非道なる者たち③
と、言う訳で私の天才的な策を披露すべく、ボルンに言って私の部屋に家臣団を集めさせた。
「……避難民を囮にした、全軍による奇襲攻撃だと」
私の提案を聞いたボルンは怪訝な表情を浮かべる。
「そ、そんなことをしなくても、ボルニアの救援を待てばいいのではないか」
一人の家臣が、震える声で実現しない希望的観測を口にする。私は思わず吊り上がった口角を扇子の影で隠し、すすり泣くように喋る。
「……それは不可能なのです。実は先ほど、父からの伝書鳩が届きました。そこには既に艦隊出撃の準備を終えたが、想定外の大時化によって、到着まで一ヶ月かかると書いておりました。飢餓に耐え、崇高な戦いを続ける、誇りあるリューベンの戦士たちに食糧を届ける事ができない。女神はなぜ我々を見放したのか。お父様の手紙には、悔しさに涙で紙を濡らしながら、そう綴っておられました」
私はシルクのハンカチをそっと目元に押し当て、震える肩を演技で揺らした。顔を伏せているのは、笑いを堪えるため。
絶望したのか感動したのか、男たちからすすり泣く声が聞こえるけど嘘よ、大嘘。伝書鳩なんて一羽も来ていない。そもそも、大時化で鳩が飛べるはずないじゃない。でも、絶望に打ちひしがれた馬鹿な男たちを動かすには、これくらいの悲劇が必要なの。
私はゆっくりと顔を上げ、潤んだ瞳で彼らを見つめた。
「此度の状況は、全部私めの責任です。弥縫策に走り、良かれと民を迎えいれて、皆様を追い込んだのも私。本来なら、万死に値する失策。なんどもなんども自決を考えましたが、皆様を見捨てて一人で天に召されることなど、これこそ無責任の極み! たとえこの身が泥にまみれようとも、皆様を救い出す道標となることこそが、私に課せられた最後の使命だと悟ったのですわ!」
私は力強く言い放ち、先ほど弱音を吐いた家臣の手をぎゅっと握りしめた。私の瞳からこぼれ落ちた一粒の涙を見て、ジジイの顔が「おお、聖女様……!」と感激に打ち震える。ちょろいわね。
「我々に手元にある食糧は一週間分。救援を待っていても、飢餓地獄は必定! ならば、目の前のプロイド軍より奪うしか、我々が生き残れる手段は無いのですわ!」
私は地図の上に、扇子で鮮やかな弧を描いた。
「明日の夜、絶望が極限に達した瞬間に城門を開放します。そして十万の民に、私がこう告げるのです。『プロイドの陣営には、我々から奪い去ったパンが、山のように積まれている。私聖女アニスの加護のもと、今こそ立ち上がれ、今こそ奪い返せ!』……とね」
会議室がしんと静まり返る。一人の家臣が、ひきつった声で呟いた。
「……それは、武器も持たぬ民を、プロイドの戦列の中に放り込むということか?」
「そうです。非道なのは承知、しかし我々一万の兵だけで、優に三万を越える敵軍に勝つのは不可能。しかし、十万の避難民から戦える男女を選り優れば、最低でも五万程度は揃えられます。それが、夜間に一斉に飛びかかるとなれば、如何にプロイド軍と言えど混乱は必至。その最中を、殿下率いる一万の精鋭が本陣を貫き、壊滅させるのです。そしてもちろん、この作戦の肝となる避難民の先導。それはこのアニス・ボルニアが果たします!」
「い、いけません! 貴女のような尊いお方を、そのような危険な場所に立たせるわけには……!」
その一人の家臣の言葉に、私はさらに儚げな、今にも消えてしまいそうな微笑みを浮かべてみせた。
「いいえ。民草が求めているのは、言葉だけの救いではありません。絶望の淵にいる彼らを動かすのは、彼らが信じる『聖女』が共に血を流すという、たった一つの奇跡。……私が先頭に立ち、門を開くのです。彼らの怒りを、飢えを、プロイド軍へと叩きつけるための、導火線に私がなりましょう」
私の自己犠牲という極上のスパイスに、家臣たちは言葉を失い、次々と膝をついた。部屋中に「おお……」「アニス様……!」という咽び泣きが充満する。
ああ、滑稽。本当に滑稽だわ! 私が最前線で戦う? そんなわけないじゃない。門を開けて、飢え狂った有象無象のゴミクズが雪崩れ出し、プロイド軍の戦列とぶつかり合って阿鼻叫喚の地獄絵図が始まったその瞬間。私はドサクサに紛れて、地下通路から秘密裏に港へ向かうわ。そこで待機している住民に紛れ込ませた私の護衛とともに、隠し船でオサラバさせて頂くわ。
後はプロイド軍を打ち破るもよし、避難民が虐殺されのもよし。どちらにしても、最終的にリューベンはプロイドに併合されるだろうが、この一戦によって両者には、癒し難く、素敵な『恨みの傷』ができる。
それは、プロイドがこの地を治める際、永遠に疼き、膿み続ける毒となる。……あぁ、私ってばなんて賢くて、なんて性格が悪いのかしら!
