8-7 想い
身勝手なのは、自分の方かもしれないと、サフィーは思った。サフィーはルナスの意見も聞かず、勝手に彼の命を腕の中に収めようとしているのだ。
だが、自分が身勝手でも、他人からどう思われようと、なんでもよかった。彼に明日があるのであれば、どうでも良かった。
「彼と、一緒に、生きたいのです」
声が、震える。視界が、滲む。そのまま、サフィーは顔を覆い、その場に座り込んだ。こんな大勢の前で泣くなど、はじめてのことだった。どうしていいかも、分からない、サフィーはその場で縮こまり、肩を震わせるしかなかった。
サフィーは気づく。平和を心の底から望んでいた。それは、本当だ。だが、サフィーの本当に欲しいものは、国が平和になっただけでは得られない。平和がすべてを与えてくれるわけではないのだと。
「もういいでしょう。どうだっていいでしょう。もう私にできることはないのです。星聖女としてできることは、もう私にはきっとないです。
これが、星聖女としてあるまじき行為なら、この国から追い出してくれたっていいです。世界の端の端に追いやってくれたっていいです。彼と一緒なら、どこに行ったって構いません。
だから、だから、せめて、彼を、ルナスを、私から、奪わないで」
きっと自分は本物の星聖女ではないと、そのときサフィーは心の底から思った。自分の役目はもうないと口にしてしまった。そして、何せ、こんな強欲なのだ。そんな女が星聖女などと、サフィーも我ながら呆れてしまった。
しかし、そうは思っても、ルナスはサフィーがサフィーとしてふるまえる唯一の相手であった。なぜなら、彼はサフィーにこうであれと求めたことはなかったためだ。
星聖女のサフィー、領主の娘のサフィー、かわいそうなサフィー、ルナスはそれらを聞いても尚その型に嵌めずサフィーを見てくれた。それが、どれほど嬉しかったか。それで、どれだけ楽になったことか。そんな安寧を与えてくれたルナスを、サフィーは失いたくなかった。
いっそのこと、ルナスが生きてくれるというのなら、彼に嫌われたってサフィーは構わない。
それが、もし強欲なサフィーへの天罰だというのなら甘んじて受け入れよう。
彼が、ルナスが生きてくれるのだというのならなんでもいい。ただそれだけだった。
嗚咽が零れそうになった瞬間、誰かが顔を覆うサフィーの腕を引いた。
「サフィー」
サフィーの細い体躯を誰かが受け止めた。その温もりを、サフィーは知っている。
「あ」
「ああ、もう――台無しですよ」
そう言って、リュシオンは――ルナスは震える小さな体を強く抱きしめた。少し痛いくらいに。
でも、不思議とその痛みに、安堵を覚える。だから、その痛みを失わないよう、自分の抱擁する熱が軽々と星々に奪われないよう、サフィーもまた彼の背中に腕を回した。
「ねえ、ねえ、ルナス。いなくならないで。あなたに嫌われたっていいわ。でも、いなくならないで」
癇癪を起こす子供のようだった。サフィーは、子供のころから、大人しかった。声をあげて泣くことなど、1度たりともなかった。
心の中で、冷静なサフィーが「みっともない」と告げる。18にもなって、みっともない。でも、そんなことどうだっていいと。ルナスがここに留まってくれるなら、いくらでも癇癪を起してやろうと思う。
ルナスは、泣きじゃくるサフィーの背中を撫でていた。特に声をかけるわけでもなく、涙を拭おうともしなかった。ただ泣きじゃくるまだあどけなさを隠しきれない彼女をその腕の中に収めていた。
少しして、ルナスは顔を上げてある人物へと視線を向けた。
「グレイモント殿下」
その声は、やけにこの空間に通る声だった。だが、だからといって、感情任せのものではなく、けれど無機質さもなかった。
「私はこの国にを攻める口実を作るために、ハーベリス王国の土地を踏みました。そして、その私を彼女は阻止した――それは、他の誰でもない、私が一番よく知っています。サフィーリア・クリスタスは最初から、ちゃんと、星聖女でした」
サフィーは、そのとき気づいた。ルナスは、最初から知っていたのだ。自分がハーベリス王国を食らう悪であることを。そして、それらをどんな形であれ抑え込んだのがサフィーだということを。だからこそ、ルナスという龍は誰よりも、何よりも、おそらくはサフィーよりも、彼女が「星聖女である」ことを信じていた。分かっていたのだ。
ずるい人だと、サフィーは本気で思った。だが、それらもルナスであった。そして、それらが龍であった。
「ということで、賭けは、私の勝ちでよろしいですか。グレイモント殿下」
グレイモントはわずかに顔をしかめて話を聞いていたものの、最後まで聞き届けると隠すこともなく溜息を零した。
「つまり、この勝負――最初からあなたの勝ちで決まっていたと」
「そうかもしれません――元より、負け戦はしない質なので」
「私が愚かだったよ」と、グレイモントは忌々しそうに呟いた。つまりは、最初からルナスの手に転がされていたということを、彼は理解したのだろう。
そうして、ルナスは次にルシアンへと視線を向けた。ルシアンは、次に自分へと矛先が向くであろうことを察していたかのように、たじろぐこともなくただじっとその緑で応える。故に、ルナスも揺るがなかった。
「ルシアン国王殿下、インダロス帝国の褒美の件、まだもらっていませんでしたね――私は褒美にこの少女、星聖女サフィーリア・クリスタスを求めます」
淀みなく紡がれた言葉に、ルシアンは小さく苦笑を漏らした。
「分かった」
穏やかな様子でルシアンは頷く。それはまるで、ルナスが星聖女を求めていることを最初から分かっていたかのようだった。少し間を置き、ルシアンは目を伏せ「しかし――」と口を開く。ルシアンの視線は、ルナスの腕の中のサフィーへと向いた。
「彼女は、我が国の守護石である星の石が選んだ星聖女だ。今まで、彼女に苦しい想いを強いてきた私が言うべきことでもないのだろうが――サフィーリア・クリスタスを苦しめる真似はしないことを約束してくれ」
「御意に」
ルナスは頷いた。あまりにも、あっさりと。龍にとっての約束は重いというのに、ルナスには迷いはなかった。
ルナスは、サフィーの背を撫でる。
「サフィー、あなたがやること成すこと、本当に私の想定外ばかりですよ」
「……やりたくて、やっているわけじゃないもの」
「でしょうね」
サフィーはぐずぐずと鼻声交じりに答えた。そもそも、やること成すこと想定外なのはルナスの方だろうと、サフィーは思う。
だが、ルナスを見上げれば、彼はずいぶんと穏やかな表情をしていた。そこに、呆れや失望はない。ルナスは見上げたサフィーの頭を優しく撫でる。
「少しの間、お別れです」
そう言ってルナスは、サフィーの手のひらに何か小さな箱を乗せた。ぎょっとして、サフィーがそちらに視線を向ければ、それは深い紺色のベルベット生地の張られた手に収まるほどの箱だった。品のある柔らかな光沢を放っているその箱には、真っ白いサテン織のリボンが巻かれている。指輪をいれるには少し大きく、ネックレスを入れるには長さがいくらか足りないような気がする。
その箱の中身が想像もつかず、サフィーはただぽかんとその箱を見つめていた。ルナスがサフィーの濡れた頬を指で拭う。サフィーはその時、自分の涙がぴったりと止まったことに気付いた。そして、そのことに目を細めたルナスがいることにも、サフィーは気づいた。




