6-4 手当て
ハーベリス王国の軍隊は、ルナスの宣言通り死者はおろか、負傷者も出なかった。そのため、ルシアンを含めた大半の軍隊はその日のうちに王都へと帰還することとなった。残ることになったのは手当てが早急に必要なルナスと、サフィー、それとサフィーの護衛をしていた兵たちで、彼らは自ら名乗り出てくれた。彼らはサフィーやバルドリックが声をかける前よりも早くに、率先して動いてくれた。ありがたいと思うサフィーとは対照的に、バルドリックは「少しやかましいな」とぼやいていた。
ルナスの傷は、思いのほか深かった。布や、簡単な応急処置では止血がなかなか難しい――サフィーの持っている知識では明らかに手に負えないようなものだ。
そんなルナスの手当てに当たってくれたのは、軍医の初老の男性だった。彼はルナスに特段怯えもせず、処置を施した。
軍医はルナスが協力してくれたことに感謝し、彼の功績を讃えはしたものの、やはり敵軍の中につっこんだことには思うところがあったようで「君ならばほかにやり方があっただろう」と指摘した。
そらく、彼の前では種族関係なく等しく患者なのだろうとサフィーは思う。でなければ、龍人相手にそのようなことを言えないだろう。
軍医の指摘にルナスは「まあ、手数を重ねれば可能でした」と答えた。それを聞いた軍医は、深い皺を眉間に作った。
軍医は針と糸で縫い合わせの処置を行った。その痛みからか、わずかにルナスは顔を歪めてはいたものの、特に呻きを漏らすこともない。
サフィーと言えば、その様子を少し遠くから見ていた。痛みを想像して顔を歪めそうになるのを堪えながら、目の前のその様子をしっかりと見つめていた。軍医やルナスの近くに棒立ちするのははた迷惑だ。かといって、ルナスの傷から目を逸らすわけにもいかなかった。
ルナスの傷は、彼がハーベリス王国のために戦ったからこそ負ったものだ。負わせてしまったものだ。
確かにハーベリス王国の人々は無事だったが、その平穏のために傷を負った誰かがいることを、サフィーは覚えておく必要があると思った。それ故に、その事実を、その傷と痛みを、しっかり目に焼き付ける必要があったのだ。
とはいえ、軍医の処置は早く、最短で治療を終わらせたようだった。
サフィーは軍医に礼を述べると、ルナスについた土埃をサフィーが濡らした布で1つ1つ丁寧に拭い、ぼさぼさになった髪を結いなおした。
そうして、一連の作業が終わる頃には日は傾きはじめていた。今から天幕を片付けて、先に王都へと向かった軍に追いつくのは到底無理であろう。おそらく移動して間もなく暗闇が追いついてくる。そうなれば、立ち往生するほかない。
そのため一行は。付近のわずかに木々が生い茂った平野で天幕を張りなおし、一夜を過ごすこととした。そうこうしている間にやはりというべきか、辺りは暗くなり、兵たちは夕餉の支度へと移った。彼らは塩漬け肉の入った豆煮を作り、黒パンとチーズを添えてサフィーとルナスのところへと運んできてくれた。
兵士に礼を告げ、受け取ったサフィーだったが、朝から食事を口にしていなかったものの、状況が状況なこともあり空腹感を覚えてはいなかった。
だが、明日からまた移動がはじまる。体を動かすためには食事が必要だ。そう言い聞かせて豆煮を1つ口にする。
すると、じんとたった一口が胃に沁みた。そこでサフィーは自分の胃の中が空っぽだったことを理解した。緊張と恐怖から空腹に気が付いていなかったのだ。
胃は空であることが分かると妙に空腹を覚える。そのため、サフィーは黙々と食事を食べた。そんなサフィーの横でルナスも黙々と食事を口に運んでいた。おそらく、サフィーの食事の2倍以上はあるが、ルナスは食べきるであろう。本当に見た目からは想像がつかないくらい、ルナスは食べるのだ。ただあの龍になったときの大きさを考えると、納得の食事量ではある。
(家に帰ったら、ルナスにたんと食べさせてあげなきゃ)
普段のルナスの食事量を考えるに、今の量だけでは足りないはずだ。サフィーが彼に個人的に与えられるご褒美と言えばその程度のことだった。
そして、そのときサフィーは気づいた。サフィーを取り巻いていた恐ろしい想像というものが、薄れ始めていることを。こうして日常のことを再び考えられるようになってきている。そうだ、そうだ、あの恐怖に怯える日々はもう終わるのだ。
そう思うと、ここに至るまでに自分が重ねた決断も、ルナスの行動も決して間違いではなかったのだろうと、サフィーは知った。
(まあ、結果論とはなってしまうけれど)
ただ、サフィーの頬は少し緩んだ。
腹は満たされ、食器の片づけを終えたサフィーは完全に手持無沙汰となった。
ここに至るまで、ずっと何かをしていたし、考えていた。しかし、今はもうその必要がない。本格的に、ない。なので、つい尋ねてしまう。
「ルナス、何か私にできることはない?」
「ないです」
はっきり、きっぱりルナスは答えた。
ルナスは、怪我をしている。そのため、自分にできる限りのことはしてやりたかったし、それでサフィーの暇も埋まるなら一石二鳥だと思ったのだ。
だが、必要ないらしいことにサフィーは肩を落とした。とはいえ、ルナスの傍に何もしない、話さないでいるということに、サフィーは妙にそわそわしていた。このまま、一晩過ごすのかと思うと胸がえらくざわつく。
しかし、仕方のないことなのだとサフィーは自分に言い聞かせた。
インダロス帝国の軍隊が撤退したとはいえ、国境近くに天幕を下ろしていることもあり奇襲の可能性は通常時より高かった。そのため、全員がぐうすかと気を抜いて休むわけにはいかず、交代で見張りの必要がある。なので、以前のようにサフィーの天幕には交代で番をつけるという運びだった。
その中、サフィーとルナスを同じ天幕にするべきだと言ったのは、バルドリックだった。ほかの兵たちはサフィーだけが女性なこと、ましてやグレイモントの許嫁であることから、サフィーの天幕には交代で見張りの兵をつけ、ルナスは別の天幕で休ませるほうがいいといった。
しかし、バルドリックは言う。ルナスは結局怪我をしていようが、今いる誰よりも強いのだと。護衛としての彼に勝る者はこの場にはいない。また、あれだけルナスが怪我をしていたことにサフィーは心を痛めていたのだ。目の届く位置にルナスがいるなら、サフィーも安心して休めるだろうとも言った。さらに言えば、サフィーとルナスが別々の天幕となった場合各自に見張りを付ける必要があるが、バルドリックの案ではルナスが護衛を果たすので見張りも必要ない。つまり、他の兵たちの休める時間が増えるのだ。そう言われると、誰も言い返すことはできなくなった。
ルナスはそのバルドリックの案に対し意見をすることもなかったため、サフィーも了承した。一瞬、グレイモントの婚約者なのだからという迷いが生まれたものの、体裁とか、社会的常識ほど、戦場や命が危険に晒される場において無意味なものはないことをサフィーは知っていた。何より働いてくれている兵士たちが多く休めるというのなら、それに越したことはない。
とはいえ、自分の護衛を任せるのは、ルナスの負担になってしまうのではないかと少し不安はあった。彼は唯一の負傷者なのだ。だが、ルナスが引き受けた以上、サフィーが口を挟む余地はない。
こうして、サフィーはルナスと夜を越すこととなったのである。




