クズ男よ、さらば
「それでなフィラーネ、君の方から婚約を破棄して欲しいんだが、良いよな?」
「……は?」
いつもの業務通り私は補佐官としてガルド帝国の第二皇子兼内務卿で私フィラーネ・ランバスタ公爵令嬢の婚約者でもあるヴィルム殿下の執務室で政務の手伝いをしていたら、さらっとトンデモない発言を放ってきた。
「……婚約破棄、しかもそれを私の方からって。とりあえず理由を聞かせて下さい、ヴィルム様」
「うむ、実は不慮な出来事である女と関係を持ってしまってな。それの責任を取らねばならんのだよ」
なに頼もしい顔で堂々と浮気を曝露しているんだコイツは。と、突っ込みたいの我慢してまずは冷静に話を聞いてみた。
どうやらその浮気相手というのは近年経済発展が目覚ましいボルニアの姫君らしく、ヴィルムが特使としてボルニアの建国記念のパーティーに参加した際、彼女と出会うや否や運命を感じてひと目で互いに惹かれ合い、そのままへ寝室へ、という流れだそうだ。
ここだけでも頭が痛いのだが、さらに問題なのが彼女との間に子供が出来てしまったということだ。
「辺境国の姫君とはいえ王族は王族。男として、世界に冠たる帝族の一人として責任をとらん訳にはいかないだろう?」
「……色々言いたいことは置いといて、婚約破棄したい理由は分かりました」
「うむ、では婚約破棄を文章として残したいからコチラにサインを」
「ちょっとお待ち下さい殿下。私はまだ納得しておりませんよ。もう一つ、私から婚約破棄する形にする理由も教えて下さい」
準備した文章にも私が私の浮気が原因で婚約破棄した文言が書いてあるし。今のところ100%ヴィルムに非があるのに何を考えているのかしら、このバカ皇子は?
「? だって俺の浮気で婚約破棄など聞こえが悪いだろう。世界に冠たるローデリア一族が後ろ指を刺されることなどあってはならんのだ。そこでお前が自身の浮気が原因で婚約破棄を懇願し、俺が寛大に受け入れた、という形にしたいのだよ。安心しろ、公爵家に咎が及ばないよう父上には事情を話しているからな」
……本気で言っているのかしらこの子は? どこまで自己中になればこんな考えと態度が出てくるのだろうか。
「もちろん俺も悪いと思っている。だからこの条件を飲んでくれれば、お前の希望を一つ叶えてやろう」
「……随分と上から目線ですね。まず講釈を垂れる前に言うことがあったんじゃないんですか」
「? 建設的な交渉を進めたつもりだが」
「謝罪ですよ! しゃ、ざ、い! 浮気したことに対してまず謝って下さいよ。話はそれからです」
「ふっ、何も馬鹿なことを。帝族は安易に頭を垂れんし、なによりボルニア王室との婚姻はこの国のため、ひいてはお前のためでもあるんだぞ?」
「私のため……ですと」
浮気までしておいて悪びれるどころか恩まで着せてくるなんて……、どんだけ面の皮が厚いんだよ。
「ボルニア公王は私との婚約に際し、我が国一年分の税収に匹敵する多額の持参金を用意してくれるだけではなく、国内価格が高騰する食糧を中心に多くの輸出を約束してくれている。この意味がわかるか? 貴様がセコセコと働いてどうしようも無かった我が国の国難が、私の婚姻一つで解決するんだよ」
「お、お待ち下さいヴィルム殿下! ボルニアとの経済協力なんて私は聞いていないですし、そもそも帝国内務省に話を通しているんですか!?」
「ふん、大領主連中とつるんで食糧の価格を吊り上げては帝都臣民の生活を苦しめる貴様らに話しても反対するに決まっているだろう。この件はすでに婚姻とあわせ陛下に上奏を済ませ認可を得ている。今さら騒いでも、もうどうにもならん」
「なんて事を……」
まさか帝国のアキレス腱を切りかねい政策を独断で進めるとは………。
確かに帝都での食糧価格はここ十数年高止まりしているし、そうなるように私と部下たちで意図的に操作している。
だけど帝都臣民を苦しめるためにそうしている訳じゃない。大陸全土で三十年も冷害が続き、食糧生産高が下落の一途を辿っているからだ。いわば生産者と消費者が互いに妥協可能な価格を調整しているに過ぎない。
