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フィラーネ様は愛嬌が足らない!⑤

 呼び止めたのは、先ほどの果物屋の店主だった。  彼女は私が台に置き去りにした潰れかけのイチゴの箱を抱え、ひどく複雑な、今にも泣き出しそうな、それでいて怒りに燃えるような顔で私を睨みつけていた。


「……アンタ、さっき『踏み台にしろ』って言ったね」


「ええ、言ったわ。嘘じゃない」


 私が答えると、彼女は震える手で箱から一粒のイチゴを摘み上げた。ささくれた指先が、彼女のこれまでの苦労を物語っているようだった。


「私の息子はね……去年の冬、北部の防衛戦で死んだんだ。プロイドの連中に殺された。まだ二十歳にもなってなかった。……小さな頃から私の商売を手伝う、優しい子だったよ。ご褒美のイチゴをあげると、本当にうれしそうに食べていた」


 私の喉の奥がぎゅっと締め付けられる。私が立案した焦土作戦。私が進言した軍の進路。その数字の集積の果てに、この女性の息子の死があった。


「このご時世だ。子を亡くした親なんて、ごまんといる。自分が特別不幸なんて思わない。だけどさ、だからこそアンタのことは死ぬまで恨んでやるって決めてたんだ。息子を奪った連中の親玉が、どんなに立派な理想を語ったって、あの子は帰ってこないんだから」


 店主は、手に持っていたイチゴを、潰さない程度の絶妙な力加減で握りしめた。その拳が小刻みに震えている。


「でもね……さっきのアンタの目は、ただの『侵略者』の目じゃなかった。泥を被って、首を差し出して……あんな必死な、バカ正直な目をする悪党を、私は他に知らないよ」


 彼女はため息をつき、そのイチゴを私の掌に乱暴に乗せた。


「アンタのことは一生許さない。許せるわけがない。でも、あんたがさっき言った言葉は信じる。……リューベンがプロイドにも負けない立派な国にして、息子の死が無意味じゃなかったと、証明してくれよ」


「……必ずや、約束します」


 店主は涙を拭きながら顔を背け、ひどくぶっきらぼうに手を振った。それは決して温かい和解ではなかった。けれど、彼女が私の「意志」だけは認め、この国の未来を私という不快な道具に託すと決めてくれた、ような気がする。


 私は彼女の背中に向かって、深く、長く一礼した。掌に残ったイチゴは、先ほどのものよりもずっと重く、熱を帯びているように感じられた。


「行きましょう、エリカ」


「……はい、フィラーネ様」


 背後でエリカが、そっと私の背中に手を添えた。  市場を去る際、ちらりと振り返ると店主はまた忙しそうに客を呼び込み始めていた。その姿は逞しく、そしてどこか誇り高い。


 私は懐にそのイチゴをしまい、歩き出した。まくり上げた袖から入り込む風は、いつの間にか冷たさを失い、春の香りを強く運んできている。


 許されることはきっと一生ないし、私も許しは請わない。責任は謝罪や贖罪ではなく、この国の明日を今日よりもわずかでも豊かにし、人々の営みを絶やさないという結果で果たしてみせる。


「フィラーネ様、顔つきが変わりましたね」


 隣を歩くエリカが、少しだけ安心したようにそれでいて悪戯っぽく微笑む。


「そう? 結局、貴女がいった愛嬌とらは不発に終わったみたいだけど」


「でも、皆さんにフィラーネ様のことをアピールできた」


「ふっ、そうかも。良いものね、知ってもらえるってのわ。また時間ある時に、付き合ってくれる?」


「喜んで! あと約束の串肉も繰り越しでお願いします!」


 彼女の底なしの図々しさに呆れながらも、私の足取りは軽い。

  

 憎しみと期待を同時に手渡されるなんて、帝国でどんなに英才教育を受けても教わらなかった。報告書には載っていない、統治の重みが鋭く胸を刺し、そして同時に温かくする。それを知れただけで、今日は来てよかった。


 明日からもきっと嫌われ者の総督としての仕事が待っている。けれど、今の私ならどんな嵐だって乗り越えられるような気がした。













 そう。東方から迫る来る、「大嵐」のことも知らずに。


 ────


「それは真か?」


 マクシリアの執務室。主の問いに、外務大臣ホフマンは苦虫を噛み潰したような顔で頷いた。


「間違いございません。昨年暮れ、東方辺境伯軍はリーベン皇国と和議を結ぶと同時に既に極東から軍を引き上げ、ここガルド地方に向かっております。その数、おおよそ二十万」


 この会議に参列していた家臣団が一斉にざわめく。かつて南部諸州の反乱を鎮定するために帝都政権が大号令を発し、公王諸侯から掻き集めた兵の数も二十万。


 それを単独勢力で動員できるのは、帝国広しといえども「軍神」と謳われる東方辺境伯ユーリク・デイ・ベルガドットただ一人であろう。


『やはり、我々帝国諸侯鎮圧のためだろうか……』


『しかし、なぜ今になってだ?』


『理由を考えても始まらん。万が一に備え、多方面作戦を取り止め、プロイド本国に兵を集めるべきだ』


『リューベンの早期大規模徴兵再開と軍隊再建は、必須だな』


 困惑し、狼狽える家臣団。だが、頬骨をつくマクシリアが右手を振りかざすと、ピタリと止まる。


「ホフマン、急ぎ早馬を」


「どちらへ」


 マクシリアは、得意の笑みを封じたまま命じた。


「ルクセ公王領攻略中のジャライカと、フィラーネの両名に、急ぎ我の元へと参内せいと伝えよ」

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