現御神の逡巡③
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「短刀直入に聞きます。プロイド軍として辺境伯軍と、どのように戦うつもりでしょうか」
帰りに私の馬車の中、同席したジャライカ中将に私は聞く。
「先ほども仰っいましたが、安易な決戦は自殺行為です。蛮族相手に戦ってきた辺境伯軍は、拙速を尊ぶ完全な野戦主義集団。しかしその犠牲として、機動力を維持するために軍の規模に対して小規模な兵站能力しか持てず、もっぱら現地徴発に頼っています。突くとしたらそこでしょうな。もっとも、私めも書物と噂でしか知らない身。実際のところは、二、三度手合わせしないと何とも。フィラーネ様の方はいかがで?」
「私は軍事にそれほど精通しておりませんが、概ねジャライカ中将の認識と一致しております。二十万の大軍を現地徴発で養うとなると、進軍経路は人口密集地帯に限られる筈ですからね」
「やはり」
「ええ、『焦土戦術』。それ以外に選択肢はありません」
焦土戦術。それはその名の通り、敵の進軍経路上の街や村の家を焼き、井戸を潰し、食料を処分する戦術である。人々の生活基盤を破壊する非道な行いだが、敵による徴発を阻止する有効手段として古くから多様されてきた。
「無論、プロイドやリューベンで実施するつもりはありません。東の隣国、ルーテ、シルヴ、アムトラの三国に対し早急に協同戦線を構築し、辺境伯軍との戦闘の最中に成り行き上仕方なく焦土戦術を彼らの国で行う。それが私の策です」
私の言葉に、馬車の中に一瞬の沈黙が降りる。ジャライカ中将は、暗がりのなかでその端正な顔立ちに複雑な色を浮かべる。
「最初から三国をプロイドの防波堤として使い潰し、その大地を灰にする。どれほど巧妙に取り繕おとしても、三国からは酷く恨まれ事になりますね」
「それでリューベンとプロイドの民が救われるなら、非道の誹りは全て受け入れる所存です」
私はリューベンの人々と約束したんだ。そのためなら、私は喜んで他国の民に恨まれる「冷徹な略奪者」の役を引き受けよう。かつてリューベンを焼き払った、あのアニスと同じようなの顔をしてね。
「これら一連の策をまとめ次第、マクシリア陛下に私から上奏するつもりです。しかし、この策が採用されるには、非情な実行者役を務める陸軍の全面的な賛成が前提です。ルクセ攻略で忙しい所申し訳ございませんが、ジャライカ中将には是非陸軍内で根回しして頂きたい」
将校団には古き良き騎士団精神を重んじる者が未だに多く、そんな彼らにとって戦場は名誉を競う舞台であり、味方の土地を焼く焦土戦術は唾棄すべき行為と反対する筈だからだ。
「承知した。軍トップのクルーガ大将は高潔な武人ですが現実主義者でもあるので、彼と私で反対意見を押さえます。かつ、その焦土戦術の指揮官として自薦もさせて頂きます。名誉あるプロイド軍人の中で、私は南の蛮族出身の身。卑しい生まれには、お似合いな役回りです」
ジャライカ中将は暗い車内で白い歯を見せて低く笑った。その笑みには、名誉を重んじる旧弊な将校たちを冷笑するような響きがある。
「大変心強いです」
「なんの。邪道であろうとも、打てる手は打つのが当然です。相手はマクシリア様をも逡巡させる、理外の怪物なのですから」
ジャライカ中将の言葉が、馬車の走行音に混じって冷たく響いた。
「やはり気がついておりましたか、中将」
「ええ。マクシリア様の問いは、相手の力量を見極めるためのもの。現御神の化身たる陛下は、誰の意見も必要としない。常に最適解を自ら導き、他者に実行させる。それ故に、誰もが迷いなく陛下の従う。しかし……」
彼は目を手で覆い、言葉を続ける。
「しかし、本日の陛下は違った。陛下も抗戦の意思は持っていたが、あろうことか我々両名の意思を後ろ楯にしようとしておられた。あの様に狼狽するマクシリア様は見たことがない」
「……同感です。我々は風聞や書物でしか軍神ユーリクの事を知らないため、脅威とは理解しつつも、どこか現実感に欠けているが、陛下ほどの器量なら合わずとも彼我の絶望的な実力差を、肌で感じ取ってしまわれたのでしょう。我々が想像する『軍神』など児戯に等しいほどの怪物が、東から来ると」
ジャライカ中将は覆っていた手を外し、私を真っ直ぐに見据えた。その瞳の奥には国の存亡を憂う忠臣の色とは別の。もっと昏く、そして熱烈な野心の炎が揺らめいていた。
「フィラーネ様。これはプロイド始まって以来の危機です。ですが同時に、我々外様にとって千載一遇の好機でもある」
「好機、ですか?」
「ええ、現御神たる陛下が始めて揺らいだのです。陛下の威光のみを頼りとするクルーガ大将やホフマン外務大臣古参の筆頭家臣たちは、遠からず狼狽し機能不全に陥るでしょう。陛下の後ろで王道しか歩んで来なかった彼らでは、あの東からやって来る怪物は殺せない」
彼は唇を吊り上げ、愉悦を噛み締めるように続けた。
「この国を救え、新時代を導けるのは、泥を啜り、味方すら焼く覚悟のある我ら『汚れ役』だけだ。……もし、陛下すら恐れる怪物を我々が退けるか、あるいは葬り去ることができたなら」
その先は言わずとも分かった。それはもはや、単に筆頭家臣に躍り出るだけではない。絶対の支配者であるマクシリアの判断を超え、あの男の恐怖すら克服したという事実。それは、「道具」が「使い手」を凌駕する瞬間だ。
「南の蛮族上がりの私と、拾われた人形の貴女。……最底辺から、神の座を見下ろす場所まで一気に駆け上がる。悪くない筋書きだと思いませんか?」
ジャライカ中将の冷たく美しい顔が、夜闇の中で捕食者のそれに変わっていた。
国の危機という盤面で彼は王を守る騎士ではなく、自らが主を越えるための道筋を見出したのだ。
「……随分と不敬な野心をお持ちのようで」
「ご冗談を。貴女も同じでしょう? 己の意志と自由を縛ろうとするなら、神すら粉砕する事を厭わない目をしている」
私は否定しなかった。いや、出来なかった。
マクシリアは私を泥の中から拾い上げ、己の才能を生かす機会を与えてくれた。私にとってあの男は絶対的な造物主であり、逆らうことなど想像すらできない支配者だった。今日、あのか細い震えを見るまでは。
(この男も、所詮は人の子だったのね)
その事実は失望よりもむしろ、暗い歓喜となって私の胸の奥で燻り始めていた。完璧な神だと思っていた男が盤面の最善手を見失い、立ち尽くしている。ならば、その盤面を継ぐのは誰か。
誰かに操られるだけの駒で一生を終えるつもりはない。リューベンの人々の期待と約束も、いずれはマクシリアの冷徹な計算式の中では「雑音」として切り捨てられる運命にある。
それを守り抜くためには、私はあの男の「最高傑作」であり続けるだけでは足りない。
あの男の予測を裏切り、あの男の想像を超え、支配の糸を自らの手で引きちぎるほどの「怪物」にならねばならないのだ。
そのために、私はこれまでより多くの人々を地獄へ突き落とす。だが、私がマクシリアという巨大な鳥籠から飛び立つための翼になると思うと、私の中で熱い何かが駆け巡り、否が応でも胸を高鳴らせてくれた。




