リューベン顛末
「マクシリァァァァ!!!」
イーフェン包囲軍から早馬で戻り、リューベン公館の廊下を歩くマクシリアを見つけた私は、彼の名を叫び、全力で──
「おぉ、フィラーネ? イーフェン包囲軍に参加してたんじゃ──、おぶっ!?」
握り拳をぶつけてやる。柔らかな頬を挟んだ骨の感触に少し拳を痛めたが、今はそんなの関係ない。
なんせ、本気でマクシリアを殺すつもりで殴るほど、私は怒っているからだ!!
側にいた護衛が、慌てて私を取り押さえようとするが、マクシリアがそれを止める。
「よいよい。宰相殿は少し昂っているご様子だ。ここでなんだ、別室で話そうではないか。な、フィラーネ?」
「……ええ、そうしましょう。貴方のその軽薄な口を、二度と開けないように縫い合わせて差し上げたいところですが」
私は、取り押さえようとした護衛の手を乱暴に振り払い、マクシリアを鋭く睨みつけた。私の拳が直撃した彼の頬は、早くも紫色に腫れ始めている。自業自得です。むしろ、これしきの痛みで済ませてやる自分が恨めしい。
促された個室へ入り、重厚な扉が閉まったその瞬間。私は椅子に座ることも拒み、マクシリアの机を渾身の力で叩きつける。
「マクシリア! 説明なさい! ボルン派の暴漢に襲われドロシアが亡くなったとはどういうことか! プロイドに降り、我が国の庇護下にあった彼を、なぜ見殺しにした!」
「ああ、それはお前の為だよ。フィラーネ」
マクシリアは悪びれる事なく、アッサリと自白したために、私の憎悪が空回りした。
「そ、そんな事は私は頼んでない!!」
「そうだとも。我が勝手にやったかとだからな。あのままでは、お前がドロシアとボルンの策にはまりそうだったものでな」
マクシリアは腫れた頬を厭う様子もなく、机に肘をついて私を見上げた。その瞳は、凍てついた湖のように静かで、底が見えない。
「そもそも、我の見立てでは、リューベンは先王が死ぬ前から貴族と平民の対立は限界を迎えておった。兄弟どちらが公王になっても、反対派閥による対立激化は必須。だからこそ、別の憎悪の対象が必要だった。それが我がプロイド公国と、お前だよフィラーネ」
マクシリアは淡々と、まるで明日の献立でも決めるかのような軽さで言葉を継ぐ。
「撤退抗戦で貴族らの厭戦が頂点に達したところで、先にプロイドに降っていたドロシアが彼らの助命嘆願する。かくして、ドロシアの支持層である平民と、改めて忠誠を誓った貴族らが合流し、新生リューベンは一致団結し、共通敵を見出すことで更なる結束を強める。その共通敵というのが、宗主国面するプロイドと、言葉巧みに国を掠め取った悪女フィラーネ。と、言ったところかな」
「……っ、ふざけないで!!」
私は再び机を叩いた。今度はマクシリアの目の前、彼の鼻先数センチのところまで顔を近づけ、怒りで震える声を絞り出す。
「私は、私は彼を護ると約束していたのよ! それを、貴方は………!」
「ハッハッハッ、お前がドロシアの思惑を承知の上で、その約束をしたのは知っているさ。その上で、リューベン統治の骨を砕こうとしてもな」
マクシリアは悠然と立ち上がり、リューベン首都の町を見下ろす。その背中はどこまでも傲慢で、しかし冷徹なまでの説得力に満ちている。
「だが、そんな面倒なことをしてどうする? お前がいくら身を粉にして働こうが、民はお前の事をドロシアを傀儡にして王様面する外国から来た女と蔑み、不満ばかり言うのは目に見えている。ドロシアにしても最初は素直だろうが、やがて周囲のお前への恨みを反動に求心力を高め、力をつけたなら、必ずやお前の首に『独立』という名の刃を突き立てたことだろう。むろん、お前はそれすら何とかするだろうが」
マクシリアはそっと、私の頬を撫でる。
「我は、そんな傷ついた姿は見たくない。まったく。護ってやりたくなるど、危ういやつだなお前は」
私は、思わずその手を振り払ってしまう。何も言わずに重厚な扉に手をかけ、私は背を向けたまま、静かに部屋を出た。パタン、と閉まった扉の音。
廊下に出た瞬間、肺が破れそうなほど深く、酸素を求めて呼吸をした。膝が笑い、視界がわずかに揺れる。壁に手をついて、ようやく自分を支えた。
殺意に等しい感情はまだ残っているが、マクシリアが本当に私の事を想ってとの事も理解できた。消化しきれない感情と、新しく投げ込まれた感情で、私の心はぐちゃぐちゃにかき乱されていた。
