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フィラーネ様は愛嬌が足らない!③

「──それで、これがその『親しみやすい格好』なわけ?」


 総督府から抜け出した私は、自分の姿を見下ろして深い溜息をついた。エリカから借りた春物のチュニックは、彼女の規格外な体格に合わせて作られているため、私が着るとまるで麻袋を被った子供のようだ。袖は三回まくってもまだ指先しか出ず、裾は膝下まである。


 隣を歩くエリカも簡素な平民の服に着替えているが、その鍛え上げられた長身と隠しきれない陽気なオーラで、ちっとも街に溶け込んでいない。むしろ目立っている。


「……これじゃあ、総督の威厳も何もないわね」


「だから、威厳を捨てに来たんですよ。ほら眉間のシワ、伸ばす!」


 エリカに背中をバシンと叩かれ、私は前のめりになりながら市場の雑踏へと足を踏み入れた。


 春の陽気に誘われてか、市場は活気に満ちていた。騒乱の傷跡はまだ所々に残っているものの、並べられた野菜や果物の彩りは、この国が確実に息を吹き返していることを示している。


「……パンの価格が先週比で一割上昇してるわね。供給網のどこかで滞りが?」


 つい職業病で野菜の価格表を睨みつけていると、エリカが私の顔を両手で挟んで強制的に視線を逸らさせた。


「ダーメーでーすーよー。今は『バリバリ仕事。する総督』じゃなくて、『今日の晩ごはんに悩むお姉さん』モードです。ほら、あそこの果物屋さんの前で、『まぁ、美味しそう!』って目を輝かせてください。はい、スタート!」


 エリカに背中を押され、私は果物屋の屋台の前にたたらを踏んで飛び出した。店主の恰幅の良い中年の女性が、怪訝そうにこちらを見る。


 私はエリカに言われた通りにしようと、精一杯口角を上げ、並んでいるイチゴを指差した。


「ま、まあ、美味しそうなイチゴ……だこと。これほどの色艶なら、糖度も期待できそうねぇ……」


 店主の女性がギョッとしたように後ずさる。……しまった。きっと今の自分の表情は、まるで毒見役が毒の有無を確認している時のそれに違いない。


 後ろのエリカも腹を抱えて笑っている。やっぱり無理よ、こんな演劇みたいな真似事!


「もう、見てられませんねぇ。おばちゃん、これ二つ頂戴!」


 エリカが割って入り、イチゴが入った小さい箱二つを硬貨と引き換えに受け取った。そして、その一個を私の顔前に突きつける。


「はい、これ食べてください! 難しい顔してないで、甘いもので脳みそを溶かすんです!」


「い、今ここで? 洗ってないのを? そんな行儀の悪いこと……」


「それが『愛嬌』なんですってば。ほら、早くしないと鮮度落ちますよ」


 エリカに急かされ、私は観念してイチゴを受け取った。こんな真っ昼間の往来で、一応貴族令嬢である私が、果物を人前で丸噛みするなんて。マクシリアが知ったら、どんな顔で笑うだろうか。


 ──ええい、ままよ!


 私はヤケクソ気味に、真っ赤なイチゴにかぶりつく。


「……っ!」


 柔らかな果肉が砕けた瞬間、想像以上の甘酸っぱい果汁が口の中いっぱいに弾けた。


 私は思わず目を丸くした。美味しい。ここ数ヶ月、私の食事といえば執務室の机で冷めたパンを齧るか、味が分からないままスープを流し込むだけだそれが燃料補給の全てだった。  


 けれど、これは違う。春の陽気をそのまま閉じ込めたような鮮烈な甘みと心地よい酸味。これが私が書類の上で管理していた南部の特産品の味なのか。


 気がつけば、私は夢中になって二つ目を口にしていた。口の端から果汁が垂れるのも気にならないほどに。


「……あはは! なんだいあんた、さっきとはえらい違いじゃないか」


 不意にかけられた声に我に返ると、目の前で店主の女性が呆れたような、それでいて温かい目で私を見ていた。彼女は腰に下げていた手ぬぐいを無造作に差し出してきた。


「ほら、拭きな。そんなに腹ペコだったのかい? 最初の顔があんまり怖いから、てっきり同業者の嫌がらせかと思ったよ」

 

 彼女はきっと私このことを、「腹を空かせた、愛想のない不器用な娘」程度と思っているのだろう。その気安い態度が、張り詰めていた私の神経を不思議なほど解きほぐした。


「あ、いえ、その……ありがとう、ございます。本当に、美味しいイチゴで……驚いてしまって」


 私は借りてきた猫のように小さくなりながら、手ぬぐいを受け取り、口元を拭った。自然と先ほどのような引きつった笑みではなく、安堵の混じった小さな笑みがこぼれたような気がする。


「だろう? いろいろあったけど、今年の南部は天気が良かったからね。あんたみたいな別嬪さんが美味しそうに食べてくれると、こっちも嬉しいねぇ。おまけだ、これも持っていきな」

 

 店主は大きなイチゴを一つ私の手に握らせてくれた。その手のひらの温かさと、飾らない言葉が胸の奥にじんわりと染みる。


 これが、エリカの言う愛嬌の成果なのだろうか。こんな無様な姿を晒した結果だとしても、民とこうして普通の言葉を交わせることが、こんなにも心地よいものだとは。


 私は嬉しさのあまり、隣にいるエリカに向かって、つい普段の調子を出してしまう。


「エリカ、このイチゴの流通を確認して。品質管理が素晴らしいわ。これなら帝都への輸出用としても十分にいけるわ」


「ちょっと、フィラーネ様ぁ。仕事モードに戻ってますって」


 何気ない会話。だけどその瞬間、店主の女性の動きが、ピタリと止まった。


「……フィラーネ? 帝都への、輸出? まさかアンタ、プロイドの……」


 サァッ、と音を立てるように、店主の顔から血の気が引いていく。


 先ほどまでの温かい陽だまりのような空気が、一瞬にして凍りつく。彼女の目から親愛の色が消え、代わりに浮かんだのは、底知れぬ恐怖と、そして憎しみだった。彼女はひったくるようにして、私から手ぬぐいを回収する。


「……代金はいただいたよ。とっとと行っておくれ」


「え……?」 


 吐き捨てるような低い声。そこに、さっきまでの気さくなおばさんの姿はない。理由は、何となく分かる……。分かるけど、せっかく通じ合えたと思ったのに、これじゃあ余りにも。


「待って、違うの。私はただ、この街の……」


「昼間から政務ほっぽり投げてお買い物とは、プロイドの総督サマは良いご身分ですなぁ!」


 ドスの効いた声が、市場の喧騒を切り裂いた。


 振り返ると、そこには薄汚れた旧リューベン公国の軍装を崩して着た男たちが、三、四人ほど立っていた。腰には軍刀こそないが、物々しい鉄パイプや短刀をぶら下げている。その目は鋭く、戦場から戻りきれなかった者特有の濁った光を宿していた。


「何者か!」


 エリカが私を庇うように前に出る。それを見て、先頭のリーダー男が下卑た笑みを浮かべる。


「何って、この市場の用心棒をさせて貰っている者ですよ。名はグエル。前職は旧リューベン近衛大尉にして、ドロシア殿下を護りきれなかった、無能な元護衛長です」

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