7-3 罠
がちゃり、と使用人が扉を開ける。サフィーはすっと背筋を伸ばし、そして目を瞬かせた。
この部屋は、今まで面会に使われてきたどの部屋よりも質素な造りのものだった。壁画や金色の装飾は施されているものの、量は少ない。家具は深いダークブラウンで統一されており、普段面会に使われているサロンとはどこか違う雰囲気があった。
グレイモントはその部屋の奥の一際大きな窓の外を眺めていた。
違和感を覚えつつもサフィーは部屋の中へと進み、ドレスの端をつまむと頭を下げた。
「お約束の時刻に遅れまして、誠に申し訳ございません。お待たせいたしましたこと、心よりお詫び申し上げます」
その言葉にグレイモントは、サフィーの方を向いた。
そして、ただ一言。「ああ」とだけ頷いた。
違和感。些細な違和感をサフィーは感じていた。
「サフィーリア・クリスタス、今日は君に話がある」
何故だろう。何か胸騒ぎがする。サフィーは、姿勢を正しグレイモントに向き直った。
彼は、近くにいた使用人から1枚の紙を受け取ると、ため息を零す。
「誠に残念だよ、サフィーリア嬢。君の星聖女としての働きは、目を見張るものがあったのだが」
そう言って、グレイモントはサフィーに1枚の紙を見せつけた。
「君が占星術者たちを脅したという証言が出た」
脅した。
グレイモントの発言にサフィーは、目を瞬かせた。どういうことか、理解できずグレイモントの差し出した書面を目で追う。
確かに、そこにはサフィーリア・クリスタスが石占術者を脅迫したという旨の証言が書かれている。
(私が、脅した)
サフィーは、グレイモントの言葉を脳内で復唱する。サフィーが石占術師を脅迫したと彼は言っているのだ。あまりにも身に覚えがないため、サフィーはその言葉を理解し飲み込むのにだいぶ時間を要した。
それが、悪手だった。
「通りで、星の石が違う反応を示したはずだ――偽物の星聖女。まさか、その噂が本当だったとは」
「わ、私は――」
「石占術師は、家族を人質に取られ、サフィーリア嬢を星聖女に選出するように脅されたと証言している」
「わ、私は、そんなことしません!」
サフィーは、悲鳴じみた否定の声を上げた。しかし、グレイモントはそんな彼女を冷ややかな目で見つめ、続けた。
「石占術が行われている間は、石占術師しかその光景を見られない。だから、彼らはそれ故に『強く点滅』したと記録したのだ。過去の星聖女と違う輝きを記録することで、君が星聖女だと皆に知らせようとしたのだろう。私も、そのことに早く気付くべきだった」
そんなことが――サフィーは口を結んだ。
星の石の観測記録にない輝き。その記録に類を見ない以上、サフィーが特異な存在であること、それは火を見るよりも明らかだ。否定する材料が、あまりにも足りなかった。自分が、星聖女である証明などを、サフィーは持ち合わせていなかった。
唯一の証明である星の石の輝きが嘘だと言うのなら、もう手立てはない。
「私は――」
「お言葉ですが、殿下、お嬢様は脅迫などしておりません。私が証明します」
すると、近くにいたアリシアが割って入った。サフィーを後方へ隠すようにして、グレイモントの前に立つ。しかし、グレイモントはわずかに顔をしかめたものの、鼻で笑うように呟いた。
「身内の発言など誰が信じるものか」
グレイモントの指摘の通り、アリシアはサフィーの使用人だ。証言としては弱い。
どうするのが最善か。サフィーの頭の仲はぐるぐると、渦巻いていた。
(せめても、石占術師を脅迫したという疑いだけは弁明しないと。でも、でも、そしたら、ルナスは――)
そのとき、サフィーの頭によぎったのは紫苑の龍人の姿だった。
(だめよ、だめよ、ここで諦めたら。私が、星聖女でないと認めたら、ルナスがひどい目に遭ってしまう)
ルナスは、言ったのだ。サフィーが本物の星聖女であることを証明すると。
その証明のためには、何よりも、サフィーが自身を星聖女であると信じなければいけない。サフィーが諦めてしまったら、仮に本当の星聖女だったとしても意味がない。そうなれば、ルナスはこの国に命を捧げることになるのだ。