そんな中、確かなのはただ一つ。私はマクシリアに対して始めて、恐怖を感じた。まるでこの世の事柄が全て奴の掌で、あらかじめ決められた脚本通りに動いているかのような、抗いようのない虚無感。
『マクシリアの下にいるのは辛く、そして怖すぎる』
亡きドロシアの言葉を思い出し、やっとその意味を理解する。
壁をつたう指先が小刻みに震える。頬に残る、彼の指の温もりが、呪いのようにいつまでも消えない。この男は、私を「パートナー」としてではなく、いつまでも無垢なままで箱庭に飾っておきたい「人形」として見ているのではないか。そのために、周囲の邪魔なものはすべて焼き払ってしまえる。そんな狂気を含んだ執着に、息が詰まりそうだった。
だが。恐怖に呑み込まれそうな心を、無理やり怒りで上書きする。
そうだ。帝都を追放されたあの時、私はもう何者の人形にもならないと誓った筈だ。私は誰にも利用されないし、誰の支配下にも入らない。
例えそれが、真の真心で私を慈しむく、この世で最強の怪物の手であってもだ。
マクシリアが私を「箱庭の人形」として守りたいというのなら、私はその箱庭を土足で踏み荒らし、彼が最も嫌う「泥にまみれて傷つく姿」を晒してでも、私の意志を貫いてやる。
私は壁を強く突き、自分の足で真っ直ぐに立ち上がり、その後イーフェン包囲軍の陣中へと戻るべく馬に乗った。
その道中であった。イーフェン要塞に立て籠もる、ボルン一派が降伏開城したとの報せが届いたのは。
────
「私、あんなに頑張ったのに、なんて締まらない幕引きなのかしら……」
揺れる船上で紅茶を嗜みながら、私は呟く。
結局、私が提案した避難民による玉砕攻撃は実施されなかった。ボルンの戦意喪失はまたたく間に他者へと伝染し、抗戦を煽る私もこうして逃亡したもんだから、今頃は降伏手続きでもしてるでしょうね。
決定打になったドロシアの死。恐らく、それは甘ちゃんのフィラーネじゃなく、マクシリアの差配でしょうね。あの男は、お父様が同格以上と警戒する数少ない敵。お互いに会った事は無いけど、ホント恐ろしい男……。
しかし、それにしても。
「まったく。このまま帰ったら、国の笑いものよ!」
紅茶をがぶ飲みし、空になったカップを突き出すと、傍らに控えていた護衛のラーシャが、呆れたような、それでいて手慣れた動作でポットを傾けた。琥珀色の液体が注がれる優雅な音だけが、私の苛立ちと不釣り合いに響く。
「そう自分を責めず、アニスお嬢様。今回の一件で、リューベン国民はプロイドに対する不信感を増大させ、必ずや統治に支障をきたすことでしょう。……それに、まだ『完全な敗北』と決まったわけではありませんよ」
ラーシャはいつもの無表情で、甘い香りの湯気を立てるカップを私の手元に押し戻した。
「敗北じゃないなら何なのよ! ボルンは弟が死んだくらいで腑抜けになって開城、私は尻尾を巻いて逃亡。ボルニア本国にいるお父様に合わせる顔がないわ!」
「それでこちらが、そのボルニア王陛下からの次の指令書になります」
「ほら、やっぱりそうじゃない! 絶対、怒ってるんじゃない! 絶対、失敗は挽回しろとかいうやつじゃない!」
私はラーシャが差し出した指令書の手紙を奪い取り、そして恐る恐る封蝋を割り、震える視線で手紙の文字を追う。きっと罵詈雑言と、もっと無茶な内容が書いているに違いない。私は覚悟を決めて、最初の行を読み──そして、瞬きをした。
「……あれ? …………ふ、ふふっ……! お父様ったら、人使いが荒いんだから!」
読み進めるうちに、私の口元はどうしようもなく吊り上がっていった。胸の奥で燻っていた惨めな敗北感が、どす黒く、けれど甘美な高揚感へと塗り変わっていく。
「あら、お嬢様。ずいぶんと嬉しそうなお顔をなさる」
「そりゃあ、そうですとも。こんな楽しそうなパーティーなら、いくらでも大歓迎よ」
私は手紙を丁寧に折りたたみ、懐へとしまい込んだ。脳裏に浮かぶのは、あの憎きフィラーネの涼しい顔と、底知れぬ怪物マクシリアの射抜くような瞳。ええ、怖かったわよ。あの女と男の完璧すぎる盤面支配には震え上がったわ。
でも、私アニス・ボルニアは可愛さはもちろん、賢さでも一番じゃなきゃ行けないの。
甲板に出た私は、海風に髪をなびかせ、遠ざかるリューベンの大地を振り返り、不敵に笑う。
「首を洗って待ってなさい、フィラーネ、マクシリア。次こそは、このアニス・ボルニアが、貴方たちお邪魔者を完膚なきまで潰してあげるから……!」




