軍神の愉悦②
「遊び……? 何万という命が消え、地図から国が消えるかもしれないのよ。それを遊びだなんて、正気の沙汰じゃないわ!」
私の叫びは、冷たい地下牢の石壁に反響した。怒りで視界が熱くなる。他から見れば、リューベンで多くの人を死に追いやった私も、東方鎮定で数多の血を流してきたこの男と同じ穴の狢なのかもしれない。だけど、この男はその行為に対し、懺悔や反省など一切無く、心底楽しんでいる。
そして何よりタチが悪いのは、非道な人格に反し、この男からは人間的な魅力に溢れている点だ。
「ガハハハッ! 正気だって? 俺は誰よりも正気だよお嬢さん」
ユーリクは鉄格子を掴み、みしり、と不快な音を立ててそれを歪ませた。先ほどまでの酔っ払いの空気は微塵もない。そこにいるのは、数多の英雄を屠り、数多の都市を灰にしてきた「純粋な破壊」の体現者だった。
「お嬢ちゃん、そりゃあ有象無象どもにとって、争いのない平和な世は素晴らしいだろうさ。だがな、それは生きてると言えるのか? 富や権益は口達者な屑どもに独占され、それ以外の多くは下剋上をしないように牙を抜かれた犬のように飼い慣らされる……。そんな反吐が出るような世界、俺は耐えられないね」
「だからといって、平穏に生きる人々を戦火に叩き込む正当な理由にはならないわ!」
「理由? だから、そんなもんはねえよ」
ユーリクはあっさりと、そして残酷なまでに淡々と言い放った。彼は私の頬に手を伸ばそうとして、鉄格子の隙間で指を止めた。その瞳には、悪びれる様子も、慈悲も、後悔もない。ただ、燃え盛る火が酸素を求めるような、抗いがたい本能の飢えだけがあった。
「魚が陸では生きられないように、平和な時代にしか生きられない人間がいるように。俺たちのような乱世の中でしかまともに生を見いだせない人種もいるんだよ」
ユーリクは低く、まるで見透かすような声で続けた。
「なぁ、お嬢さん。あんた、平和な執務室で退屈な書類を捲っている時より、今この絶体絶命の檻の中で俺と睨み合っている時の方が、心臓が跳ねてやがらねえか? 瞳の奥に隠しきれねえ『歓喜』が漏れてるぜ」
「……っ! ふざけないで!」
私は鉄格子を激しく叩いた。その音は狭い地下牢に、私の動揺を代弁するかのように鋭く響く。
「私をあなたのような狂人と一緒にしないで……!」
「おっと、そうかもな。俺とアンタは確かに違う。俺は己の飢えに従う野良犬だが、アンタはマクシリアという飼い主に繋がれた、行儀の良いお座敷犬だ」
ユーリクは鉄格子の隙間から、私の顎を強引にクイと持ち上げた。逃げようとしても、万力のような力で固定され、その濁った、それでいて恐ろしく澄んだ瞳から目を逸らすことができない。
「しかし本当に男運のない女だなぁ、お前は。才能を生かしきれない馬鹿男に捨てられて、次に拾われたのが前よりマシではあるがとんだ束縛野郎なんだからなぁ。同情するよ。あんたのような『暴風』そのものの女が、鳥籠の内側で指をくわえて外を眺めているなんてな」
ユーリクは顎を掴んでいた手を離し、乱暴に私の頭を撫でた。その掌は驚くほど熱く、戦場を渡り歩いてきた者特有の硬いたこが、私の肌をじりじりと刺激する。
「な……っ!」
私は言葉を失い、ただ彼を見上げることしかできなかった。怒りで熱いのか、それとも別の理由で熱いのか、自分でも判別がつかない。マクシリアの歪みつつも暖かい光に慣れていた私の身体に、彼の放つ剥き出しの「熱」が、暴力的なまでの説得力を持って浸透してくる。
「マクシリアの首輪。……飽きたらいつでも食いちぎって、俺のところへ来い。その時は、お嬢さんにお似合いな『遊び場』を用意してやるぜ」
ユーリクは背を向け、暗い通路へと歩き出した。その広い背中が闇に溶けていくのを、私はただ黙って見送ることしかできない。
「フィラーネ様、大丈夫ですか……?」
エリカの震える声で、ようやく金縛りが解けた。
「……ええ。大丈夫よ、エリカ」
私は深く息を吐き出し、乱れた髪を整える。けれど、指先が微かに震えているのを隠しきれない。マクシリアの隣にいるとき、私の才能をかって「有用な道具」であることを求められ、それに微かな誇りを感じていた。けれど、この野蛮な男は、私の中に眠る「凶暴な自我」を私自身よりも鮮やかに肯定してみせた。
(信じられない……。あんな、論理の欠片もない蛮人に、私は)
嫌悪感の裏側で、見たこともないほど眩しい「自由」を見せられたような、形容しがたい高揚感が胸を締め付ける。燻っていた内に秘めた野心は業火のように燃え広がり、私の世界が、音を立てて崩れ去るのを感じたのだ。
「……最悪だわ。本当に」
しかし、不愉快な事実だとしても、認め、直視しなければならない。
マクシリアとユーリク、その力量は私が見る限り後者が上であると。
そして、私があの蛮人とその言葉に、確かに惹かれつつあったことを。




