6-6 ずる賢い
自分の大事な人が笑ってくれるなら、それで十分なのだ。
すると、ルナスはサフィーの腕を掴み、引いた。あっという間の出来事で、構える暇もない。体勢を崩したサフィーは必然的にルナスの胸の中にすっぽりと納まった。最初こそ、そのルナスの行動に身体を強張らせたサフィーだったが、小さく耳をかすめる彼の心の音にすぐ力を抜く。
どく――と、ルナスの心臓の音が鳴る。次が鳴らない。かと思えば、どくとまた音が鳴る。どうやら、人間のものと心臓の間が違うらしい。
止まったんじゃないか、止まってない、それを繰り返すこと幾数回、サフィーはルナスの体温をふっと認識した。ルナスは、体温が低い。しかし、ないというわけではなく、密着していると緩やかに温かいのだ。
ルナスの心臓は止まるんじゃないかと不安になるほど間があるし、夜はよく冷えるから少し寒そうだ。サフィーはそうして、離れない言い訳を探していた。
そこで、サフィーは気づく。ルナスは、サフィーが自分から離れがたくなるの見越して引き寄せたのだ。
「――ひどい人」
小さく呟く。ルナスはきっと分かっているのだ。
その証拠と言わんばかりに、ルナスはくすりと笑った。
「はてさて」
ルナスは、愚鈍ではない。だから、間違いなく分かっている。ゆくゆくは、サフィーがこの国の王族の肩書きを背負うであろうこと。そして、サフィーがその立場故にルナスに何も言えず、言葉をずっと喉奥で詰まらせていること。しかし、それでいてルナスを突き放せるほど強くはないことも。
それを分かっていて引き寄せたのだから、ひどい以外の何物でもない。
「ねえ、サフィー」
ルナスは、サフィーの髪をすくうように撫でた。まったくもって手入れをしていなかったので、ぱさついているのがサフィーにも分かっている。だから、今触られるのは少しいやだった。
「何度でも言いますが、私がこの場に立ったのも、あなたの隣にいるのも、間違いなく私の意志です。決してそれは温情などというものでもなく、あるいは誰かの意思の元でもない。過去も、今も、未来もその事実に変わりはないでしょう」
その言葉に、サフィーは目を細めた。ふと、視線を落とすとルナスの右手はいつの間にか人のものに戻っていた。
(良かった)
変えられなくなるほど、深手ではないらしい。サフィーは彼の右手をそっと撫でる。
「もし、そのせいで――私と一緒にいることで、罰を受けることになっても?」
「そのときは、あなたを抱えてさっさと逃げます」
その言葉に、サフィーはふっと噴き出した。ルナスらしい発想だった。
「言ったでしょう。私は、私が生きた経路を、悲劇の民謡として後世に語り継がれるつもりは毛頭ないと。そして、その経路にはあなたも含まれていますよ、サフィー」
その言葉に、サフィーは目を細める。きっと、サフィーも、ルナスも正しくなんてないのだろう。むしろ、世間から見ればきっと愚かで、非常識だと後ろ指刺される。だが、それでもいいかと思う。これが正しいなどと、言い張るつもりもない。けれども、正しくないとも言い張るつもりはない。
言い切れることは1つだけ、正しさだけではこの幸せを守れない。
サフィーは、彼の心音の間を記憶に刻む。
「ねえ、ルナス」
サフィーはまぶたを閉じる。彼の右手が、サフィーの手をそっと優しく握った。
「ありがとう」




