現御神の逡巡②
驚くほど冷たい声でマクシリアは続ける。
「通行権を受諾すれば、二十万の軍勢がプロイドとリューベンの街中を我が物顔で通り抜けることになる。略奪、暴行、兵站の徴発……。だが直接的な衝突は避けられ、時間も稼げる。拒絶すれば辺境伯は我々を敵と見なし、東方征服活動の英雄伝で聞くような、苛烈な殲滅戦が我々の国で展開されるだろう」
マクシリアは私たち二人を試すような、楽しげですらある残忍な笑みを浮かべた。卓上の地図には、リューベンを蹂躙するように引かれた進軍ルートが、逃れようのない死の宣告のように居座っている。
「……軍事的観点から申し上げれば」
先に口を開いたのはジャライカ中将だった。その声は、相変わらず澄み渡った青年のように穏やかだったが、内容は極めて冷酷だった。
「現状、我らプロイド軍は先のリューベン攻略戦を始め、現場進行中の多方面作戦により消耗激しく、正面から二十万を迎え撃つのは自殺行為です。しかし、辺境伯軍は決戦至上主義の軍で攻城戦は不得意と聞き及びます。ここは都市と山村を中心に籠城戦を強要し、一般市民も総動員し敵に出血を強いのが得策かと」
礼儀正しい微笑みを崩さぬまま、彼は非戦闘を巻き込んだ策を進言した。マクシリアが満足げに頷き、視線を私に転じる。
「なるほど、ジャライカらしい合理的な案だ。では、フィラーネ。現場の主であるお前はどう考える? リューベンの民を、辺境伯の軍靴に差しだすか。それとも、正面からぶつかって『立派な国』を灰にするか」
私はゆっくりと立ち上がった。どちらを選択すべきか、決まっている。
「断固、拒絶すべきです」
「ほう?」
マクシリアの眉が跳ね上がる。ジャライカも、少し意外そうに目を細めた。
「リューベンが再び戦火に晒されてもか。理由を聞かせてくれ」
「はい。ここ一年でリューベンを皮切りに、我々は短期間で勢力圏の拡大に成功しましたが、服属した多くの者は我々に忠誠を誓ってはおりません。もし通行権を与え、辺境伯軍の徴発という名の略奪を各地で許せば、彼らはプロイドを二度と信じないでしょう。信じないどころか辺境伯の軍に内応し、我々の背中を焼く。二十万の外敵に、数百万の内部の憎悪が加われば、それこそ終わりです」
そう、人の恨みが一朝一夕に消えないことは、あの市場の一件で良く知っている。被征服民の彼らが表面上私たちに従うのは、現実的な力の差と、その力による一定の保護を与えているからに過ぎない。
私たちを上回る力が現れれば、彼らは躊躇なくこちらを指さし、かつての憎しみを晴らすための手引きをする。
「徹底抗戦。これしか国を保つ方法はありません」
私の言葉にマクシリアは視線を下げ、椅子の肘掛けに指をとんとんと鳴らす。その姿はある意味、辺境伯軍到来以上の衝撃を私に与えた。
「……そうか、分かった。辺境伯軍の到来は今年秋前後と推測されている。ジャライカはそれまでにルクセ公王領の攻略を、フィラーネはリューベン軍の再建に努めよ。それ以外の具体的な指令は追って指示する。今日は遠くから御苦労、もう下がって良いぞ」
「御意に」
「は!」
一礼し、二人で部屋を後にする。チラリとジャライカ中将のほうを見ると、その澄ました顔に一筋の冷や汗が流れているのに気がつく。どうやら私と同じ心境に至ったらしい。
「……フィラーネ様、よろしれば二人で今後の次善策を相談したく、馬車に同席してもよろしいでしょうか」
私は二つ返事で答える。
「もちろん歓迎いたしますよ、ジャライカ中将。ちょうど、私もそう思っていたところです」




