表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

21/42

揺らめくルーテ②

 ───


 とまぁ、息巻いたのが今から三日前の話。


「……嘘でしょ」


 湿った藁の匂いと、どこからか滴り落ちる水の音。視界を遮るのは重厚な鉄格子と、冷え切った石壁だ。三日前の自分に声をかけられるなら、「ノリと勢いだけで行動するんじゃない」と説教してやりたい。


「ううぅ……だから言ったじゃないですかぁ……!  私の人生、こんな薄暗い地下牢で終わるんだわ……!」


 隣でエリカが膝を抱えてシクシクと泣いている。彼女には本当に悪いことをしたと思うけれど、今は謝る余裕もない。


 入国までは順調だった。堂々とリューベン総督フィラーネの名を掲げ、正規の外交使節として国境を越えたのだ。


 ルーテ側の対応も当初は丁寧だった。「突然の御来訪、痛み入ります」と恭しく頭を下げた衛兵の一団が、私たちの馬車を前後からガッチリと護衛し、公都まで案内してくれる運びとなった。


 そして、公宮の正門をくぐった瞬間。馬車を護衛していた一人の衛兵が、沈痛な面持ちで私の馬車の扉を開け、こう告げたのだ。


『……フィラーネ総督閣下。大変申し上げにくいのですが、貴女方を「保護」させていただきます』


『保護?  どういう意味かしら、衛兵殿』


『言葉通りの意味です。……どうか、抵抗なさらないでいただきたい』


 彼の目には敵意も、あるいは寝返った者特有の狡猾さもなかった。あったのは、どうしようもない困惑だけ。理由を問いただす間もなく、私たちは荷物を取り上げられ、そのままこの地下牢へと直行させられたというわけだ。


「……わけがわからないわ」


 私は冷たい石壁に背を預け、独りごちる。


「エリカ。貴女の目から見て、連中に変わったところはあった?」


「ぐすっ……いえ、見たところ全員ルーテの正規兵でした……。それに、私たちを捕まえる時、なんだかすごく『申し訳なさそう』でしたね」


「そう、そこが一番の謎なのよ」


 もしルーテが秘密裏に辺境伯に寝返ったのなら、私たちを「手土産」として辺境伯に差し出すために捕らえるはずだ。その場合、もっと粗雑に扱うか、あるいは勝ち誇った態度をとるだろう。逆にプロイドとの友好関係を維持する気なら、総督である私を投獄するなど自殺行為だ。


 直前に政変が起き、私たちの取り扱いに混乱が生じた可能性も無くは無いが、連行されながら見た穏やかな街並みを見るに、クーデター自体が起きた可能性は低い。


 合理的な理由が見当たらない。ということは、今のルーテを動かしているのは「感情」か、あるいは「論理を超えた切羽詰まった事情」ということになる。


(いったい全体、ルーテ公王は何を考えて)  


 そんな風に煮詰まっていると、重い扉が開く音と共に、湿った空気に混じって鼻を突く安酒の匂いが漂ってきた。


「……ヒック。……おーい、交代だぞ。あー、あー、喉が焼けやがる」


  現れたのはよれよれの制服をだらしなく着崩した、赤ら顔の老年男性だ。手には半分ほど中身の残った酒瓶をぶら下げ、足元はおぼつかない。おおよそ、規律正しいと諸外国に評されるルーテ兵とはほど遠い風体である。


 男が軽く手を振ると、先ほどまでいた監視員はそそくさといなくなる。酔っぱらいは椅子を片手に、私たちがいる鉄格子の前に歩みると、椅子をおきどっかと腰を下ろした。


「……あぁ? ああ、今日のお客さんは、プロイドの……なんだっけか、総督サマだっけ。ヒック。……随分と可愛らしいお嬢ちゃんだな。マクシリアの野郎てのは、こんな女が趣味なのか?」


「……。私の主君の名前を呼び捨てにするなんて、ただの衛兵じゃないわね。貴方、何者?」


 私は鉄格子に歩み寄り冷ややかな視線で男を射抜いた。 男は酒瓶を煽ると、面倒くさそうに頭を掻いた。


「何者、ねぇ……。見ての通りただのロクデナシだよ。……まぁ、強いて言うなら、あの上で震えてるカシムとはケツの青いガキの頃に、よく遊んでやったもんだ程度の関係かな。俺からすれば少し鬱陶しかったけどな」


 男は酒瓶を煽ると、こちらの反応を楽しむように目を細めた。一介の衛兵がルーテ公王、カシムの名を呼び捨てにし、あまつさえ幼少期の不名誉なエピソードを語る。ただ事ではない。


「随分と公王陛下と仲がよろしそうだけど、もしかして御親戚。それともご友人?」


「ハッハッハッ! 俺が名家アーヴィンの血族に見えるかい?」


 男は重い腰を上げ、鉄格子越しに私を覗き込んだ。その瞳は濁っているようでいて、時折、研ぎ澄まされた刃のような鋭い光を放つ。


「なに、実は俺はこの国の人間じゃなくてな。カシムの野郎とは今生の別れになりそうだから、観光がてらここに来てたんだが、そしたらあの噂に名高い『悪女』フィラーネが来たっていうから、こうして一目見に来たわけよ」


 男は「ひっひっひ」と喉を鳴らして笑った。その笑い声には、酔っ払いの軽薄さとは裏腹に、まるで巨大な岩が擦れ合うような不吉な重量感が混じっている。


 私はこの男に対し、根拠の無い悪寒を覚えていた。


 男が手に持っていた酒瓶を、無造作に石床へ投げ捨てた。 ガシャン、と鋭い音を立てて砕け散る。しかし、飛び散った液体の匂いを嗅いだ瞬間、私の背筋にさらなる冷たい衝撃が走った。


(……これ、酒じゃない。ただの水だわ……!)


 ただ、酔ったふりをしていただけじゃなく、手に持つ水瓶から本物の酒と誤認させるほどの擬態をこの男はしていたのだ。


  だらしなく崩していた姿勢が、不自然なほど滑らかに正される。よれよれの制服に包まれていたはずの身体が、突如として、鉄格子を圧迫せんばかりの巨大な威圧感を放ち始めた。

「な……なんなんですか、この人……!?  急に、貫禄が……!」


 隣でエリカが悲鳴に近い声を漏らす。彼女の言う通りだ。地下牢の湿った空気が、まるで見えない刃で満たされたかのように、肌をチリチリと刺す。


「カシムのことを悪く思わないでくれ。アイツはあんたらと俺が遭遇しないよう、その牢屋に保護しただけだからな」


 男はゆっくりと椅子から立ち上がった。その動作一つで、周囲の空間が彼を中心に支配される。老年だと思っていたその体躯は、立ち上がってみれば私を二回りも上回るほどに大きく、その眼光は数多の戦場を潜り抜けてきた捕食者のそれだった。


「貴方……まさか……」


「流石は俺と同じように単身ほぼ敵地に飛び込む馬鹿野郎だ。御名答だぜ」


 男は極めて野性的で、猛獣のような笑みを浮かべその名を呟く。


「俺の名は、東方辺境伯ユーリク・デイ・ベルガドット。『軍神』、の方が通りがよいかな」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