そんなことは、いけない。
ルナスの証明を守るためには、何よりもサフィーがサフィーを信じる必要があった。サフィーは、グレイモントに向き直る。
「殿下、お言葉ですが――」
瞬間、グレイモントの手がサフィーの左手首を掴む。ぎりっと手首が圧迫されて、鈍い痛みが走る。サフィーは思わず顔を歪めた。
「来い、サフィーリア・クリスタス。君には証言台に立ってもらう」
「知りません、私、知らない! 石占術師の人たちには就任式以外で会ったこともないわ!」
「お嬢様!」
ぐいと、力で引っ張られる。痛い。だが、サフィーは駄々をこねる子供のようにその場に踏ん張った。証言台に立てば、罪人として扱われることになるためだ。大人しく従えば、サフィーは本物の偽物聖女となってしまう。
そんなサフィーに駆け寄ろうとしたアリシアだったが、グレイモントの近衛兵に取り押さえられてしまった。サフィーは、踏ん張りながらもアリシアの名前を呼んだ。
どうして、どうして――。
(なぜ、こちら側の意見を聞いてくれないの)
石占術師の意見は聞くのに、こちら側の意見は聞かない。不平等だと、サフィーは内心叫んだ。そして、気づいた。
サフィーはきっと吊り上がった瞳でグレイモントを睨んだ。
「ひどい人! 私を陥れるために噓の証言を作らせたのね」
それならば、こちら側の意見を聞かないことに納得がいく。グレイモントはそんなサフィーを見て、少し笑った。
「馬鹿ではないのか。とはいえ、君はこれが虚偽だと証明する証拠は持っていない。そうだろう」
サフィーにあるのは、脅迫していないというアリシアの証言だけだ。証拠としては、何もかもが足らない。グレイモントの言葉を虚偽だと証明できる手段がない。サフィーは、歯を食いしばった。
「そんなに私のことが気に入らなかったのですね」
そう言うとグレイモントはわずかに目を細めた。
「そうだな。君は――この国に伝わる星々の神話を信じるか」
「信じます」
「そうか、俺は信じられない」
グレイモントがそう思っているであろうことは、彼の言動の節々から感じられていた。そのため特段驚きはしなかった。ただ、サフィーは眉をひそめる。
「お言葉ですが、殿下。あなたのような立場の人間が、軽率にそのようなことを発しては――」
瞬間、手首が離されたかと思えば、サフィーの右頬に鈍い痛みが走った。何が、起きたか、分からない。そのままぐらりと体が傾く、ただ遠くからアリシアの悲鳴が聞こえたのは分かった。支えのないサフィーの身体は絨毯の上に転がった。じんじんと痛む頬。叩かれたのだ。ものの見事な天井画を見て、サフィーは理解した。サフィーはよろよろと体を起こす。やがて、鼻から生暖かいものが伝った。鼻血だ。
顔を上げると歪んだ表情のグレイモントと目があった。普段冷たいと思っていたアイスブルーの瞳に、今は確かに怒りが滲んでいた。
「軽率――あんな石如きに信仰? ふざけている。狂っている。この国も、その神話も。証拠がお前だ。だから、お前のようなめでたい頭の女が選ばれる。叶えられない夢、理想ばかりを口走って、その方法など思いつかないくせに、こちらに苦言だけは呈する。あの戦場にも、ただ『いた』だけだろう。武器も手に取らず、自身の潔白だけを優先し、汚れ仕事は兵たちが引き受ける。そんな女が、聖女。ばかばかしい。何が星聖女だ。何が星々の選定だ」
「――」
サフィーは、息を、飲んだ。歪む、滲む。ああ、そうだ、そうだ。そうなのだ。
「お嬢様、お嬢様――違います、違います。あなたは、インダロス帝国を退けたでしょう」
「あれはあの龍がやったことだ。この女はただ見ていたにすぎない」
「違います、彼は、ルナス様は――」
アリシアの泣きそうな声が聞こえた。ただ、今のサフィーには、彼女に気を使うほどの余裕などなかった。それどころか、彼らの言葉が形をとどめていないようにすら聞こえた。輪郭をなぞっただけのもや。雑音。言葉が、分からなくなる。




