7-8 星の選定の先
その言葉に、サフィーは目を丸めた。
ああ、そうか。そういうことだったのか。サフィーとグレイモントの性根には根本的なずれがある。だが、そのずれを嚙み合わせるために、話し合うこと。それが最初からできていれば、このずれというものはここまで開かなかったのかもしれないと、サフィーは今更になって気がついた。
しかし、今更だった。最初から、できない関係だったのだ。それがサフィーの辿り着いた答えだ。
だから、せめてもサフィーはグレイモントへと頭を下げた。その決断に、敬意をこめた。
かつかつ、足音が聞こえる。それは、サフィーの前で止まった。サフィーが、顔を上げると、そこにはリュシオンがいた。
「決まったようですね」
ルクスラと比べると、リュシオンはずっと冷たい龍なのだとサフィーは知った。穏やかな陽だまりのような振る舞いをするルクスラと違って、リュシオンの声に抑揚はなく淡々と熱もない。その様子を見ている限り、リュシオンはルナスよりもずっと冷徹で、おそろしい龍なのだろうと思った。それと同時に、サフィーが求めていた「ルナス」という像に無意識に彼を縛り付けていたかもしれないであろうことを考えるとサフィーは少し悲しくなった。
リュシオンは金色の瞳を細める。
「あなたは星聖女だ。平和の象徴であるようにと、蒼石が選んだはずの星聖女だ。であるならば、この勝負の行く末が本当に平和をもたらすのか。その結果が、何よりも証明になるでしょう」
サフィーは、わずかに目を見張った。
ああ――ああ。そうか。サフィーは、その黒いまつ毛を震わせる。そして、直前の自分を叱咤したくなった。疑ってはいけなかった。何よりも自分が、彼を疑ってはいけなかったのだ。自分の前にいたルナスという龍が、嘘だったかもしれないなどと、疑ってはいけなかった。
確かに、彼は、今も、そこにいるのだから。
サフィーは、鼻から流れる血を腕で拭った。そして、問いかける。
「ルクスラ殿下、リュシオン殿下――少々、お時間いただけませんか」
「なぜ」
反応したのはルクスラだった。サフィーは、臆することなく続ける。
「鼻血を、止めてから、挑みたいのです」
それに、ルクスラは「おや」と目を丸めた。
「これは、これは――こちらの配慮が行き届かなくて申し訳ない」
星聖女の後ろ姿を見送ったグレイモントは、隣を見やった。そして、眉をひそめると静かに告げる。
「縄を解け」
「ですが――」
「いい、解け」
その言葉に兵は頷き、納得のいかないような表情を浮かべながらも、その人物の縄を大人しく解く。
普通であれば、王族に拳を振るったのだ。即処刑である。
「驚いたな」
「ああ、俺も驚いているよ。バルド」
そのためか、縄を解かれたバルドリックは想定外だと言わんばかりに、グレイモントを見やった。
おそらく、数刻前の自分だったら許せなかっただろう。そのままお縄になるバルドリックの後ろ姿を、ざまあみろと見送っていたかもしれない。何せ、この騎士は、主である自分を殴ったのだ。それは、決して簡単に許していいものではないとは、分かっていた。
ただ、それ以上に、それ以上に――。
(俺が浅慮だったな)
あの聖女の言葉を聞いて、自分の視野の狭さを知った。確かに、恐ろしいと言われ続けた龍が、インダロス帝国を退けた龍が、たった鎖1本、手錠1つで大人しくしている方がおかしい。ただ、あのときの自分は気づかなかった。目の前にある脅威を、悪を払拭することしか考えていなかったのだ。そればかりに囚われすぎた。
そして、何よりも、あのサフィーリアという聖女をあまりにも見下しすぎていた。
グレイモントは、てっきりあの聖女が「かわいそう」ただそれだけで、助けたのだとばかり思っていた。女というのは、そういった一時の感情に囚われる生き物だとばかり思っていたということもある。しかし、それらはすべて、思い込みだった。囚われていたのは自分の方だったのだと知る。
「バルド、お前、これからどうする」
ひりひりと痛む頬を指で撫でたグレイモントは、バルドリックを見た。
「王都からは離れようと思ってる」
「なるほど」
主人に牙を剥いた以上、一族の恥も甚だしいと言われることはバルドリックも分かっていたのだろう。だが、彼はその名を背負ってでも、グレイモントに手を下したのだ。おそらくは、己の判断する正しさを信じたのだろうということは、長年の付き合いで何となくは悟った。
「お前はどうする」
「そうだな――」
グレイモントは、バルドリックの隣に腰を下ろした。
「星聖女に頭を下げるのが、何よりも最優先だ。彼女から平手をもらう覚悟で」
そうして小さく口角を吊り上げたグレイモントに、バルドリックはからからと笑った。
「違いない」
彼女の導いた結果が、例え敗北だろうとそれは変わらない。
(とはいえ――)
グレイモントは天井を仰いだ。視線の先には星々の紡いだ神話の一節を描いた天井画がある。
相手は、龍だ。彼らに敗したとき、いったい何を求められるのか。ただ、おそらくは、この国にとって大きな負債となることだろう。自分が蒔いた種だ、この国の民を苦しめることは避けなければならない。
(けれど、できるのか。そんなことが、自分に――多くを見誤ってきた自分に)
グレイモントに今できること、それは何もない。故に、せめても姿勢を正し、眉間の前に指を運んだ。
なんと滑稽なのだろうと、自分でも思う。ただ、何もしないでそこに立ち尽くすよりははるかにましなような気がした。
「――星々よ、どうか星聖女サフィーリア・クリスタスに勝利をお与えください」




