6-7 認めるということ
すっかり夜は深まっていた。濃紺の中に蠢く星々は王都で見るよりも爛々と輝いており、普段は息を潜めている星も姿を見せているためか一層数も多く感じられた。バルドリックが天幕に声をかけると、「どうぞ」と落ち着いた男の声で返事があった。
天幕の布をめくったバルドリックは思わず顔をしかめた。
真っ先に視界へと映ったのは、ルナスとその彼の腕の中で寝息を立てる星聖女サフィーリアだった。彼女はバルドリックの気配にも気づかないようで、すうすうと規則正しい寝息を立てている。疲れていたであろうことは、明白だった。
この1週間ほどの出来事は、その小さな体には重すぎるくらいの負荷をかけた。彼女の性分を考えれば、なおの事であろう。そんな彼女がすっかり眠りこけているというのだから、よっぽどこの龍に信頼を置いているのだろうとバルドリックは思った。
しかし、しかしである。
「少しは隠したらどうだ。一応、彼女はグレイモントの許嫁だぞ」
「私とこの子の天幕を同じにすることを最初に立案した人間がよく言うものですね。許嫁とは言いますが、まだ正式に結んだわけではないでしょう。習わしというわけで。まあ、仮に正式な許嫁として契約をサフィーとあれが結んでいても、私がやることは変わりないですけれど」
「変わらないのか」
呆れたように返せば、ルナスはさも当然だと言わんばかりに視線だけを送った。
「ただ、その体勢だと彼女が体を痛めるんじゃないか」
彼女はおそらくルナスの腕の中だからこそ寝入ったのもあるだろうが、それはそれとして、今の体勢が彼女の蓄積した疲労を緩和するとは想像しにくい。
すると、ルナスは少し間があったものの、何も言い返すことなく頷いた。
「それはそうですね」
そう言うと、ルナスはサフィーリアの身体を左腕で軽々と抱き上げる。彼の体躯の線は明らかに軍人のものよりは細いはずだが、軽々と片腕で彼女を抱え上げられることにバルドリックは少し驚いた。かと思えば、そっと彼女を敷物の上に寝かせる。
熱が離れたためか、サフィーリアはわずかに身じろぎ小さく呻いたものの、間もなくすぐに深い寝息を立て始めた。ルナスはそれを見届けると、毛布をかける。1つ1つの動作が柔らかい。普段、バルドリックの前では粗暴な言動をとる龍と同じ龍だとは到底思えなかった。
「それで、お話というのは?」
「ああ、だが、先ず傷の方は――と思ったが、その様子だと心配は無用なようだな」
何せ、サフィーリアと戯れる余裕があるのだ。心配するのは、ずいぶんと筋違いのような気がした。
そのため、バルドリックは姿勢を正し、改めてルナスへと向き直る。
「本題に入る――まず、最初にすまなかった」
その言葉に、ルナスは彼の真意を探るかのように目を細める。
無理もない。自分だって敵意を向けてきた相手が、、敵意を向けてきた相手が次の会合で恭しい態度で接してきたら、警戒するだろう。しかし、バルドリックは続けた。
「あの襲撃の際、星聖女であるサフィーリアを守り切れなかったこと、謝罪しても許されることではないだろう。こんなことになってしまったのは、俺の技量が不足していたことに違いない」
その謝罪を聞いて、ルナスは腑に落ちたのか「なるほど」と呟いた。
「あなたが言うように、俺はブレイブ家の肩書き、そしてハーベリス王国の平和に胡坐をかいて生きてきたのだろう。あのときの事件が、その慢心のなれの果てだと思っている。それらが、星聖女の身を危険に晒し、挙句の果てに国民ですらないあなたに手間をかけさせた。ただただ面目ない」
それを聞いていたルナスは、少し考えるようにして顎に手を当てる。そして口を開いた。
「座ってください。立って話されるのは、見下されているようで嫌です」
「失敬」
その言葉にバルドリックは頷き、その場に座り込んだ。ルナスはそれを見届けると口を開く。
「でしたら、私も謝罪しましょう」
その言葉にバルドリックは首を傾げた。
(謝罪? 謝罪――)
はっきり言えば、ルナスから謝罪されることなど身に覚えはない。強いて言うのなら、その傍若無人の発言のことかとも思うが、これらを反省するような質であれば、元々そんな態度を振るわないであろう。故に、謝罪される目星はつかなかった。
ルナスは、特に迷うこともなく口を開いた。
「あなたの評価を見誤っていました。てっきり、もっと融通が利かない男だと思っていたので」
「――ああ、なるほど」
無理もないな、とバルドリックは思った。ルナスは続ける。
「世襲制で育った者たちの多くは、先祖が培ってきた物事を我が物顔で他人にひけらかします。挙句の果てには、先祖のそれらが先天的に自分にもあると信じて努力もしない。先祖がいかに努力したかを考えることもなく、勝手な盲信の上に胡坐をかく、そんな者たちの集まりだと思っていました。まあ、言えば、どれだけ賢人が努力して守ってきたものでも、たった一人の馬鹿がそれを壊す。よくある話です」
「つまりは、俺はあなたの中でそういった類の人間で、自分の才がないことを認められないやつだと思われていたわけだ」
「はい」
ルナスは一寸の間もなく、濁りもなく真っ向から頷いた。もはやここまでくると、ルナスの態度というのは清々しい。バルドリックは、小さく笑った後に続けた。
「いや、あなたの言う通り認めるのは楽じゃなかったさ。自分がその先祖の培ってきた名声に胡坐をかいているなんぞ、認めたくなかった。それなりに努力はしてきたつもりだったからな。でも、それなりだった」
バルドリックはあの日以降、悩んだ。当然、バルドリックは今まで先祖の名声に胡坐をかいているつもりなどなかった。伯爵家ということもあり、剣術はもちろん学業も卒なくこなしてきた。だが、言えばそれだけだった。卒なくこなしてきただけだったことを、彼はこの時点で薄々理解し始めていた。