「……いや。もう、終わりにしよう」
陶酔に浸っていた私の耳に、冷や水を浴びせかけるような声が響いた。声の主はボルン。今まで私の「聖女ごっこ」を黙って見ていた、あの実直(だけが取り柄)な男が、初めて私を否定するように真っ向から見据えていた。
あら、何かしら。この期に及んで正義漢ぶるつもり? それとも、私の「自己犠牲」に感動しすぎて、私を危険に晒したくないとでも言うのかしら。
「皆、下がれ。……聖女様と、二人きりで話がしたい」
ボルンの低く、地這うような声に、家臣たちが一人、また一人と部屋を去っていく。最後の一人が扉を閉めた瞬間、部屋を支配していた熱狂的な空気は消え失せ、代わりに墓場のような静寂が降りてきた。
「……ボルン様? どういうことでしょうか。他に道がないことは、皆様も……」
「アニス殿。もう、いいんだ」
ボルンが、私の言葉を遮った。彼はゆっくりと椅子から立ち上がり、窓の外。絶望が渦巻く要塞の夜景へと視線を投げた。
「君が聖女でも何でもないことくらい、最初から分かっていたさ。ボルニアの『毒蛇』の娘が、慈悲の心でこんな辺境に来るはずがない。君はこの地を泥沼にし、プロイドを蝕む『毒』として送り込まれた。……そうだろう?」
その言葉に、心臓がわずかに跳ねる。
……あら、この男。私が思っていたより、ずっと「賢かった」じゃない。でも、だったらどうして今まで私の人形を演じていたの?
「気づいていながら、私の手を取ったのは貴方よ、ボルン様。私の毒が、そんなに欲しかったのぉ?」
もう、本性を隠す必要もなくなっので、挑発気味に言ってやったが、ボルンは自嘲で返してくる。
「あぁ、そうだ。君の毒を利用して、私はこの地の醜い恨みをすべて一身に背負って死ぬつもりだった。私が非道な主君となり民草を苦しめ、弟が慈悲を与えることで新たなる希望になる。……かくして、父が死ぬ前から致命的だった国内のあらゆる内部対立は、解消される筈だった。一時プロイドの傘下に降ろうとも、弟とその子孫達によってリューベン国民は力強く生き、いずれは復興する筈、だった……!」
ボルンの手が、小刻みに震えている。ああ、なるほどね。要するに、自分はゴミ箱になって、プロイド側に寝返らせた弟に「良いとこ取り」をさせる計画だったわけ。反乱の指導者が自滅し、プロイドに可愛がられている弟が、救世主として現れ、求心力を高める……。雑だけど、筋書きとしては悪くないわ。
ボルンが懐から、くしゃくしゃになった一通の書状を取り出した。そこには、プロイド公家の印が押されている。
「……けれど、先ほどマクシリア陛下から秘密裏に報せが届いた」
ボルンの声から、すべての色彩が消え失せた。 空っぽの、ただの抜け殻のような声。
「この国の……、私の最後の希望。そのドロシアが、死んだ」




