら悲鳴を上げて逃げ出すような重圧が場を支配する。


「……それは、聞き捨てならないな。我が無能とでも言いたいのか?」


 マクシリアの声から温度が消えた。しかし、カシムはその圧を正面から受け止め、不敵な笑みを崩さなかった。


「いえ、マクシリア殿の才を否定する訳ではありませんし、私など足元に及ばないのが事実。それどころか、私の見立てではあのユーリクと比べても、統治者として器量はマクシリア殿の方が上だと信じております。しかし、たった一つの差が両者の実力を越えがたいものにしているのです。厚かましいながら、それを伝授すべく本日は訪問したのです」

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