他国から安価な食糧を輸入したり強権を行使して安値を強要すればそりゃあ一時的に食糧価格は下がるかもしれない。だけどそれは大規模農業を生業とする地方大領主の不信を抱き、食糧の出し渋りを招く。そうなれば中央と地方は完全に分離する。事実、今も多くの国々がこの綱渡りに失敗して飢餓を発生させているのだ。
それに帝国は大陸最大の人口を誇る国家であり、他国の輸入食糧だけで臣民全体を賄うのは不可能。
(つまり間違いなく善意を装ったボルニア公王の策略。なんとしてもヴィルム殿下を説得して撤回させねば)
しかしそんな私の訴えを突っぱねるような冷酷な態度で彼は言った。
「と、言うわけだフィラーネ。君はもういらんのだよ。私の補佐官として、女としてもな」
そう言いながらヴィルムは私に侮蔑の視線を向ける。そこには一切の後ろめたさや憐れみなど無く、むしろ憎らしい人間に対して勝利や優越感が込められている。
(あぁ、そういうことか)
私は説得が無理なことを悟る。そもそもヴィルムは私のことを女として興味を失っただけでは無く、憎悪の対象と認識しているんだろう。
帝国では代々、皇帝の代替わりと同時に側近らも新皇帝の兄弟や従兄弟に刷新される慣習がある。
なので私と彼の婚約は、帝位を継げない第二皇子であるヴィルムがランバスタ公爵家に婿入りさせ次代の帝政中枢を担うに値する人物にするためと言っていい。
ヴィルム本人は公爵家を継ぐことで威光を保てるし、皇太子殿下が皇帝に即位したら第二皇子であるヴィルムは慣例に従い帝国宰相に就任することになるから、公爵家としても家格が高まることになる。
だけどヴィルムはお世辞にも帝国中枢に相応しい人物とは言えない。自らの立場を忘れ貴賤関係なく多くの女性に手を出すだらしなさ。政務にしても部下達から上がってくる報告書をろくに読まずに認可してしまう適当さ。
そんなだらしないヴィルムの性格に漬け込んで、過去には帝国の最高機密を盗み出そうとし他国の女間者や、不正な書類を作成して国費を横領しようとした悪徳役人が何人も近寄ってきたものだ。
それに私は面倒ながらも彼の評判を落とさないよう人知れずに処理してきた。それもこれも私達の結婚は二人だけのものでは無く、両家やその周り、大げさに言えば国を巻き込んだ一大事業であったからだ。だから私はどんな辛いことがあっても、不条理なことがあっても耐えてきた。いつかヴィルムも心変わりすることを願って公私ともに尽くしてきたのに。
だけどヴィルムには何も届いていなかったんだ。私のことを自分の楽しみを邪魔し、口うるさく仕事をさせようとする面倒くさい女としか思ってなかったんだ。
人が自分に何かをしてくれるのは当然と断じ、自分からは決して何もしない。それどころか気に食わない人間の足を掬うのには精を出す下種。それがヴィルムという男の本性なのだ。
身体から血の気が引いていき、代わりに溶岩でも流れているかのように全身がチリチリと熱くなっていく。抑え難き衝動とどす黒い感情が腹の底から湧き上がる。
それに身を委ねてヴィルムに対してありとあらゆる暴力行為に興じられたらどんなに幸せだろうかと思った。が、私は寸前のところで耐えた。
理性が勝ったからではない、私の中にある激情が刹那的な破壊衝動を上まわったからだ。
「さぁ、フィラーネ。状況が理解できたなら、この書類にサインしろ。これ以上、強情を張るなら家族がどうなってもしらんぞ?」
「……帝族とあろうお方が家族まで人質にとるんですね」
私が睨むとヴィルムは鼻で笑う。
「もっとも聡明なるランバスタ公が血の繋がりのない娘のために公爵家を犠牲にするわけがないか」
「……本当にクズですね。貴方は」
「? 何か言ったか」
これ以上話しても無駄だと悟ると同時に、これまでにしがらみから吹っ切れた私は婚約破棄の書類にさっさとサインし、ある決意とともに一切の未練を捨て、その場を後にした。




